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海翁伝

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海翁伝
海翁伝

(かいおうでん)

土居良一

(どいりょういち)
[戦国]
★★★★☆☆

文庫書き下ろし作品。室町から江戸へと幕府が移り変わる戦国時代を生き抜いた、蠣崎季広(かきざきすえひろ)と慶広(よしひろ)の父子の物語。慶広は、松前藩の初代藩主。

 明石はふと北畠家の遺児たちを想い、南条の家跡を生かした季広の裁量が報われた気がして、おのが心もまた和むのを感じた。
「我らは井の中の蛙なれど、天下を争う大名らもまた同様に蛙どもではあるまいか。潮にのって磯に流れ着く異国の樽を見るにつけ、この世は遥かに広きものと存ずる。我らが島にしても、未だその全貌は窺い知れず、そなたが申したように、異国に居する者にも武将にまさる御仁のおることは、拙者にも至極当然に思われる」
 
(『海翁伝』P.38より)

物語は、遠い蝦夷地にも下克上の戦乱の風潮が迫りこようとしていた戦国時代真っ只中に始まる。館主と呼ばれる蝦夷地南端の一つの町を治める者たちの会話から、かの地に暮らす者たちの考え方が垣間見られる。

 そこで傍らの慶広が、不意に声をあげた。
「父上、拙者は歩でおわらず、成金になりとうございます」
「何を申す。そのような野心こそ身を滅ぼす仇となる戒めをわすれたか」

(中略)

「歩は一歩進めば後戻りのできぬ身の上。しかし、成金となれば下がることもできるのではありませぬか」
「そなたはいかなる了見で、そのようなことを申すのだ」
「敵陣にて金となりし折は、一歩ずつ退く所存にございます」

 
(『海翁伝』P.51より)

戦国の世で、どちらを向いても大名は成り上がることしか念頭にない中で、季広の嫡男・慶広は、退くために成金を目指すという。

 鰊漁がはじまると、町衆も地侍も一斉に磯へ繰り出して網を引き、獲れた鰊を休みなく交代でさばいてゆく。しばらく遠まきに眺めていた秀桂も、いつしかその仲間に入って汗を流し、養賢庵を顧みることなく働いた。
 そして鰊の漁期を終えたとき、秀桂はそれまでの人生で味わったことのない至福を噛みしめた。身分などおかまいなく、誰も彼も揃って、一つのことに暮らしの糧を求める。その清々しさに胸をうたれた。
 
(『海翁伝』P.83より)

江戸時代、松前藩では、地勢的に米の収穫が望めないため、藩主が家臣に与える俸禄は石高に基づく地方知行ではなく、いわゆる商場(場所)知行制をもって主従関係を結んでいた。戦国当時から、水産資源が主な糧を得る術であることがうかがい知れるシーン。

「この度は、拙者の改名につき、内府様にお許しをいただきたく参上いたしました。蠣崎はもとより土豪の一門にすぎず、内府様にお仕えする者として、松前とお呼び願いたく申し上げまする」
「その名の由来は……」
「内府様はもとより松平家の御方なれば、その御前に仕える意を込め、松と前を合わせ一門の新たなる名手にいたしたいと存じます」
 家康はかしこまって両手をつく慶広を見やり、ただ者でないことを知った。
「松前志摩守か……。面白い。そなたの忠義に免じて許そう」
「ありがたき仕合わせに存じ上げます」
 
(『海翁伝』P.290より)

一歩間違うと、その追従ぶりは胡散臭く見えるところだが、若き頃に、歩の成金になりたいと言った慶広らしい、新しい為政者に対する見事な対応だ。慶広は家康ばかりでなく、秀吉とも誼を通じて、戦をせずに蝦夷の地を安堵されることになる。

瀬戸内の水軍・河野氏を祖として、広大な蝦夷地の領主となった蠣崎氏(後の松前氏)。蝦夷地でその基盤を固めていった季広。その子で、秀吉、家康という二人の天下人に認められた、松前藩の初代慶広。これまで時代歴史小説で描かれることが少なかった北の大地を舞台にした作品。非戦を貫きながら、交易で力を蓄え、松前藩を築いた男たちの戦国ロマンが面白い。

