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狩野派の奥絵師がヒーロー

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翔田寛(しょうだかん)さんの『眠り猫』を読んだ。サブタイトルに「奥絵師・狩野探信なぞ解き絵筆」と付けられているように、徳川家に仕える奥絵師狩野探信守道が主人公。探信は、徳川幕府最初の御用絵師、狩野探幽の直系で、鍛冶橋狩野家の家柄だ。江戸狩野家は、鍛冶橋のほかに、浜町、中橋、木挽町などに分かれていた。

作品の時代は、文化四年(1807)で、将軍家斉の頃。探信は二十三歳の若者で、禄高百石の旗本格にして、御目見得と帯刀を許された奥絵師である。物語は、探信が旧知の蔦屋重三郎(二代目)に「絵を見てほしい」と依頼されたことから始まる。それは、絵師児玉祐斎が描いた女性の幽霊画であった。その祐斎は、四日前の晩に川に落ちて亡くなった。幽霊画を得意とする彼は、三年前に描いた役者絵がもとで幽霊に取り殺されたという。祐斎の娘・美津は、探信の初恋の女性であり、彼女を救うために事件解決に乗り出した……。

奥絵師には、貴顕のために絵を制作する役目のほかに、将軍発願の神社仏閣や城郭、殿舎の作事において、絵の御用を司る務めがあった。また、猛一つの職分として、古画の鑑定があった。この物語では、狩野派の絵の特徴が巧みに描かれていて興味深い。

 狩野派の稽古とは、始祖探幽が描いた手本を脇に置き、これと寸分違わぬ絵を数限りなく描くことに尽きる。一つの画題を完璧に写せるようになり、師匠から合格と認められると、また別の画題の写しに取り掛かる。ただその繰り返しなのである。

 こうして及第した写しの束は、『粉本』と呼ばれ、晴れて独り立ちの絵師となったとしても、その粉本にひたすら忠実に絵を描かねばならない。始祖探幽の描いた絵とまったく同じもの以外に、狩野派画人に絵はあり得ないというわけである。

(『眠り猫』P.39より)

捕物の謎解きもさることながら、この絵の世界と、事件の舞台となる芝居小屋の描写が面白かった。次回作が楽しみなシリーズが誕生した。

ネットで探したら、静岡県立美術館に探信の作品があった。

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