『我、鉄路を拓かん』|梶よう子|PHP研究所
梶よう子さんの長編歴史小説、『我、鉄路を拓かん(われ、てつろをひらかん)』(PHP研究所)を紹介します。
明治5年(1872)、新橋~横浜間を鉄道が開通しました。今年2022年は開業150周年の節目の年となります。当時、現在の芝(田町駅の北)から品川(旧品川停車場)までの約2.7㎞区間は、海上に堤を造りその上に鉄道を走らせていました、海上築堤は、「高輪築堤」とも呼ばれ、その風景は多くの錦絵に描かれ、新橋停車場とともに文明開化の象徴として人々に親しまれていましたが、大正時代の埋め立てで姿を消していました。
2019年からの品川駅周辺の再開発事業や2020年の高輪ゲートウェイ駅の開業工事で、「高輪築堤」が約100年ぶりに姿を見せました。
本書は、日本初の鉄道敷設の中でも、最も困難な「高輪築堤」の工事の様子と、その工事を請け負った平野屋弥市の物語です。
東京の芝田町で土木請負を生業にしていた平野屋弥市のもとに、東京~横浜間に鉄道を通す計画があることが報される。鉄道敷設は、明治新政府肝煎りの一大事業だった。芝~品川間の海上を走らせる「築堤」部分を請け負うことになった弥市は、誰もやったことがない難工事に立ち向かう。しかしそこには、様々な困難が待ち受けていた――。
(カバー帯の説明文より)
安政六年(1859)
芝田町で土木請負を生業にする、平野屋弥市は、伊予松山松平家家中、大目付柴田才治郎と、軍艦操練所教授方頭取の役目に就いた勝麟太郎の屋敷を訪れました。松平家が築造することになった神奈川台場普請の見積りの試算を願うためでした。
勝は町人のような言葉遣いで捌けた人物で、同じ文政六年(1823)一月の生まれの弥市と意気投合しました。
「万屋さんが眼をかけているのは、お前さんか。小売り商売上がりの請負人なんざ、初めてだ。この生業は人だ。横、縦、斜め、なんでもいいから、繋がることだ。ひとりでも多くかき集めろ。客商売をしていたんなら、それも活かすといい。これからは、人が売り物だと考えな」
初めて会ったとき、そう尾張屋がいった。(『我、鉄路を拓かん』P.27より)
弥市の家業は雪駄下駄屋でしたが、普請の棟梁、万屋富右衛門と出会い、雪駄や下駄の商いを止めて請負人を始めました。
最も早く、多くの人夫を集めた弥市は、、幕府の御用をつとめる請負人尾張屋嘉兵衛より、尾張屋が落札した品川台場の普請を任されました。
ここ五、六年の間に、品川、薩州屋敷、神奈川並木町、そして神奈川漁師町の海上台場と、異国船を追い払うための大砲を置く台場を造ってきた弥市。しかし、台場を築く一方で異国に港を開くように説得されて横浜に港を造った幕府に、割り切れないものを感じ、台場は役に立たないものなのかと怒りを覚えました。
ある日、神奈川台場の普請の現場に、勝が視察に訪れました。弥市に軍艦咸臨丸の艦長として亜米利加国へ行くことになったことを告げ、別れの挨拶に来ました。
「ここは世界に向けて日本という国を知らしめる、最初の台場なんだ。おめえたちは、この日の本が世界に門戸を開くための砲台を造っているんだ。誇りに思え。おめえたちが、力を尽くしている仕事は、これからの日の本のためになるんだ。未来を拓くのさ。そういう仕事をしているんだよ」
日の本のための仕事。おれは――。誇っていいのか。胸を張っていいのか。(『我、鉄路を拓かん』P.41より)
万延二年(1861)、弥市は神奈川宿で亜米利加国から無事に帰ってきた勝と再会しました。勝から鉄の道を走る蒸気車の土産話を聞き、「蒸気車を走らせてみたい」という夢を抱くようになります。
時代は明治2年(1869)になり、東京と横浜の間で日本で最初の蒸気車が走るという計画が弥市のもとにもたらされました……。
土木請負人として、日本初の鉄路を敷く職人を目指す弥市は、増上寺近くの茶店で蒸気車の話を熱心にする、洋装の男・井上勝と出会います。井上は英吉利国で5年間、鉄道について学んだと。
「(前略)僕にとって鉄道は、己の夢を運ぶ路でありましたから懸命に学んできました。でも、僕ひとりの力ではやはり無理です。鉄道敷設にかかわった熟練者が必要です。しかし、異国人を頼り続けていては困る。自力で鉄路を拓けるようにならないと。日本の土地に合った鉄路を日本人が敷かねばいけません。異国の知識技術を学び盗んで、やがては日本人dけで蒸気車を造り、鉄路を敷けるようにすることが、僕の望みです」
(『我、鉄路を拓かん』P.124より)
養子に出て野村弥吉と一時期名乗っていた井上勝は、幕末に井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)ら「長州ファイブ」の一人。幕末にイギリスに密航して、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)にて鉱山技術・鉄道技術などを学びました。
後に工部省に入り、鉄道頭、鉄道庁長官をつとめ、「鉄道の父」と呼ばれるようになります。
井上と弥市のやり取りは、鉄道オタク同士の会話のようで、物語に引き込まれていくとともに、日本で最初の鉄道が鉄道に夢を懸けた男たちによって始まったことは、嬉しくも誇らしい気持ちがしました。
お雇い外国人モレルの指導があったといえ、見たことも乗ったこともない蒸気車の走る海上の堤を築造していく難工事の様子が詳細に綴られていきます。コンピューターも重機もない時代に、よくぞ取り組んだもの。
次々に襲いかかってくる工事をめぐる困難に対して、人との繋がり、人の力で立ち向かっていく姿に感動を覚え、快い読了感が得られました。
鉄道開業150年の年に刊行された、近代化に向けて邁進する男たちの物語で、日本の鉄道のはじまりを知る格好の書です。
我、鉄路を拓かん
梶よう子
PHP研究所
2022年9月27日第1版第1刷発行
装丁:芦澤泰偉
装画:北村さゆり
●目次
序
第一章 神奈川台場
第二章 新たな時代へ
第三章 海上の堤
第四章 お雇い外国人
第五章 不和
第六章 繋がる夢
跋
本文317ページ
「WEB文蔵」2022年1月~6月の連載に加筆・修正を加えたもの。
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『我、鉄路を拓かん』(梶よう子・PHP研究所)
『クロカネの道をゆく 「鉄道の父」と呼ばれた男』(江上剛・PHP文芸文庫)