『文蔵 2017.10』のブックガイドは、「クライシス小説」

『文蔵 2017.10』『文蔵 2017.10』(PHP研究所・PHP文芸文庫)のブックガイドは、未曾有の大災害、バンデミック、経済危機…… 「クライシス小説」に刮目せよ です。

地震、豪雨、火山の噴火など自然災害が多い日本。加えて、細菌やウィルスに感染したり、ヒアリなどの外来危険生物が入り込んだり。東アジアの緊張もあって、戦争やテロも無縁ではなくなっています。
目の前にある危機に向き合うために、さまざまなクライシスを題材にした名作で、その本質を理解するのも役に立つかもしれません。
文芸評論家の末國善己さんが、「クライシス小説」の名作13作をガイドします。

時代小説ファン向けには、嶋津義忠さんの『起返の記 宝永富士山大噴火』と出久根達郎さんの『大江戸ぐらり』を紹介しています。

前者は宝永四年(1707)の富士山噴火の惨状とその後の復興から立ち上がった人々の苦闘を描いています。後者は安政二年に起きた安政江戸地震で、未曾有の災害に戸惑いながらも、復興に向かう江戸の人たちを描いた人情味あふれる作品です。

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『文蔵 2017.10』(PHP文芸文庫)
『起返の記 宝永富士山大噴火』(嶋津義忠・PHP研究所)
『大江戸ぐらり』(出久根達郎・実業之日本社文庫)

⇒『文蔵』ホームページ

千の命を助けた、江戸の産科医賀川玄悦の生涯を描く傑作

千の命植松三十里(うえまつみどり)さんの『千の命』(小学館文庫)が文庫化されて発売されました。江戸中期の産科医、賀川玄悦(かがわげんえつ)の生涯を描いた時代小説です。
2006年6月に講談社から刊行された単行本『千の命』を加筆改稿したものです。

彦根藩士の子、賀川玄悦の生みの親は出産で命を落とす。玄悦は医者を志したが許されず、独学で鍼や按摩の技術を習得し京都に出る。ある日、お産で苦しむ隣人の女房を自らの技術で救った。その技術は評判となり回生術と名付けた。
その後、玄悦は難産でひどい扱いをされている商家の妾・お糸を引き取った。次第に、お糸に特別な感情を抱くようになる。三人の子供との関りや妻のお信とお糸のことに悩みながらも、多くの命を救った。


玄悦は、彦根藩士三浦軍助の三男として生まれました。父軍助が江戸詰めで留守の間、母や兄たちからいじめに遭う中で、下女のお八重だけが玄悦(幼名・光森)を温かく接していました。やがて実家に戻っていたお八重が出産で危篤となり、呼び寄せられた玄悦はお八重が生みの親であることを知ります。

出産では十四、五人にひとりは、命を落とすとも聞く。まさに戦国の頃、男が戦場に向かったのと同じ覚悟で、臨まねばならないと言われていた。
(『千の命』P.6より)


二十六歳で医者を志して京都に出た玄悦は、三十三歳のとき、十五歳下のお信と結婚しました。物語の冒頭で、三十四歳にして我が子の誕生を迎え、出産に立ち会う玄悦の様子がユーモアを織り交ぜて描かれています。

当時の玄悦は、まだ産科医になっておらず、昼は古鉄の回収売買を行い、夜は按摩を兼ねる鍼師として生計を立てていました。

隣家の女房お菊が難産で、胎児が出てこなくて腹の中で死にかけているらしく、このままではお菊の命まで危ないが、産婆でも手の打ちようがないといい、玄悦に助けを求められます。

玄悦の大きな手で、母体から胎児を取り出そうと試みますがうまくいかず、試行錯誤の末に商売物の鉄鉤(天秤の部品)を使って、死んだ胎児のからだに引っかけて引きずり出せないかと考えて試します。

玄悦の回生術は評判が高まる一方で、既に死んでいるとはいえ胎児を傷つけて引きずりだすことに、僧侶や医者、産婆から言語道断と非難されました。迷信は根強く水子の霊がついていると噂され、子供たちがいじめに遭うこともありました。

