妻の死、絶望のなかで生まれた、藤沢周平作品が読みたい

『藤沢周平 遺された手帳』

藤沢周平 遺された手帳藤沢周平さんのひとり娘、遠藤展子(えんどうのぶこ)さんが、父の遺した手帳をまとめて解説した、『藤沢周平 遺された手帳』(文春文庫)を紹介します。

最近、新作時代小説を追うのにかまけて、藤沢周平作品から遠ざかっていました。

そんな中で出合ったのが、藤沢周平さんが遺した四冊の私的な手帳を、娘の展子さんが読み解いていく文が添えられた本書です。

口数の少ない父が遺した小さな黒い手帳と三冊の大学ノート。そこには子供の誕生、妻の死、鬱屈する日々を経て、「藤沢周平」となるまでの苦闘の足跡が綴られていた。なぜ父は小説を書き続けたのか。自分はどのように生まれ、育てられたのか――。没後二十年を契機に愛娘が読み解き、明らかにされた作家の心の声。
(本書カバー裏の紹介文より)

手帳は、昭和三十八年から昭和四十二年、昭和四十六年~昭和五十一年までが断続的に書かれ、家族のできごとから執筆時の心境、小説に懸ける思いが赤裸々につづられていきます。

長女展子さん(=著者)が生まれて親子三人の幸せな生活が、若すぎる妻・悦子さんの死で反転するところは、さながら私小説の一篇を読むようです。

 砂漠への出発。この現実を受け入れなければなるまい。まだ、この悲しみは残滓のように重く心の中によどんでいる。生きるということに何の喜びがあるわけでもないが、展子がいるから、生きて、展子をみてやらねばならない。悦子はある意味しあわせだ。私に看取られて私の手で埋葬された。昨夜、高坂をたつ時は、暗く雨のしぶく丘、悦子が眠る墓地に向かって、私は痴呆のように声をだして言った。(悦子、さようなら。またくるからね。またくるからね。)私もやがてそこへ帰るだろう。展子が一人で生きていけるようになったら。
 
(『藤沢周平 遺された手帳』P.44より)

絶望のなか、乳飲み子の展子さんを抱える父子家庭で、藤沢さんは、直木賞を意識しながら小説を書き続けました。
昭和三十九年、仕事と子育てに奮闘しながら、職業作家に向けてオール讀物新人賞に応募をしました。

藤沢さんは後年、職人作家と呼ばれることがありました。

本書を読むと、自分の書いた小説に対してはいつも厳しい眼で見ていて、締切りを守って原稿を仕上げていく様子は、編集者への義理堅さも含めて、さながら名職人のようです。

若いうちから小説の修業して、オール讀物新人賞から直木賞受賞という段階を踏み、実際に賞を取っても驕らずに、小説を書き続けて歩んでいった道も。

本書では、職業作家として活躍をし始め、直木賞を受賞し、サラリーマンを辞めて、専業作家となり、人気作家になるまでの出来事や心境が、雑記ノートから引用する形で紹介されていきます。

青壮年期の著者の心境が独白の形で綴られていて、藤沢周平さんのファンならずとも、興味深いものになっています。

 徹底して美文を削り落とす作業にかかろう。美文は鼻につくとどうしようもないほどいやみなものだ。いまどき、形容詞に憂身をやつす文士はいないだろうと思ったりする。「江戸の用心棒」というシリーズを考えている。ハンサムで腕っぷしが強く、武家勤めに愛想をつかしている浪人が主人公。早田伸十郎。気楽に世の中を渡りたいと思っている。
 
(『藤沢周平 遺された手帳』P.251より)

この「江戸の用心棒」は、主人公が青江又八郎と変わり、人気シリーズの「用心棒日月抄」になるそうです。

実は、藤沢周平さんの前期の時代小説に流れる、遊びがない暗いトーンを苦手に感じ、『用心棒日月抄』や海坂藩ものばかりを好んで読んでいました。

本書で執筆時の背景に触れて、あらためて前期の名作で、若い頃は良さがいまいちわからなかった『暗殺の年輪』や『又蔵の火』を読み直してみたいと思いました。
著者のことを知れば知るほど、漫然と読んでしまった過去の読書を反省し、作品をじっくりと味わってみたくなりました。

藤沢周平 遺された手帳

遠藤展子
文藝春秋 文春文庫
2020年9月1日発行

単行本『藤沢周平 遺された手帳』(2017年11月、文藝春秋刊)を文庫化したもの。

写真:昭和46年頃、金山町自宅前で
題字:遠藤浩平
デザイン:関口聖司

●目次
はじめに

私、産まれる
親子三人
小説を書かねばならない
新しい年
オール讀物新人賞応募
仕事と子育て
父の子守歌

金山町雑記
二足のわらじ
直木賞受賞
専業作家となる
小説の転機
徹底して美文を削り落とす
終わりに
文庫版あとがき
年譜
解説 後藤正治

本文279ページ

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『藤沢周平 遺された手帳』(遠藤展子・文春文庫)
『用心棒日月抄』(藤沢周平・新潮文庫)
『新装版 暗殺の年輪』(藤沢周平・文春文庫)
『又蔵の火』(藤沢周平・文春文庫)

藤沢周平|時代小説ガイド
藤沢周平|ふじさわしゅうへい|時代小説・作家 1927年12月26日 - 1997年1月26日。 山形県鶴岡市出身。山形師範学校卒業。 1971年、「溟い海」で第38回「オール讀物」新人賞受賞。 1973年、「暗殺の年輪」で第69...