主な登場人物
蠣崎季広:徳山(福山・松前)領主
蠣崎慶広:季広の三男で嫡男
香御前:慶広の正室
蠣崎盛広:慶広の嫡男
椿姫:盛広の正室
蠣崎公広:盛広の嫡男
蠣崎忠広:慶広の次男
蠣崎景広:慶広の子
蠣崎満広:慶広の末子
蠣崎利広:慶広の側室の子
お菊:忠広の妻
お雪:齋藤の娘で後室
蠣崎由広:慶広とお雪の子
蠣崎次広:慶広とお雪の子
明石元広:季広の次男で明石家へ養子に出される
随良:慶広の弟で仏門に入る
蠣崎定広:慶広の弟
蠣崎正広:慶広の弟
蠣崎仲広:慶広の弟
蠣崎吉広:慶広の弟
杉山平内:定広の娘婿
木崎浅之助:利広の若党
厚谷季貞:蠣崎家の用人
小平季遠:季広の側人
傳妙院:季広の正室
村上正儀:蠣崎家の家臣
佐藤季連:蠣崎家の家臣
新田広貞:蠣崎家の家臣
下国師季:蠣崎家の家臣。出家して清観と名乗る
下国直季:師季の次男で、茂別の領主
明石季衡:安東家の元家来で、蠣崎家の重臣、季広の義弟
南条宗継:上ノ国代官
安東愛季:出羽・檜山の領主で、蠣崎家の主家
安東業季:愛季の嫡男
安東実季:愛季の次男
大高筑前:安東家家老
丹下:堺の豪商淡路屋手代
甚六:丹下の息男
秀桂:丹下の甥
与吉:北国船の船頭
玄峰:法源寺の住職
峰順:丹下の甥で、修験僧
小山資政:徳山の蔵奉行
宗兵衛:箱館の有徳衆の代表
嘉吉:宗兵衛の息男
當元:修験僧
円海:修行僧
村上武吉:能島の水軍の将
お松:季広の娘
湊通季:湊茂季とお松の息子
兵五郎:越後屋の船頭
山科言経:公家
時阿弥:能楽師
盲阿弥:能楽師で時阿弥の師
前田利家
豊臣秀吉
里村紹巴:連歌師
大浦為信:津軽の領主
徳川家康
伍助:船頭
高尾作左衛門:竹原の下目付
本多正信:家康の家臣
宗運:淡路屋の手代
建部元重:慶広の家臣
長尾広持:由広の家臣
柳川:対馬藩家老
徳川秀忠
佐竹義宣:秋田の領主
花山院忠長:公家
奥村左近:警固の者

物語●
永禄五年四月、蝦夷地南端・徳山(後の福山、松前)の館主蠣崎季広のもとに、後醍醐天皇に仕えた北畠顕家の後裔として、奥羽で最も高い官位を有した津軽・浪岡御所の北畠一族に起きた予期せぬ内紛の知らせが届いた。
蠣崎家は、その頃、出羽で強い勢力をもつ檜山城の安東愛季に仕えていた。慶広の母が瀬戸内の水軍河野氏の一族であるという。津軽海峡を挟む文化圏を形成する蝦夷地の南端部と津軽・出羽にも下克上と戦乱の情勢へと変わろうとしていた…。

目次■序/河原御所の変/淡路屋丹下/土豪劣紳/修験僧/箱館の里/氷上の駒/都の渦/京への途/瀬戸内参り/蝦夷の殿/明暗の辻/散椿/海翁

カバー装画:五島聡
カバーデザイン:谷口博俊(next door design)
時代:永禄五年(1562)4月
場所:徳山、禰保田、茂別館、檜山城、堺、石鎚山、岩屋寺、大宝寺、正木、大三島、御串山、熊野、京、名護屋城、松山、竹原、南宗寺、江戸、ほか
(講談社・講談社文庫・724円・2012/01/17第1刷・398P)
入手日:2013/01/23
読破日:2013/02/03

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