脱藩さむらい又十郎、船宿で包丁稼業を始める

脱藩さむらい 抜け文金子成人(かねこなりと)さんの文庫書き下ろし時代小説、『脱藩さむらい 抜け文』(小学館文庫)を入手しました。

人気シリーズ「付添い屋・六平太」の新作刊行が間遠になって淋しい中、著者の別シリーズの「脱藩さむらい」第3弾が刊行されました。

藩の身勝手な事情から脱藩扱いにされたままの主人公香坂又十郎に共感を覚え、物語の世界に引き込まれています。

「謀反を企んで出奔した義弟を斬れ」。密命を受けた浜岡藩士・香坂又十郎は義弟の兵藤数馬を江戸で上意討ちにしたが、藩の身勝手な事情から脱藩扱いに。さらに目付の嶋尾久作が非情な裏仕事まで押し付けてくる。一体藩に何が起こっているのか? 数馬が最期に残した言葉を頼りに真相を探る又十郎は、ついに鍵を握る下屋敷お蔵方の筧道三郎と対面する。抜け荷を疑われ、公儀と抗争を続ける藩は本当に潔白なのか? 見張りの目を盗み、妻の万寿栄へ送った抜け文が事態を大きく変えるが……。再び最愛の妻と抱き合うために剣を振るう! 大河時代小説シリーズ第三弾。
(文庫カバー裏の紹介文より)

浜岡藩士の香坂又十郎は、最愛の妻・万寿栄と慎ましく暮らしていましたが、脱藩した実弟・兵藤数馬を追って、妻を国に残したまま、江戸へ向かいました。江戸で数馬を上意討ちにしましたが、藩の身勝手な事情から脱藩扱いとなり帰国がかなわず、江戸屋敷の目付嶋尾の命を受けて非情な裏仕事を押し付けられました。

「そうそう、今日の昼間、神田の護持院ヶ原で、敵討ちがあったんですよ」
 富五郎が、又十郎と喜平次に顔を近づける、そう口を開いた。
「へぇ、今時、敵討ちたぁ珍しいね」
 喜平次が、感心したように首を捻った。
 
(『脱藩さむらい 抜け文』P.10より)

江戸で一人の長屋暮らしをする又十郎は、同じ長屋に住む飛脚の富五郎と船頭の喜平次とでかけた、近くの居酒屋で「護持院ヶ原の敵討ち」の噂話を耳にします。

天保六年(1834)七月十三日に起きた、この敵討ち事件は、森鴎外の『護持院原の敵討』にも描かれています。

藩を頼ることができないばかりか信じることもできない、孤独な戦いが続く中、息抜きは魚釣りと釣った魚を捌き、料理して長屋の者に食べさせることだったりします。

本書では、そんな又十郎が柳橋の船宿『伊和井』の板場に立ち、包丁稼業を始めることになります。

「香坂さんは板場の方ではありますが、船宿というものがどんなものか、一応知っておいていただきたいと思いましてね」
 と、少し改まった。
「はい」
 又十郎の口から、畏まったような声が出た。
 
(『脱藩さむらい 抜け文』P.39より)

『伊和井』での仕事の初日に、女将のお勢は、又十郎に「江戸の船宿は、主に客を遊里へ送り迎えする商いだ」と説明します。大川流域の船宿が栄えたのは、吉原、深川という名だたる遊里のすぐ近くまで、船で客を運ぶことが出来たのが大きいとも話します。

芸者や遊女を引き連れた客のために、料理を出して酒宴を開かせる座敷もあったし、男女の密会に供する部屋もあって、席料を得ていました。

そのため、お客様の素性の詮索などはしてはならず、素性などを知ったとしても、決して口外しないことという、船宿の奉公人の心得を注意されます。

本シリーズの魅力の一つに、江戸の生活、社会を実在感を持たせて物語の中に取り入れているところにあります。読んでいると、リアルな江戸の世界が広がってきます。
また一つ、新刊が待ち遠しくなるシリーズができました。

目次
第一話 包丁稼業
第二話 抜け文
第三話 策謀
第四話 万寿栄

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『脱藩さむらい』(金子成人・小学館文庫)(第1作)
『脱藩さむらい 蜜柑の櫛』(金子成人・小学館文庫)(第2作)
『脱藩さむらい 抜け文』(金子成人・小学館文庫)(第3作)

『護持院原の敵討』オンデマンド(森鴎外・青空文庫)

金子成人|時代小説ガイド
金子成人|かねこなりと|時代小説・作家 1949年、長崎県生まれ。 1997年、第16回向田邦子賞を受賞。 2014年、『付添い屋・六平太 龍の巻 留め女』で、時代小説デビュー。 ■時代小説SHOW 投稿記事 ...