戦国武士のエリート、母衣衆

司馬遼太郎さんの『功名が辻』を読んでいる。長浜城主となり、京都にも屋敷を構える山内家の門前に捨て子があり、千代と一豊が育てることになるシーンが描かれていた。

 ある朝、山内家の京都屋敷で小さな変事があった。

 門番が朝、門前を清めるために出てみると、路上に赤児がすててある。

「捨て児か」

 とよくよくみると、いかにも仔細ありげであった。

 庶人が捨てたものではなく、相当の身分の武士が捨てたらしく思えるのは、赤児が母衣(ほろ)で巻かれていることでも知れた。

『功名が辻』(二)P.199より

母衣とは、甲冑の背に背負って矢を防ぐ布で、鯨のひげで母衣かごをつくりその上に布をかぶせる。実用よりも装飾であり、その武士の身分を表すシルシといったようなものだそうだ。時代劇の合戦のシーンで、馬に乗った武士の背中で風を受けてバタバタしている幌のようなもがそれだ。

大将から母衣の装着をとくに許されている上級武士で、親衛隊ともいうべき勇士団を「母衣衆」とか「母衣武者」と呼ぶ。『功名が辻』では、秀吉の長浜時代の黄母衣衆として、一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)が紹介されている。

直末は美濃厚見郡出身で、藤吉郎時代からの郎党であった。美濃軽海西五万石の城主で、一豊の同僚の一人。武勇にすぐれた武将であったが、天正18年の小田原攻めで戦死する。ちょうど飯を食べていた秀吉は、直末の討死を聞き、「死んだか」と膳の上にポロポロと落涙したという。一柳家は弟の直盛が家督を継ぎ、大名として幕末まで及んでいる。

あまり知られていないがちょっと気になる人物であるので、彼を描いた時代小説も読んでみたい。

新装版 功名が辻 (2) (文春文庫)

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コメント

  1. 宮山 より:

    母衣というと「一谷ふたば軍記」の陣門、組打を思い出します。無冠の太夫敦
    盛の凛々しい姿それに続く悲劇の予兆華やかで悲しい物語でした。