「わしは死ぬまでに、千人の命を救いたいと思うています」
 それは玄悦が日頃から、漠然と抱いている夢だった。
(『千の命』P.229より)


賀川玄悦の功績としては、多くの臨床体験を積む中で、出産用の鉗子を発明したことのほかに、胎児の正常胎位を発見したことがあります。それ以前は、母体中で胎児は頭を上にしていて、陣痛が始まってから胎児が回転して下を向くと考えれていました。

「千の命があれば、千の生きてく意味がある。みんな、その意味を探して、精いっぱい生きなあかん。誰でも、おかあちゃんが命かけて産んでくれはったんやから、大事に生きなあかん」
(『千の命』P.357より)


本書は、玄悦の一代記であるばかり、玄悦とその家族(妻お信、長男玄吾、次男金吾、長女お佐乃ら)とのファミリードラマでもあります。
なりふり構わず真摯に人の命に向き合う玄悦に魅せられながら、家族関係で苦悩する玄悦にも共感を覚えます。

日本で初めて腑分けをした山脇東洋や「毒を以て毒を制す」を信条とする吉益東洞らも登場し、当時最先端だった京都の医学界の一端もうかがい知れて興味深かったです。


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『千の命』


歴史時代小説家植松三十里の公式サイト「松の間」

明治維新の原動力となった、幕末遣外使節団のドキュメント

世界を見た幕臣たち榎本秋さんの歴史読み物、『世界を見た幕臣たち』が洋泉社歴史新書より刊行されました。

坂本龍馬や新選組は出てこないけれど、彼らのことを知らなければ幕末日本を理解したことにはならない――。
ペリー来航以降、欧米列強との関係が最大の懸案となる中で、七度にわたって海を渡った幕府の遣外使節団。その体験と持ち帰った知識は、その後の日本に大きな影響を与えていた!
未知の文化や列強との難交渉に悩まされた人間ドラマからたどる幕末秘史。


2018年は明治維新百五十周年の節目の年。
幕末の動乱から戊辰戦争、そして明治維新に至る激動の時代が、来年にかけて大きな注目を集め、ブームになることが予想されます。

坂本龍馬や西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)といった維新の志士たちの活躍ばかりが取り上げられることが多く、遣外使節団についても、明治四年(1871)の岩倉遣欧使節団が近代日本外交の始まりとされています。

ところが、岩倉使節団に先立つ十数年前から、七度にわたって幕府により使節団が派遣されたことはあまり知られていません。

勝海舟や福沢諭吉らが咸臨丸でアメリカへ渡った万延元年(1860)の遣米使節団派遣は、植松三十里さんの『咸臨丸、サンフランシスコにて』など、時代小説でも取り上げられることがあるので知っていましたが、ほかの使節団については、ほとんど知りませんでした。

目次●
はじめに――西洋諸国を見た「大君の使節」たち
序章 世界を見た三人の漂流者――遣外使節団前史
1章 1860年 万延遣米使節団
コラム 知られざる海外渡航 四度の上海派遣使節団
2章 1862年 文久遣欧使節団
コラム 知られざる海外渡航 幕府派遣の留学生たち
3章 1864年 文久遣仏使節団
コラム 知られざる海外渡航 海防と工業化を担った遣英仏使節団
4章 1866年 慶応遣露使節団
コラム 知られざる海外渡航 目的を達成した二度目の遣米使節団
5章 1867年 慶応遣欧使節団
終章 岩倉使節団に結実した幕府外交の志
幕府による幕末遣外使節団の使節・随員主要者一覧


本書のカバーに、武士の一団がスフィンクス前で並んでいる不思議な写真が使われています。これは、文久三年に派遣された遣仏使節団が、フランスへの途次に撮影されたものです。

多くの困難を乗り越え、実現不可能な難交渉に立ち向かう幕臣たちの行動に、興味をそそられます。

本書では、幕末遣外使節たちの物語をドラマチックに綴りながら、彼らの果たした役割と明治維新の展開に与えて影響を解き明かしていきます。


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『世界を見た幕臣たち』(榎本秋著・洋泉社歴史新書)

『咸臨丸、サンフランシスコにて』(植松三十里著・角川文庫)


