幕府の秘事にアクセスする奥右筆という役職

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上田秀人さんの『密封 奥右筆秘帳』を読んだ。上田さんは、『竜門の衛』という、八代将軍吉宗治下の将軍家と尾張家の抗争を描く文庫書き下ろし時代小説を発表されて以来、エンターテインメント度の高い良質の作品を次々と出されている。そのほとんどの作品は、剣の遣い手を主人公とし、幕府内外の暗闘や抗争、陰謀などをテーマにした、ワクワクさせる快作ばかりである。

密封〈奥右筆秘帳〉(講談社文庫)密封〈奥右筆秘帳〉(講談社文庫)

竜門の衛 (徳間文庫)

竜門の衛 (徳間文庫)

さて、今回の『密封 奥右筆秘帳』は、幕府の奥右筆という役職に焦点を当てている。主人公の柊衛悟(ひいらぎえいご)は、二百石の旗本の次男で、涼天覚清流(りょうてんかくしんりゅう)の大久保道場に通う若き剣術遣い。隣家の立花家の主人併右衛門は、奥右筆組頭を務める。

奥右筆とは、徳川家の公式文書一切を取り仕切り、将軍の公式日程をはじめ、役人の任罷免記録、大名家の家督相続、婚姻から断絶天転封等、すべての文書を作成、管理していた。また、組頭の真の役目は、幕府の諸役、大名旗本から執政衆に出される膨大な数にのぼる書付を一件一件検分し応諾の付箋をつけることであった。そのための必要な下調べも任の一つである。けっして筆だけで仕える役人ではなかった。

奥右筆は二人の組頭と十四人の右筆衆からなった。奥右筆組頭は、役高四百俵、役料二百俵で、お仕着せ代二十四両二分を支給され、身分は御目見え以上布衣格であるが、席は勘定吟味役の下とされ、あまり高いものではなかった。しかし、若年寄さえ立ち入ることのできなかった老中の御用部屋へも出入りでき、余得は群を群を抜いていた。

物語は、幕府奥右筆組頭、立花併右衛門のもとに「田沼家の家督相続願い」が上げられてきたところから始まる。下村藩・田沼淡路守意明が大坂城代副役として赴任先で急死したという。意明は、田沼主殿頭意次の孫で、江戸城での刃傷事件で命を落とした田沼山城守意知の子であった。十二年前の事件に関心を持ち、調べ始めた併右衛門は、その夜、屋敷への帰路で、太刀を抜いた黒覆面の男に「天明四年の一件に触れるな、命が惜しくば手をひけ」と警告を与えられる。熟慮の末、併右衛門は、隣家の柊衛悟に護衛を依頼することに…。

幕府の秘事に無理なく触れる立場として、奥右筆という役職に注目したところに、この作品の面白さの源がある。天明四年の刃傷事件の謎が明らかになるばかりか、物語で重要な役割を演じる将軍家斉、松平定信、一橋治済らのキャラクターがステレオタイプではなくユニーク。もう一つ注目したいのが、柊衛悟が遣う涼天覚清流の剣。涼天覚清流という剣法が実在のものなのか、作者のオリジナルのものなのか、判然としないが、天を指すように上段に振り上げ太刀をまっすぐに斬り落とすところに極意をもつ、示現流に相通じるような剣である。衛悟は師範代と並ぶ力量を持ちながら、免許皆伝を授けられずにいる、成長途上の剣士であるところも、この物語の魅力である。

とにかく、文句なしに面白い新シリーズの開幕を祝いたい。