戦時下の中国・厦門で、諜報活動をともにし惹かれ合う二人

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『楊花の歌』|青波杏|集英社

楊花の歌青波杏さんの長編歴史小説、『楊花の歌(ヤンファのうた)』(集英社)を紹介します。

著者は、2022年に「亜熱帯はたそがれて――厦門、コロニアル幻夢譚」で、第35回小説すばる新人賞を受賞し、2023年、同作を加筆修正し、改題した本書にて単行本デビューを果たしました。
先ごろ発表された第12回日本歴史時代作家協会賞新人賞の候補にも選ばれた、注目の歴史スパイ小説です。

一九四一年、日本占領下の福建省厦門(アモイ)。大阪松島遊郭から逃走して、上海、広州、香港と渡り歩き、厦門にたどり着いたリリーは、抗日活動家の楊に従い、カフェーで女給として働きながら諜報活動をしていた。あるとき、楊から日本軍諜報員の暗殺を指示され、その実行者として、琥珀色の瞳と蛇の刺青が印象的なヤンファという女性を紹介される。
中秋節の晩をきっかけに強くヤンファに惹かれていくリリーにとって、彼女と過ごす時間だけが生への実感を持てるひとときになっていた。
しかし、楊から秘密裏に出されていた指令は、暗殺に失敗した場合はヤンファを殺せというものだった……。

(『楊花の歌』カバー帯の紹介文より)

リリーは、上野で生まれて、七歳で広島へ、台湾に渡って、また広島へ戻ったところで、会社を経営していた実家が没落して、紆余曲折あって大阪の松島遊廓に流れ着きました。
それがまた何の因果か、台湾と海を隔てた福建省厦門までやってきました。

 太陽は今ちょうど正午の位置にあって、ブーゲンビリアの赤をよりいっそう鮮やかに照らしている。ボタッと大きな音がするので見てみると、椿よりもはるかに大きな木綿花(ムーミエファ)の赤い蕾が地面にいままさに落ちたところだった。
 ――なんて、美しい亜熱帯なの。

(『楊花の歌』P.16より)

リリーは、厦門の朝日俱楽部というカフェーで女給(ホステス)として働いていましたが、スパイという裏の顔がありました。
ここで、抗日運動家・楊から日本の諜報機関の最重要人物・岸の暗殺を指示され、実行役のヤンファを紹介されました。

ヤンファは、牡丹のような鮮やかな赤い唇と燃えるような琥珀色の目をした、断髪で背の高い細身の女。
1カ月にわたって、岸が働いているビルディングの斜め向かい、泰山交差点に豆花の粗末な屋台を出して、標的を見張っていました。

ヤンファが暗殺を失敗したら、リリーがヤンファを殺さなければならないという過酷な指令を受けながら、リリーはヤンファに強く惹かれていきます。

「帰りたいところなんて別にないわ。お父さまもお母さまも死んでしまったし、あたし南方の暮らし気に入ってるのよ」
 
(『楊花の歌』P.23より)

朝日倶楽部の女給ミヨは天草の坑夫の長女に生まれて、芸者や遊女として各地の私娼窟を渡り歩いた末に、朝日倶楽部にやってきました。
台北のダンスホールで働くことにして、来週出発すると言います。

台湾の基隆(キールン)には三歳になったばかりの娘がいて、字の読み書きができないミヨに代わり、妹のようなミヨに懐かれたリリーは何通も手紙を書いてあげていました。

本書は、戦時下のスパイ小説としてスリリングな始まり、亜熱帯のかぐわしい風景のなかで、リリーとともに働く女たちの愛と葛藤がドラマ性豊かに抒情的に綴られていきます。
諜報活動をともにする、リリーとヤンファが、互いに惹かれ合いながらも、互いのアイデンティから葛藤に悩む姿が描かれていて、物語に引き込まれました。

とくに、ヤンファの生い立ちに触れた第三部は、心に強く残り共感を覚えました。
遅ればせながら、タイトルの意味に気づいたときに、感動の波が押し寄せてきました。

本書の刊行記念で行われた北方謙三さんとの対談では、執筆の裏側や著者の人となりが現れていて面白く読むことができます。

第35回小説すばる新人賞受賞作『楊花の歌』刊行記念対談 北方謙三×青波杏「”書けてしまった”場面こそ、物語の命」 | 集英社 文芸ステーション
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近代女性史を専門にし、とくに遊廓の中の労働運動を中心に遊廓の研究をしているという著者らしく、資料・文献に裏打ちされたリアリティのある歴史や遊廓に関連する記述も楽しめて、エンタメ青春小説に深みと奥行きを与えてくれています。

今、面白い昭和史小説、いや歴史時代小説としてもおすすめの一冊です。

楊花の歌

青波杏
集英社
2023年2月28日第1刷発行

装画:たけもとあかる
装丁:アルビレオ

●目次
第一部
 厦門、一九四一年十月二十一日
 上海、一九三七年三月九日
 厦門、一九四一年十月二十一日
 崇武鎮、一九四一年十月二十三日
 大阪、一九三七年三月三日
 厦門、一九四一年十月二十四日
 厦門、一九四一年十月二十五日
第二部
 厦門、一九四一年十月二十六日
 厦門、一九四一年十月二十六日、午後三時三十分
 厦門、一九四一年十月二十七日
第三部
 虹の橋の下の集落、一九一四年
 坂の途中の街、一九二〇年
 海の街の学校、一九二六年四月
 海の街の夜、一九二六年六月
 坂の途中の街、一九二七年四月
 海の街の学校、一九二七年五月
第四部
 基隆、一九四一年十一月二十八日
 金瓜石、一九四二年四月
 エピローグ
 主な参考・引用文献
 
本文221ページ

初出:『小説すばる』2022年12月号(抄録)
第三十五回小説すばる新人賞受賞作(「亜熱帯はたそがれて――厦門、コロニアル幻夢譚」改題)を単行本化にあたり、加筆・修正を行ったもの。

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『楊花の歌』(青波杏・集英社)

青波杏|時代小説ガイド
青波杏|あおなみあん|作家1976年、東京都国立市出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程後期課程修了。近代の遊廓の女性たちによる労働問題を専門とする女性史研究者。2022年、「亜熱帯はたそがれて――厦門、コロニアル幻夢譚」で第35回...