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芝居にすべてを捧げる、裏方と役者たちの江戸の青春群像小説

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『螢と鶯 鳴神黒衣後見録』|佐倉ユミ|祥伝社文庫

螢と鶯 鳴神黒衣後見録佐倉ユミさんの文庫書き下ろし時代小説、『螢と鶯 鳴神黒衣後見録(なるかみくろごこうけんろく)』(祥伝社文庫)は、江戸三座に追いつこうと意気込む鳴神座を舞台に、芝居にすべてを捧げる若手役者と裏方を描く、青春群像小説です。

著者は、2018年、「応挙の虎、古井戸の月」で、ライト文芸を対象にした第49回ノベル大賞(主催:集英社)を受賞し、同作を改題した『うばたまの 墨色江戸画帖』(集英社オレンジ文庫)でデビューしました。
その後も、『ツギネ江戸奇譚―藪のせがれと錠前屋―』や『霜雪記 眠り姫の客人』などのライトノベルで活躍しています。

畑で大根を盗んでいた文無しは、江戸三座に追いつこうと意気込む鳴神座の狂言作者・石川松鶴に拾われた。狸八と命名され下働きとなるが、実は大店育ちで掃き掃除さえできない狸八は、一座のお荷物に。だが、舞台で大雨を降らせるという松鶴の出した難題を見事解決。自らの生きる道を見出して……。裏方と若手役者が芝居にすべてを捧げる熱気と狂気の物語。

(『螢と鶯 鳴神黒衣後見録』カバー裏の紹介文より)

一月も終わりの凍える夜、食う物も寝る場所もなく、腹を空かせてどこかの誰かの畑で大根を引き抜いてかじりついていた、その男。「おめぇは今日から、畠中狸八(はたなかりはち)と名乗んな」と言われて、鳴神座の座付きの戯作者の石川松鶴に拾われて、蔵前の芝居小屋、鳴神座で暮らすことになりました。

狸八は、元は麹町の油屋の跡継ぎ息子でしたが、店の金を吉原で使い込んだ挙句、勘当されました。働く気にもなれずふらふらとしているうちに幾月かが過ぎて、その夜、腹が減って畑の中のしなびた大根をかじっていたのでした。

鳴神座は、鳴神十郎を座元とし、お上の許しを得て、江戸三座に挑もうという四番目の一座で、蔵前に芝居小屋を置いています。

「おう、芝居小屋が気に入らねぇか」
 そうではない。どこへだって、置いてもらえるならありがたい。屋根のある場所で寝起きできるなら、それだけで御の字だ。
 だが、同時に心許なかった。客として芝居を観に行ったことならばある。それこそ遊び歩いていた頃は、金に物を言わせて三座の芝居を観たこともある。華やかだった。美しかった。あれは客でいることさえ誇らしい、輝きを放つ場だ。
 そんな場所で今の自分が、何かの役目を負えるとは思えない。それなのに、足は動かなかった。あの凍り付いた畑へ、引き返すほどの度胸もないのだ。
 
(『螢と鶯 鳴神黒衣後見録』 P.14より)

ところが、芝居小屋で下働きの仕事を与えられた狸八でしたが、大店育ちの世間知らずで、掃除もろくにできなければ、風呂も沸かすことができません。松鶴の計らいで、作者部屋付きの見習いの少年・池端金魚について教わって、雑用をやることに。

芝居小屋には、十八歳で鼻筋の通ったきれいな顔をしながらも大根役者の月島銀之丞や、十郎の息子で細身の二枚目、鳴神佐吉、一座の看板役者の一人で普段から女のようにふるまう美しい女形の白河梅之助、一座で一番若い女形にもかかわらず芝居に対しては厳しい紅谷朱雀らの役者たち、松鶴の一番弟子の福郎や二番弟子の最上左馬之助らの裏方など、多彩な人物たちと暮らしています。

鳴神座は、正月から曾我物の芝居を続けていて、二月からは、それに新しい場が付け加えられるのです。狂言作者の松鶴は、山場の仇討ちの場で滝のような雨を降らせたいと。

「どしゃ降りにしてぇんだ」
「どしゃ降り、ですかい」
「こいつぁ仇討ちの夜の雨だ。あの兄弟は親父の仇討ちのためだけに、十数年を生きたのよ。ただの雨じゃあ駄目だ。滝のような雨じゃねえとな。こいつぁ、天から涙だ。親父の悔し涙、おふくろの悲しみ、十郎の喜びと、五郎の誇りだ。それをみんなひっくるめて、ありったけの雨にして降らせるのよ。あの兄弟は舞台の上では泣けねぇ。そもそも涙なんざ見せねぇ男どもだ。だから、代わりに天が泣くんだ。わかるかい。

(『螢と鶯 鳴神黒衣後見録』 P.44より)

滝のような雨が降られたら、役者の台詞が聞こえなくなり、裏方の大道具方も舞台が腐ってしまい、衣裳方も床山も大変だと不満が続出します。
狸八は、作者部屋付きとして雑用をこなしているうちに、少しずつ鳴神座のことが見えてきましたが、芝居小屋で大雨を降らせる手立ては思いつきません。それでも……。

勘当された挙句、拾われた芝居小屋でも何もできずに自棄になっていた狸八が、芝居に全てを捧げる役者たちや裏方たちとともに生活していくうちに変わっていきます。
とくに、若手だけでやるのが慣例の夏狂言は、鳴神座でも役者だけでなく、浄瑠璃方に囃子方、頭取座から作者部屋から裏方から、すべて若手だけで取り仕切ります。

題は『吉原宵闇螢』で、若侍と花魁の悲恋。身請けの決まった花魁と、ふらりと見世を訪れた武士、実は同郷だった二人が惹かれ合い、吉原から逃げ出すという筋です。
狸八は、物語の山場で螢を飛ばす黒衣(くろご)を、銀之丞は花魁に付く新造の鶯の役が配されました。スカイエマさんの表紙装画で、イメージが増幅され、実際に上演される芝居を観ているような面白さがあります。

自身の成長のため、芝居の成功のため、懸命に取り組む若者たちの姿が活写されていて爽快感を覚えます。
芝居町を舞台にした時代小説にはこれまでも傑作がいくつも生まれていますが、また一つ素敵な作品が誕生しました。
続編が読みたくなる、シリーズ化してほしい、楽しみな時代小説です

螢と鶯 鳴神黒衣後見録

佐倉ユミ
祥伝社 祥伝社文庫
2023年11月20日初版第1刷発行

カバーデザイン:芦澤泰偉
カバーイラスト:スカイエマ

●目次

一、雨はしとどに
二、雨音の春
三、まだらの猫
四、螢と鶯
五、宵闇螢

本文279ページ

文庫書き下ろし

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『螢と鶯 鳴神黒衣後見録』(佐倉ユミ・祥伝社文庫)

佐倉ユミ|時代小説ガイド
佐倉ユミ|さくらゆみ|小説家 群馬県出身。 2018年、「応挙の虎、古井戸の月」で、第49回ノベル大賞を受賞し、同作を改題した『うばたまの―墨色江戸画帖』を刊行してデビュー。 時代小説SHOW 投稿記事 著者のホームページ・SNS 佐倉ユミ...