生類憐れみの令と赤穂浪士討ち入り

五代将軍徳川綱吉が、最初の生類憐れみの令を発したのは、貞享二年(1685)のこと。このときは「将軍御成りの際にも犬猫を繋ぐ必要はなし」というもので、以後、捨て犬の養育や病犬の手当ての義務、生類全般の殺生禁止など毎年のように新しい令が発布され、取り締まりが強化されていったという。

将軍家に世継ぎが授からぬのは前世の殺生の報いであり、殺生を慎み、生類を憐み、とくに戌年生まれの綱吉は犬を大切にしなければならないと護持院の僧・隆光に勧められたからだという俗説がある。

山室恭子さんは、『黄門さまと犬公方』で、「生類憐みの令の目的を、綱吉の時代にまだ残っていた戦国時代からの荒々しい風潮を一掃すること」ではないかという視点を示され、新しい綱吉像を明らかにしていて興味深かった。

元禄八年(1695)より中野村十六万坪の土地に大規模な犬を収容する「御囲(おかこい)」の建設が始まり、最盛期には総面積二十七万坪の広大な土地に、十万匹とも言われる犬が集められたという。

今日読んだ、諸田玲子さんの『犬吉』は、こんなお犬さま狂騒劇の真っ只中の元禄十五年十二月十五日から十六日にわたって起こったできごとを描いた時代小説。十二月十五日と言えば、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが成就して、その興奮が江戸の庶民に伝えられた日。

物語の背景にも、この討ち入り事件が色濃く影響を与えている。御囲で犬の世話にあたる娘・犬吉(いぬきち)は、詰所で御鷹御犬索(おたかおいぬさく)の依田峯三郎と出会う。依田は、将軍家の御狩場で働く猟犬を飼育することがお役目だったが、生類憐れみの令が発布されて殺生が禁止になり、狩が行なわれなくなり、仕事がないので御囲にまわされたのだった……。

討ち入りの興奮が冷めやらない、中野の野良犬収容小屋という、特異なシチュエーションで展開される恋と狂気が、サスペンスに満ちた描かれる新感覚の時代小説でグイグイ引き込まれた。

赤穂事件も生類憐れみの令も、どちらも綱吉の政治を代表するものである。赤穂浪士討ち入りを物語のサイドストーリーとして描くことで、読者の興味を増幅させることに成功した作品としては、藤沢周平さんの『用心棒日月抄』があげられる。

黄門さまと犬公方 (文春新書)

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犬吉 (文春文庫)

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用心棒日月抄 (新潮文庫)

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