広重と国芳、応為。葛飾北斎に影響を受けた絵師たちの群像

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『ふたりの歌川 広重と国芳、そしてお栄』|武内涼|朝日新聞出版

ふたりの歌川 広重と国芳、そしてお栄 (朝日新聞出版)武内涼(たけうち・りょう)さんの歴史小説、『ふたりの歌川 広重と国芳、そしてお栄』(朝日新聞出版)を紹介します。

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」の影響で、これまでにないほど浮世絵を含む江戸の出版文化に注目が集まっています。歌川広重や歌川国芳といった、ドラマより後の時代に活躍した絵師たちに光が当たっているのは、江戸ファンとしてうれしい限りです。

あらすじ

音や動きだけじゃない。 暑さや寒さや匂いまでも、浮世絵に描き込んでやる。 私は北斎を超えたい!

情景画を得意とする広重、常識破りの奇想絵で知られる国芳、そして葛飾北斎の娘・お栄。画に魅入られた絵師たちを活写する長編時代小説です。

(本書カバー裏の説明文ほかより抜粋・編集)

ここに注目!
文化三年(1806)十一月、江戸八代洲河岸。三十俵二人扶持の定火消同心の嫡男・徳太郎(後の歌川広重)は、父とともに琉球使節の行列を見物し、絵を描いていたときに絵の巨人・葛飾北斎と出会いました。父の絵が北斎に揶揄されたと感じて反発を覚えますが、やがて北斎の『絵本隅田川 両岸一覧』を目にし、その迫力に圧倒されます。

厳格な祖父・十右衛門のもとで自由に絵を描くことを禁じられた徳太郎でしたが、与力をつとめる上司の理解により、昌平黌へ通う条件で絵を描くことを許されました。

ある日、北斎に自作を見てもらう機会を得て、北斎が仕事をしていた曲亭馬琴の家を訪ねます。相手にされなかったものの、代わりに現れたお栄に導かれ、仕事場を目にします。そこで鎮西八郎為朝の絵に衝撃を受け、お栄から絵手本を借りることになりました。

一方、日本橋本銀町の染物屋の息子・孫三郎(後の歌川国芳)は、暇さえあれば絵を描いていました。北斎に弟子入りを願いに訪れた際、北斎は不在でしたが、絵手本を返しに来た徳太郎とお栄に出会います。

安藤徳太郎=歌川広重、柳屋徳三郎=歌川国芳、そしてお栄=葛飾応為。北斎の次代を担う三人の子どもたちが出会い、共に絵を描く日々が始まります。

歌川派の総帥・豊国の弟子となる国芳と、美人絵や名所絵を得意とする豊広の弟子となる広重。同じ歌川派ながら、描く絵も違い、画風も異なる、接点があまりないと思われていた、対照的な二人が子どもの頃に出会ったという設定には胸を打たれます。さらに二人の間に、絵の怪物・北斎の娘お栄を配し、幼い三角関係を描いた展開も魅力的です。

やがて三人はそれぞれの道を歩みますが、その生涯が作品とともに活写されていく物語には読みごたえがあります。

とくに広重が北斎の影を追いながら、自らの絵に足りないものに気づく場面には感動を覚えました。豊広が広重に語る「国芳さんの絵が喜か怒なら、お前さんは哀か楽だ。……それが持ち味だよ」という言葉も心に残ります。

伝奇時代小説の雄であり、戦国小説の名手として幅広く活躍されてきた著者の、新たな代表作の誕生です。

歌川広重旧居跡蛇足
先日、京橋の近くにて、打ち合わせの貸会議室の場所を探していて、偶然、見つけた歌川広重の旧居跡。
家督を年下の叔父に譲り、八代洲河岸定火消屋敷の長屋を出た広重が暮らしたのは、大鋸町(おがちょう)でした。
ミュージアムを内包するTODA BUILDING(東京都中央区京橋1丁目7−1)の裏にあり、案内板もアートでした。

今回取り上げた本

書誌情報

ふたりの歌川 広重と国芳、そしてお栄
武内涼
朝日新聞出版
2025年8月30日第一刷発行

装幀:柳沼博雅
カバー表1装画:歌川広重「名所江戸百景・市中繁栄七夕祭」(Colbase)
カバー表4装画:一勇斎国芳「滝夜叉姫と骸骨の図」(国立国会図書館)

目次
第一章 絵本隅田川 両岸一覧
第二章 するかてふ(駿河町) 名所江戸百景
第三章 花和尚魯知深 通俗水滸伝豪傑百八人之一個
第四章 市中繁栄七夕祭 名所江戸百景

本文363ページ

初出
「小説トリッパー」2024年夏季号から2025年春季号に連載。
単行本化に際して『歌川 二人の絵師』を改題し、加筆修正しています。

武内涼|時代小説ガイド
武内涼|たけうちりょう|時代小説・作家1978年、群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。2011年、『忍びの森』で、第17回日本ホラー小説大賞最終候補となり、デビュー。2015年、「妖草師」シリーズで、『この時代小説がすごい! 2016年...