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青に候―センチメンタリズムが魅力の時代小説

志水辰夫(しみずたつお)さんの時代小説『青に候(あおにそうろう)』を読んだ。私が時代小説専門になる以前に、ハードボイルド・冒険小説のジャンルを中心に読んでいた時期があった。その当時(今から二十年前か)、もっとも愛読していた作家が志水さんであった。『飢えて狼』『裂けて海峡』『背いて故郷』…、タイトルを挙げただけで、感動がよみがえる。

飢えて狼 (新潮文庫)

飢えて狼 (新潮文庫)

裂けて海峡 (新潮文庫)

裂けて海峡 (新潮文庫)

背いて故郷 (新潮文庫)

背いて故郷 (新潮文庫)

青に候 (新潮文庫)

青に候 (新潮文庫)

『青に候』は、志水さんの時代小説のお初。文庫本の巻末で池上冬樹さんが解説されているように、80年代のハードボイルド/冒険小説をリードした作家たち(北方謙三さん、佐々木譲さん、逢坂剛さんら)が歴史・時代小説の分野で、傑出した作品を産み出しているのは周知のことで、志水さんの時代小説にも大いに期待されるところだ。(船戸与一さんの時代小説『蝦夷地別件』も忘れられない傑作であ)

蝦夷地別件〈上〉 (新潮文庫)

蝦夷地別件〈上〉 (新潮文庫)

神山佐平は、やむなき事情から家中の者を斬り、国元の播磨栗山から無断で江戸へ帰ってきた。わずか二年前に仕官したばかりだった。主君・恒則の死に始まる山代家の騒動はいまだ治まる気配を見せない。殿の愛妾で幼なじみの園子の身の上を案じ、失踪した元藩士・永井縫之助の行方を追う…。

『青に候』は、長年のファンである贔屓目を抜きにしても、文句なしに面白い。時代小説らしさを表す、人物造形、時代設定、文体、江戸の事物の描写、いずれをとっても完成度が高くて初めて時代小説を書いたとは思えない。

物語の前半、主人公佐平は国元から江戸に戻り、山代家の藩士たちから逃れるという逃避行と縫之助の失踪の謎を追う探索を行う。追い込まれていく佐平。サスペンスフルな緊張感あふれる描写が続く。

それは、かつての志水作品の名作が江戸時代に舞台を移して展開されているようである。それは読後感であり、言うまでもないが、主人公もストーリーも設定もすべて異なってはいて、まったくの別物である。

解説の池上さんは、それを「シミタツ節」と呼んでいた。

 そう思ったのも、小説に何よりもシミタツ節が脈打っていたからである。初期作品にはあふれていたものの、だんだんと影がうすくなってきたシミタツ節、つまり人物たちのエモーションを七五調の文章で高らかに謳いあげる旋律が、ここでは高く奏でられている。そうか、シミタツ節は時代小説にぴったりなのだ、たしかに権力や体制に抑圧されることの多い状況の物語のほうがより強い歌が生まれるのだと納得した。

(『青に候』解説・池上冬樹 P.450より)

佐平が、友人で山代家で目付を務める小宮六郎太について語るシーンがある。

「(前略)生まれたときから将来を約束されていた人間と、まったく当てにされていなかった人間との差。六郎太殿は前者で、わたしは後者です。言い方を変えると、世のなかに対して自分なりの責任を持っているか、野次馬みたいにのほほんと生きているかのちがいです。わたしはこの年になるまで物事には表もあれば裏もある、しかしそれには、それぞれそうならざる得なかった事情があって、けっして見かけ通りではないということすら、考えてみたことがありませんでした。まったくの世間知らずだったんです。いまになって、とういうかこの一年で、いままでの二十二年分のものを学んでいます」

(『青に候』P.285より)

六郎太の存在が物語に深みを加えている。

佐平の持つ未熟さ(=青さ)は、多感さ、正義感、純粋さ、センチメンタリズムと言い換えてもよいかもしれない。日々の仕事や生活の中で「青さ」を失った人たちに、『青に候』をお薦めしたい。