「2017年9月の新刊 中」をアップ

春雷2017年9月11日から9月20日の間に、文庫で刊行される時代小説の新刊情報リスト「2017年9月の新刊 中」を掲載しました。

葉室麟さんの『春雷』が祥伝社文庫より刊行されます。
『蜩の記』『潮鳴り』から続く、豊後・羽根藩を舞台にしたシリーズ第3作の待望の文庫化です。

鬼隼人、許すまじ――怨嗟渦巻く豊後・羽根藩。新参の多聞隼人が“覚悟”を秘し、藩主・三浦兼清を名君と成すため、苛烈な改革を断行していた。そんな中、一揆を招きかねない黒菱沼干拓の命を、家老就任を条件に隼人は受諾。
大庄屋の〈人食い〉七右衛門、学者の〈大蛇〉臥雲を召集、難工事に着手する。だが城中では、反隼人派の策謀が蠢き始めていた……。


本書で、凛とした武士の生きざまにしっかりと向き合いたいと思います。

魅力的なラインナップとなった祥伝社文庫の9月の新刊では、簑輪諒さんの『最低の軍師』も楽しみにしています。
一万五千の上杉謙信軍に対して、北条方の原胤貞が治める下総の臼井城にて、二千の城兵で立ち向かった、軍師白井浄三の生涯を描いた作品です

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『春雷』
『蜩の記』
『潮鳴り』

『最低の軍師』


→2017年9月の新刊 中

伊豆沖で女海賊と戦う市兵衛。縁談の行方からも目が離せない

架け橋 風の市兵衛辻堂魁(つじどうかい)さんの文庫書き下ろし時代小説シリーズ20巻、『架け橋 風の市兵衛』(祥伝社文庫)が刊行されています。

唐木市兵衛を相模平塚・須賀湊の廻船問屋《弓月》の父子・七左衛門と三一郎が伝言を持って訪ねてきた。相手は返弥陀ノ介の許から姿を消した女・お青だった。伊豆沖で海賊に捕らえれるも逃げ出して、七左衛門らに助けられていた。弥陀ノ介には内密にと請われ、市兵衛は単身須賀湊へ向かう。
一方、弥陀ノ介は、〈東雲お国〉と名乗る女海賊の討伐のため、浦賀奉行所に派遣される。だが、お国は弟を殺された哀しみで、復讐の鬼と化していた……。


15巻の『夕影』で姿を消した、青(せい)が久々に姿を現します。乗っていた船が暴風雨で破船し、女海賊〈東雲お国〉により一時は囚われの身になりますが、傷つきながらも逃げ出して、廻船問屋・弓月の七左衛門に助けられます。

お青は弥陀ノ介の最愛の人です。そのお青から、「助けてほしい。弥陀ノ介に言うな」の伝言を受けて、市兵衛は友・弥陀ノ介のために須賀へ。

女海賊〈東雲お国〉は、相模から伊豆、駿河、安房上総などの湊へ、闇に紛れて侵入し、廻船問屋や裕福な商家に押し入り、女子供にも容赦なく斬り捨て、金目の物を奪っていきます。そのお国が溺愛する弟を、お青に殺されて復讐の鬼と化します。

今回の読みどころの一つは、女海賊に対して、市兵衛の風の剣が挑む船上で格闘シーンです。百戦錬磨の海賊たちを相手に、狭い船上を縦横無尽に飛び回る市兵衛に、ハラハラドキドキ、興奮します。

また、物語ではサイドストーリーとして、市兵衛の縁談話が描かれています。
『待つ春や』での市兵衛の縦横無尽な活躍を知った、武州忍田領阿部家のお側衆をつとめる大庭桐右衛門から、娘の婿に請われて、見合いをすることになります。

この縁談話の顛末も大いに気になります。
同時刊行ということもあり、19巻の『遠き潮騒』と合わせて上下巻という感じもしますが、「風の市兵衛」ファンとしては至福の時を過ごせます。

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『遠き潮騒 風の市兵衛』(19巻)
『架け橋 風の市兵衛』(20巻)

『夕影 風の市兵衛』(15巻)
『待つ春や 風の市兵衛』(18巻)