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言葉は人を動かす。唐・安史の乱で引き裂かれた兄と妹の運命

『震雷の人(しんらいのひと)』|千葉ともこ|文春文庫

震雷の人千葉ともこさんの長編歴史小説、『震雷の人(しんらいのひと)』(文春文庫)を紹介します。

著者は、2020年に本作で第27回松本清張賞を受賞してデビューし、2022年に2作目の『戴天』で、第11回日本歴史時代作家協会賞新人賞を受賞しました。
今最も注目している新進気鋭の歴史時代作家の一人です。

本書は、武侠小説と呼ばれる中国を代表する歴史時代小説のスタイルをとっています。
武侠小説は、近世以前の時代を舞台に、武術に長けている主人公が、義理や正義感といった己の信条に則って行動していく、エンターテインメント大衆小説をいいます。

〈安史の乱〉により未曾有の混乱に陥った唐で、言葉の力を信じ、戦禍の流れを変えるべく奔走した顔季明。彼の言葉を胸に、武芸に秀でた許婚の張采春は故郷を出奔し、采春の兄の張永は叛乱軍との戦へ身を投じた。袂を分かった兄妹の運命は戦場にて思わぬ形で交差する――。松本清張賞受賞の大河武侠小説。解説・三田主水

(本書カバー帯の紹介文より)

天保十四載(755)、平原郡の太守・顔真卿の甥、顔希明と張采春の結納を明日に控える日、安禄山将軍麾下の父子軍が平原郡を突然、急襲しました。

采春の兄・張永が隊長をつとめる郡兵の第一大隊は、安将軍の息子・安慶緒が率いる父子軍の騎馬隊によって、多くの郡兵が負傷して倒れました。
自衛のために農民で構成され、しかも十代の若者が多い第一大隊が、職人軍人の父子軍とまともに戦って敵うわけがありません。

「この世にあるものを、おのれの意のままに動かすため」「血で汚さねば、世を動かせぬ」とうそぶく安慶緒の前に、文官を目指す書生の顔季明が立ちました。

 安慶緒の目が、ちらりと血塗られた長刀に向いた。
「武力が人を動かすのはいっときではありませぬか。脅して終わり、殺して終わり。人や国を滅ぼして何も生まない」
 殺伐とした場にそぐわぬ優しい笑みが、馬上の安慶緒に向いている。
「しかし、文字や言葉は違いますぞ。一字、震雷の如しといいます。ひとりでは何もできなくとも、人の書いた一字、発した一言が、周囲の人を変え世を動かすのです」

(『震雷の人』 P.38より)

安慶緒は近いうちに安禄山が謀反を起こすとほのめかし、平原を急襲したのは、恫喝のためでした。

やがて、安禄山は十五万の大軍をもって、怒濤の勢いで洛陽を落とし、陳留で大虐殺を行いました。
常山にいた季明の一族の顔氏は叛乱軍に捕らえられて洛陽に護送され、希明も安禄山の前で賊将と罵り、斬られて死んだという報せがもたらされました。

許婚の死を知り、武術の達人でもある采春は家を出奔し、単身顔一族の囚われた洛陽を目指して馬を走らせます。

 ずきりと痛む頭を押さえながら、福娘に近づいた。福娘は、采春を上から下まで、値踏みするように見る。
「明日、洛陽中の雑技団や舞踏団が技を競う会があるの。陛下も御臨席になります。覚えがめでたければ褒美が出るし、宮中に出入りもできる。ただ、陛下の不興を買ったら命はないけれど。何か特技でも?」
 特別な芸事はできない。だが、武技なら負けない。
「特技なら、ある。馬上で弓を射ることができる。馬妓にしてもらいたい」

(『震雷の人』 P.189より)

洛陽に着いた采春は、福娘(ふくじょう)の雑技団の一座に入り、安禄山の命を狙うことに……。

「安史の乱」と呼ばれる唐の大乱を背景に、三人の若者たちを描いた歴史エンターテインメントの始まりです。

文庫版の『震雷の人』は、新たに序章が加わり、結末を含め、大きな加筆修正がなされました。

序章で、顔季明と許婚の采春の馴れ初め、季明と張永の友情の始まりが描かれることによって、三人の関係がよりわかりやすくなり、作品の世界に没入しやすくなりました。

本書のテーマの一つである、安史の乱がもたらした「流れ」に対しても、より注目して物語を読み進められます。
全体を俯瞰しての加筆修正で、面白さのギアが一段上がった感じがします。

『戴天』と同じ時代を別の視点から描いていて、武術が得意な若い僧侶・圭々や、玄宗皇帝の孫・建寧王など、二つの作品に登場する人物もいて、ファンにはお楽しみもあります。

次はどんな作品を読ませてくれるのでしょうか、千葉ともこさんの動向から目が離せません。

震雷の人

千葉ともこ
文藝春秋・文春文庫
2022年6月10日第1刷

装画:山田章博
装丁:野中深雪

●目次
序章
第一章 烽火立つ
第二章 永字八法
第三章 辟召の契り
第四章 雲霄の奥
第五章 僧侠、現る
第六章 密約、成る
第七章 魏都、攻略
第八章 胞衣壺眠りて
第九章 不孝に非ず
第十章 大義、親を滅す
第十一章 希望の風
第十二章 震雷の人
解説 三田主水

本文388ページ

単行本『震雷の人』(文藝春秋・2020年9月刊行)を文庫化にあたり大幅に加筆したもの。

●単行本『震雷の人』の作品紹介

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『震雷の人』(千葉ともこ・文春文庫)
『戴天』(千葉ともこ・文藝春秋)

千葉ともこ|時代小説ガイド
千葉ともこ|ちばともこ|時代小説・作家 1979年、茨城県生まれ。筑波大学日本語・日本文化学類卒業。 2020年、『震雷の人』で、第27回松本清張賞を受賞しデビュー。 2022年、『戴天』で、第11回日本歴史時代作家協会賞新人賞受賞...