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『日本奥地紀行』の女性作家による、日英文明衝突と冒険の旅

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『イザベラ・バードと侍ボーイ』|植松三十里|集英社文庫

イザベラ・バードと侍ボーイドジャースの大谷翔平選手の専属通訳をめぐるスキャンダルがニュースとなって、かつてこれほど「通訳」という職業が注目を集めたことはなかったかもしれません。

植松三十里さんの『イザベラ・バードと侍ボーイ』(集英社文庫)は、明治に来日にした、英国人女性作家と通訳の青年の東北取材旅行を描いた歴史時代小説です。

三浦半島の下級武士の子・伊東鶴吉は、維新後に通訳となる。父が幕末に箱館に行き生死不明のため、家族を養う身だ。20歳となり、東北から北海道へ旅する英国人作家イザベラのガイドに採用された。彼女は誰も見たことのない景色を求めて、険しき道ばかりを行きたがるが……。貧しい日本を知られたくない鶴吉とありのままを世界に伝えようとするイザベラ。対照的な二人の文明衝突旅を描く歴史小説。

(『イザベラ・バードと侍ボーイ』カバー裏の紹介文より)

明治十一年。
二十歳の伊東鶴吉は、英会話には人一倍自信がありましたが、昨年から通訳の仕事を始めたばかりで信用が足らず、なかなか観光ガイドの仕事にありつけません。友人から、ミス・イザベラ・バードというイギリス人が奥州や北海道に行きたいので、そっち方面に詳しい通訳と雑用係のボーイを探しているという話を聞き、会いに行きました。

イザベラ何冊か旅行記を出している年配の女性作家で、日本の田舎を歩いて、それを本に書きたいとも。

鶴吉は、去年、イギリス人の植物専門家のチャールズ・タリーズの従者として、奥州から北海道まで、通訳と雑用係をつとめていて、今年もと約束していました。報酬は相場よりも低い月七ドルで、今年も同額と言われていました。しかも、機嫌が悪くなると、たびたび殴ったり蹴ったりされました。

鶴吉は、月十二ドルの報酬で、雇用期間は最低三ヶ月という、破格の条件で、イザベラの仕事を受託することになりました。

昔から長崎では、オランダ語や中国語の通弁(通訳)は町人がつとめていて、奉行所の役人など武士階級が雇っていたことから、身分差は歴然としていました。その影響もあって、当時は通訳の社会的地位は低かったのです。

三浦半島の漁村菊名という漁村出身の鶴吉は、故郷に母と三人の妹を残して、横浜で観光客相手の通訳の報酬を仕送りしていました。元漁師だった父は、ペリー来航後に、幕府軍艦の乗員に抜擢され、士分を得ましたが、その後、行方知れずになってしまい、未だ消息がわかりません。

鶴吉は、イザベラに、これから雨季に入り、奥州路は厳しい旅になるし、宿屋も清潔なところばかりなく、外国人が珍しくてじろじろ見られると警告しました。
公共交通も発達しておらず、宿泊予約システムもなく、西洋ホテルもない時代の旅がどんなに困難なことか。

しかし、イザベラは苦労は覚悟の上だと答えて、あなたが手伝ってくれて心からありがたく思っていると答えました。
 

 思ってもみなかった反応だった。今まで、どんなに一生懸命に仕えても、雇用主から、こんな丁寧な言葉をかけてもらったことなどない。
 だがイザベラの覚悟のほどを知って、また疑問が生じた。
 ――そこまでわかっているのに、なぜ奥州の奥地になど行くのですか――
 イザベラは表情を和らげた。
 ――紀行文を書くからですよ。それが私の仕事なの――

(『イザベラ・バードと侍ボーイ』P.27より)

イザベラは、横浜みたいに、西洋の真似をする日本よりも、昔ながらの日本人の暮らしを私は知りたいし、読者も知りたがると思うと。

六月十日の朝、イザベラは、鶴吉を通訳兼ボーイにして、奥州・北海道の旅に出発しました。しかし、出発してすぐに二人は衝突します。
鶴吉は越谷宿で泊まろうと言います。日光街道で千住、草加に続いて、わずか三つ目の宿場で、しかもまだ日は高いところにありました。

 ――せめて次まで行きましょう――
 ――でも、いい宿が――
 ――宿なんか、どんなところでもいいって、言ったでしょう――

(『イザベラ・バードと侍ボーイ』P.57より)

イザベラは、早々に日本と欧米の生活習慣や文化の違いに直面しました。

本書の魅力の一つは、イギリス人女性の目から見た、明治前半の東北の寒村の姿が活写されている点が挙げられます。それは、イザベラが書いた『日本奥地紀行』をベースにしながらも、もう一人の主人公鶴吉により光を当てることで、日英の文化の違いが際立つドラマチックな物語になっています。

二人の奥州奥地と北海道の旅は、現在では体験できないような冒険の連続であり、引き付けられます。物語の間に挿し込まれた、イザベラが来日する前の前半生もまた、波瀾に満ちたものでワクワクさせられました。

イザベラの視点で描かれるパートでは「イトー」と綴られ、鶴吉の視点でのパートは「鶴吉」と記されているところも、両者の視点の違いが明らかになり面白いと思いました。

武士の子である矜持を胸に、奥地の人たちの貧しく無知なことを恥ずかしく思い、外国時に見せたくないという鶴吉に対して、貧しいことは恥ではなく、恥ずかしいのは他人を見下す人がいることというイザベラの言葉に感動しました。
旅を進め、さまざまなトラブルを経験するうちに、衝突ばかりでなく、お互いを理解し認めあるところも素晴らしく、異文化理解にも役立つ書としてもおすすめの一冊。

鶴吉のような通訳がいたことで、今日、通訳という職業が確立していったのだろうと思うと感慨もひとしおです。

(伊藤)鶴吉が登場する小説には、中島京子さんの『イトウの恋』(講談社文庫)もあります。

イザベラの旅行記は、『日本奥地紀行』として、日本でも翻訳出版されました。その後も完訳版も含めて、『イザベラ・バードの日本紀行 (上)』(講談社学術文庫)などいくつかの版で刊行されています。
また、佐々大河さんのコミック版『ふしぎの国のバード』(KADOKAWA)も読みやすくておすすめです。

イザベラ・バードと侍ボーイ

植松三十里
集英社・集英社文庫
2024年2月25日 第1刷

カバーデザイン:木村典子(Balcony)
イラストレーション:ヤマモトマサアキ

●目次
一章 イギリス波止場
二章 公使館からカテッジインへ
三章 会津盆地をゆく
四章 雨季の峠越え
五章 ひそやかな開港場
六章 東洋のアルカディア
七章 函館イギリス領事館
八章 久しき再会
開設 斎藤美奈子

本文301ページ

■今回取り上げた本




植松三十里|時代小説リスト
植松三十里|うえまつみどり|時代小説・作家 静岡市出身。東京女子大学史学科卒。出版社勤務など経て、作家デビュー。 2002年、「まれびと奇談」で第9回「九州さが大衆文学賞」佳作入選。 2003年、『桑港にて』で第27回歴史文学賞受賞。 20...