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印旛沼干拓と天保の改革の闇に迫る、時代エンターテインメント

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化土記PHP文芸文庫から刊行された、北原亞以子(きたはらあいこ)さんの『化土記(けとうき)』を紹介します。

著者の北原さんは、「慶次郎縁側日記」シリーズや「深川澪通り木戸番小屋」シリーズなど、人生の機微や男女の恋愛を巧みな筆致で切り取り、良質な一幕物の舞台の描出する、市井人情小説の名手として知られています。

本書は、そんな著者が天保の改革を題材に、印旛沼干拓をめぐる人々の人間ドラマを描いた長編歴史時代小説です。

1994年に月刊誌「小説歴史街道」で連載をスタートし、同誌休刊後、2001年に「日本農業新聞」で連載の再スタートし、2013年に亡くなった著者への追悼の意を込めて、2014年に単行本化されて、2017年11月に文庫化されたという、構想20年を経て誕生した異例の作品です。

老中水野忠邦配下で、天保の改革の事業の一つ、印旛沼干拓に賛成していた勘定吟味役の栗橋伊織が何者かに斬殺される。故あって廃嫡されて浪人となり、名も槇緑太郎に変えていた伊織の兄は、弟が死んだという噂を聞いて栗橋家に駆け付ける。
かつての許嫁で、伊織の妻となっていた花重と久々に再会し、秘めた思いが交錯する。
弟の理不尽な死に陰謀の気配を感じ取り、二人は敵をおびき出すために、仲間たちと天保の改革で干拓が進む印旛沼に向かう……。

天保の改革を描いた時代小説は少なくありませんが、本書ほど、真正面から印旛沼干拓にスポットを当てた作品はほかに思い出せません。

タイトルにある「化土(けとう)」という耳慣れない言葉は、物語の中で次のように説明されています。

「ばかな。おぬしは、あの周辺の土を知っているのか。化土だぞ、土の化け物だぞ。川を掘って、沼の水を江戸湾へ落とすというが、できるわけがない。化土は、掘るそばから崩れて、その溝を埋めてしまうのだ」

(中略)

 化土――へどろのおそろしさは、緑太郎も知らぬわけではない。土留めの杭も蛇籠も役に立たず、掘ったあとを、泥水が流れ込むようにへどろが埋めてゆく。干拓が幾度も失敗に終わっているのは、この土のせいだった。

(『化土記』P.122より)

印旛沼の干拓は、天保の改革以前の、水害の防止と新田の開発を目的に、享保期と天明期にも行われていずれも失敗しています。
水野忠邦があえて印旛沼に手を付けたのは、外国船が頻繁に日本の海にやってきて、お隣の清国ではアヘン戦争が起こり、海の防備と江戸への米の回漕ルート確保を喫緊の課題と考えていたためでした。
本書を読んでいると、そんな歴史背景が伝わってきます。

物語は、天保十四年(1843)三月の夜、勘定吟味役の栗橋伊織が何者かに斬殺される事件から始まります。

理不尽な死を遂げた伊織の死の謎を解き、その遺志を継ぐために、兄の雄太郎(槇緑太郎)と伊織の妻花重と、事件の鍵を握る印旛沼に向かいます。

質店の用心棒を務める録太郎の仲間で、妓夫の八十吉、遊女のおはん。
伊織が斬殺される場を目撃し、甲州で起きた一揆(郡内騒動)の首謀者の一人、犬目の兵助は、録太郎らの仲間に加わります。
伊織の敵に雇われた無頼の浪人、続兵馬と、貧乏の旗本の息子だった福沢又八郎。
自称・十一代将軍家斉の落胤・千代丸と、千代丸の付き人で生き別れた妹おしんを探す京弥の二人組。
千住の旅籠の飯盛女・お長とその連れで元大店の若主人矢之吉と、二人を追う貧乏旗本の娘で、矢之吉の女房・調。
録太郎の昔馴染みで、印旛沼普請の手伝いを命じられる庄内藩の藩士小野田龍三郎。
庄内藩の農民の兄妹に助けられるロシア人の浦次こと、ウラジミール・マルコフ。

いろいろな人物たちが印旛沼に引き寄せられるように集まり、複層的に物語は展開していきます。
それぞれの人物の言動が天保という、幕末目前の激動の時代を活写していて興味深く読み進めることができます。

また、かれらが織り成す群像劇は、シェイクスピアの『間違いの喜劇』のようなおかしさを醸し出し、「天保の改革」の歴史的な背景を物語に取り込みながらも、良質なエンターテインメント小説に変えています。

なお、作品の舞台となるのは、印旛沼普請場の入り口となる、成田街道の大和田宿(現在の千葉県八千代市)になります。
印旛沼は1960年代末の印旛放水路(新川・花見川)の完成により、中央干拓地が造成されて、沼の面積は半分以下に縮小されています。

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『化土記』(北原亞以子・PHP文芸文庫)

印旛沼干拓|ウィキペディア