巡る桜 上絵師 律の似面絵帖

まだるっこいがひたむきな、恋と仕事から目が離せない

巡る桜 上絵師 律の似面絵帖光文社文庫から刊行された、知野みさき(ちのみさき)さんの文庫書き下ろし時代小説、『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』を紹介します。

池見屋から巾着絵の仕事を減らされ、律は焦りを覚えていた。そんな折、葉茶屋・青陽堂では、商品に古茶が混じったことで、得意客が離れる騒ぎが起こる。商売敵による差し金ではと若旦那の涼太は悔しさを滲ませるのだが……。

本書は、着物に絵付けをする上絵師(うわえし)として独り立ちを目指す娘・律(りつ)を主人公とした、お仕事時代小説シリーズの第4作です。

律が雪華模様の着物一枚に二月半を費やしているうちに、呉服屋・池見屋に一人の上絵師の売り込みがあり、巾着絵の仕事が半分に減らされてしまいます。

律と相思相愛の仲の青陽堂の若旦那・涼太も思いもよらぬ事件に巻き込まれます。
青陽堂が得意客に納めたいくつもの茶筒に、茶葉に古茶が混じっているのが見つかり、店はてんやわんやの騒ぎに。しかも疑われているのは、店の手代四人と丁稚一人。

「いや……まだ店がごたごたしてっから、俺はもう戻る。今日はちょいと先生にこぼしに来ただけだ。店のことは女将と俺でなんとかするさ。だから、お律がそう案じることはねぇ。そういや、お律の仕事はどうなんだ?」
「どうって……今日もその、池見屋に……」
 急に問われて、ついしどろもどろになった。
 
(『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』P.29より)

律は池見屋に二枚の巾着絵を納めますが、「浮き沈みがあり過ぎる。何度も言ってるけど、お前の都合はお前だけの者なんだ。心の乱れは筆の乱れ……見る目のある者は誤魔化せないよ」と、女将の類の評価は芳しくありませんでした。

 俺だって疑いたくてそうしてんじゃねぇ――
 苛立ちと迷い、加えて――認めたくないが――弱気がない交ぜになって、涼太は思わず律の腕をつかんだ。
「涼太さん?」
 戸惑う律の声に情欲まで加わって、己の気持ちも判らぬままに涼太は律を抱き寄せる。
 
(『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』P.40より)

暮れにお互いの気持ちを確かめ合った二人ですが、正月、藪入りとその後の古茶混入事件が起きたため、二人きりの時間を持つことができず、煩悩に心揺すぶられています。

その後、古茶を混入させた青陽堂の事件の背後にライバルの店の策謀があり、その手先となった奉公人が判明します。しかしながら、一度失った店の評判は簡単には元に戻せません。

 佐和とは年季が違うとはいえ、ふとした浮き沈みが筆に出てしまう己と比べると、やはり己には覚悟が足りないとひしひしと感じた。
 それは取りも直さず、己と涼太の違いでもある。
――うちには丁稚を入れて三十人からの奉公人がいるんだぞ――
――これだけ稼ぐのがどんなに大変か……――
 己を養うだけで精一杯の律は、涼太の言葉を思い出してますますうなだれた。

(『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』P.83より)

裏店で隣近所と助け合って暮らしてきて、女職人として自立を目指す律と、母・佐和が切り盛りする葉茶屋の若旦那として店で働く涼太。事件を通して、幼馴染み同士とはいえ、二人の立場や職業観の違いが垣間見られ、二人の恋の行方に暗い影を投じていきます。

「ちと、こちらへ――」
 路地裏にいざなわれて戸惑ったが、太郎がせわしく表を窺う様から、誰かを見張っているのだと思い当たった。
「今、一人、女をつけてる最中でして」
「お仕事中すみませんでした」
「しかし、のちほどお律さんに似面絵を頼むよう言われてる女なんでさ。だからちょうどいいっちゃあちょうどいい。桜の着物を着た女なんです。顔見知りじゃねぇし、よかったら一緒に店に入って、女の顔を見てもらえませんかね?」

(『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』P.90より)

律は、顔見知りの火盗改の密偵・太郎に、夫婦を装って呉服店に入り、尾行していた女の顔を見て似面絵を描くように依頼されます。

店の前で、料亭尾上の娘で涼太に好意を寄せている娘・綾乃と出くわしてしまい、太郎と付き合って買い物をしているところを見られてしまいます。

今回も、得意の似面絵で火盗改の扱う捕物の解決に一役買うことになりますが、律の恋は混沌としたものに……。

本書の面白さは、律と涼太の恋の行方がまだるっこくて、心の揺れがリアルで、丹念に描かれていくところにあります。さまざまな試練に見舞われる二人ですが、それを乗り越えることで想いはますます強固になっていきます。

 呉服屋を渡り歩いても仕事がもらえなかった時は、絵を描く仕事ならなんでもいいと思っていた。池見屋で小間物の仕事にありついてからは、やはり上絵、それも着物を手がけたいと望み、一度着物を手がけてみると、次も次もと欲が出た。
 上を見るのが悪いこととは思わぬが、今振り返れば、着物への執着が知らず知らずに巾着絵をおろそかにさせていたように思えてきた。

(『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』P.231より)

律は、池見屋の類から着物の上絵を依頼されます。桜を題材に、弥生の朔日までわずか十日で納めるようにという注文にこたえるべく、律が仕事に打ち込むシーンもドラマがあり、読みどころの一つとなっています。

チユキクレアさんのカバー装画は、律の手がけた着物の上絵を想起させて素敵です。

◎書誌データ
『巡る桜 上絵師 律の似面絵帖』
出版:光文社・光文社文庫
著者:知野みさき

カバーデザイン:荻窪裕司
カバーイラスト:チユキクレア

初版第1刷発行:2018年7月20日
660円+税
340ページ

文庫書き下ろし

●目次
第一章 混ぜ物騒ぎ
第二章 父二人
第三章 春愁
第四章 巡る桜

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