蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)

小町娘の身投げの謎から、深川を震撼させた凶盗を追う。

蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)講談社文庫から刊行された、荒崎一海(あらさきかずみ)さんの文庫書き下ろし時代小説、『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』を紹介します。

深川の大店両替屋の娘が蓬莱橋から身を投げた。日本橋の両替屋との祝言を控えた評判の小松娘だった。その夜、二件の押込み強盗があり、独り暮らしの妾と質屋の七名が殺されたと、九頭竜覚山は北町奉行所の柴田喜平次から聞く。覚山は、雨の夕刻、大店の娘がひとりでいたのが気にかかった。

松江藩主・松平出羽守治郷のお抱えの兵学者で、門前仲町に暮らす、九頭竜覚山(くずりゅうかくざん)を主人公にした、捕物シリーズの第2弾です。

今回のタイトルにもなった蓬莱橋(ほうらいばし)は、富岡八幡宮参道正面にある船着場の西沿いの道と大島川のかど、大島川に架けられた橋です。(現存せず、その近くに巴橋が架かっています)

 覚山は川ぞいの道をすすんだ。
 歩きながら蓬莱橋を眺める。
 東海の三神山に不老不死の霊薬があると具申した徐福が、秦の始皇帝の命で霊薬を求めて船出をした。三神山のひとつが蓬莱山である。けだし、橋の名はそれにちなむ。
 覚山は、蓬莱橋へのぼらずに左へおれて大通りにでた。
 
(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.21より)

覚山は、子分のように慕う船頭の松吉から、門前仲町にある大店両替屋の達磨屋の娘・おふじが蓬莱橋から身投げしたという話を聞きます。おふじは日本橋の両替屋に近々嫁ぐ話になっていました。

北町奉行所定町廻りの柴田喜平次からは、大島川南岸の入船町の裏店で浪人の阿部父子が切腹したという話を聞かされます。
浪人の倅が寺の賽銭箱を荒らしたという噂が建てられて、身に潔白を晴らすために切腹したという。

「殿より、江戸にとどまるお許しをいただきました」
「達磨屋のおふじが身投げした夜、押込み強盗が二件あって、片方は独り暮らしの妾が、片方は質屋が奉公人をふくめて七名も皆殺しされた。自刃に若え娘の身投げ、押込み強盗といやなことがつづいたが、そいつはいい報せだ」
 笑顔になった喜平次が、脇の刀をもった。
 
(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.36より)

三題噺のように、なんら脈絡がないような事件が続く中、覚山は殿の参勤交代に同行せず、江戸に留まることになり、喜平次の捕物を手伝えることになりました。

やがて、浪人父子に賽銭泥棒の濡れ衣を着せて陥れた同じ長屋に住む札付きの悪・金次が新大橋の中洲で簀巻きの死骸で見つかります。事件はさらに謎を深めます。

「長吉、わが流名水形流のいわれを話しておこう。はるか古の唐土に孫武というかたがおられた。孫子との呼び名のほうが知られている。わしのように軍を学ぶ者にとっては神のごときお人だ」
『孫子』「虚実篇」に、“それ兵の形は水に象る(夫兵形象水)”との一文がある。
 水は自在である。ものの形にあわせていかようにも変化する。だが、ひとたび流れとなれば、巨木を根こそぎ奪い、岩を石に、山を削って千尋の谷にする。
「……水のごとくやわからく、水のごとく強く。これが水形流だ。他言はならぬ。おのがなかで噛みしめ、みずからのものにする。よいな」

(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.98より)

覚山は水形流の剣の遣い手でもあり、月に三両二分の手当てで門前仲町の入堀通りで用心棒を務め、料理茶屋万松亭の嫡男長吉に剣術の稽古も付けています。

「たしか、二十二。先生も綺麗だと思うでしょう」
 覚山は、危険を察した。
 ――君子、危うきに近寄らず。罠だ。へたに同意しようもおならいかなるめに遭うかわからぬ。ともに暮らしてわかったことだが、女は一筋縄ではゆかぬ。気にいらぬことがあっても口にはせず、寝所で背をむける。あれは、みじめな気分になる。
「仙姿玉質という言葉がある」
 よねが小首をかしげる。
「浮世離れした天女のごとき美しさという意味だ。およねは、わしの天女だ。永代寺の山開きにまいったおりも、わしは牡丹よりおよねを見ておった」

(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.175より)

覚山は三十二歳まで学問の妨げになると、女体を避けてきました。しかし、深川一の名妓米吉こと、およねが二十代最後の夜に、覚山は押し倒されてしまいます。女体を知った覚山はけじめをつけるために、この新春に祝言をあげて、妻のおよねは芸者をやめて三味線と踊りを教えています。

博覧強記で捕物を助ける凄腕ぶりを披露する覚山が、女性に関してはうぶで、「壮年、女体に溺れ、学遠ざかるばかりなり。嗚呼、柔肌抗い難し」といとおしさと自責の間で揺れ動くのが面白いです。

 裂帛の気合を放ってとびこんできた。真っ向上段からの薪割りの一撃。
 右足を半歩踏みこみ、月山と八角棒とを頭上で交叉。渾身の斬撃を堪える。八角棒をおろしながら弧を描かせ、敵の小手を狙う。
 敵がとびすさる。
 覚山は追った。
 敵が袈裟懸けにきた。
 八角棒で白刃の鎬を撃ち、月山で敵の左手首を痛打。左手が柄頭から離れ、白刃が右へたおれる。
 
(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.205より)

荒崎作品の特徴である、簡潔な文体で描写していくチャンバラシーンも随所に登場します。月山とは、刀身一尺七寸(約五一センチメートル)余りの奥州月山の刀鍛冶の作の脇差のこと。用心棒として、できればあまり血を流したくない覚山が新たに手に入れた刃引の脇差です。

門前山本町に起こった火事で、路地をはさんだ平屋の長屋が二棟と、両替屋の達磨屋が全焼します。両替屋を狙った凶盗の付け火により、五十三名の犠牲者が出る痛ましい事件になり、覚山をはじめ喜平次ら捕物陣は犯人を捕まえようと躍起になります……。

 雨の糸に、蓬莱橋が墨絵になっている。
「達磨屋おふじの身投げがすべてをむすびつけたような気がする。雨だしな、おいらも阿部父子に手を合わせたくなったんだ。つきあってくんな」
 蓬莱橋にかかる。喜平次が言った。
「風が吹けば桶屋が儲かるってのがあるらしいが、知ってるかい」
「ぞんじませぬ」
 
(『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』P.340より)

さて、複雑に絡み合った事件を、覚山と喜平次はいかに解決していくのか、鍵は小町娘の身投げにあるようですが、物語は最後まで目が離せません。

◎書誌データ
『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』
出版:講談社・講談社文庫
著者:荒崎一海

カバーデザイン:片岡忠彦

第1刷発行:2018年8月10日
680円+税
348ページ

文庫書き下ろし

●目次
第一章 門前小町
第二章 武士の気概
第三章 月と猫
第四章 娘かたぎ
第五章 さみだれ雲
あとがき 桶屋と人工知能

※題名にある「蓬莱橋」の「莱」は「萊」(草かんむりに「來」)が原文どおりの表記です。

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『蓬莱橋雨景 九頭竜覚山 浮世綴(二)』(荒崎一海・講談社文庫)
『門前仲町 九頭竜覚山 浮世綴(一)』(荒崎一海・講談社文庫)