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無双の花

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無双の花
無双の花

(むそうのはな)

葉室麟

(はむろりん)
[戦国]
★★★★☆☆

秀吉から「その忠義鎮西一、剛勇また鎮西一」と激賞され、ことのほか気に入られて“九州の一物”と呼ばれた、戦国武将立花宗茂の生涯を描く歴史時代小説。

 申し訳ござりませぬ、と言って頭を下げた後、誾千代は言葉を続けた。
「恐れながら太閤様は欲得尽くで大名を操り、天下をお取りになられました。太閤様亡き後、豊臣家が欲によって乱れるのは当然の理でございます。されど、さような乱れと関わらずに立てられるべきものが、立花の義だとわたくしは気づきました」
「立花の義か――」
 宗茂は目を閉じた。誾千代に〈立花の義〉を説かれた日のことが脳裏に蘇ってくる。宗茂にとって、これまで生きて来た歳月を思い起こさせる言葉だった。
 
(『無双の花』P.12より)

宗茂は、太閤秀吉によって大名に取り立てられ、朝鮮出兵の際、小早川隆景の寄騎となり、公私にわたって隆景から様々な薫陶を受けた。隆景は、実父の紹運、養父道雪に次ぐ三番目の父とも言える存在で、三年前に没したが、隆景の本家である毛利輝元と隆景の養嗣子小早川秀秋が大坂方についたうえは、宗茂が西軍に属するのは当然のことだった。

物語を通して、「立花の義」がテーマとして描かれていく。

(前略)宗茂の家臣たちは、
「もはや、潮時でござる」
 と逸り立ったが、宗茂は戦況をじっと見守り、
「まだ早い」
 と許さなかった。家臣たちは色めき立った。
「なにゆえでござる。味方が崩れて退きまするぞ」
「それを待っていたのだ。残兵がおっては足手まといになるし、われらの武功も紛れてしまう」
 宗茂がきっぱりと言うと、家臣たちも、なるほど、と顔を見合わせて首肯した。乱戦に際して、宗茂は横合いから攻め込む〈横鑓〉を得意とした。

(『無双の花』P.27より)

宗茂の剛勇ぶり、戦巧者ぶりをうかがい知ることができる場面である。本書では、同じ戦国を代表する武将真田信繁(幸村)も登場し、その生き方、戦いぶりの対照が興味深い。

「死を覚悟した旗を掲げるのは、それだけ生きたいという思いが強いからこそではありますまいか。武士は常に死に場所を捜しまするが、それがしは生きたいと願うことを恥とは思うておりませぬ」
 信繁は宗茂に顔を向けた。
「つまるところ真田の義とは、生き抜くことでござる」
 信繁の言葉に込められた気迫の重みに、宗茂は感銘を受けた。
 
(『無双の花』P.39より)

宗茂は剛勇なだけでなく、義を大切なした武人だが、その妻・誾千代も魅力的だ。

「わたくしは此度の関ヶ原の戦でお前様が負けられてよかったと思うております」
「武家には、負けてよいなどということはないぞ」
 宗茂は苦笑いした。
「いえ、これにて太閤様よりいただいた柳川十三万石がきれいに無くなると思うと、胸がすっといたすのです」
 誾千代は心から嬉しそうに笑った。

(『無双の花』P.50より)

誾千代の言葉で、宗茂は、関ヶ原の戦で負けたのは、実は秀吉ではなかったかと思うようになり、所領を失い一からひとに恥じむ生き方ができるようになった。そして、その生き方を貫いたがゆえに、徳川幕府で後に旧領を取り戻すことを実現させた。

 清正が髭に覆われた口をゆがめてため息をつくと、如水もふっと息を吐いた。
「立花のあのような生き様は苦難がつきまとうであろうが、ひとの心を潤しもする。それが立花の天命かもしれぬな」

(『無双の花』P.81より)

「お前様は西国無双の武将にございます。必ずや返り咲いて、誰にも負けぬ無双の花を咲かせてくださりませ」
「言うまでもない。そのために京に上るのだ」
 宗茂は立ちあがると、襖越しに、
「そなたを迎えに参る日が必ず来よう。それゆえ、さらばとは言わぬぞ」
 と告げた。

(『無双の花』P.98より)

宗茂と誾千代のやり取り、心が通じ合う様を読んでいくと、胸がジーンと締め付けられ、ついにはウルッときて目頭が熱くなった。あー、いい夫婦だなあ。

宗茂と誾千代を描いた歴史時代小説というと、山本兼一さんの『まりしてん誾千代姫』のことが思い出される。タイトルどおり、誾千代の側から描いているので、一緒に読むと戦国最強のカップルのことがよくわかる。

主な登場人物
立花宗茂:筑後柳川十三万石の領主
誾千代:宗茂の妻
戸次(立花)道雪:誾千代の父
高橋紹運:宗茂の父
小野和泉:柳川藩家老
矢島石見:柳川藩重臣
由布雪下:柳川藩重臣
十時摂津:柳川藩重臣
立花三太夫:柳川藩重臣
立花三河:柳川藩重臣
丹半左衛門尉:柳川藩家臣
かの:誾千代に仕える女武者
由ゑ:誾千代に仕える女武者
黒田如水:豊前の領主
加藤清正:肥後の領主
小野作兵衛:清正の家臣
豊臣秀吉
長束正家:秀吉の奉行
徳川家康
本多忠勝:家康の家臣
本多正信:家康の家臣
本多正純:家康の家臣
八千子:宗茂の側室で、近江の豪族矢島秀行の娘
真田左衛門佐信繁:信州上田城の真田昌幸の二男
利世:信繁の妻
細川藤孝
鍋島直茂:肥前の領主
長宗我部盛親:長宗我部元親の四男
菊子:公家葉室頼宣の姫
徳川秀忠
西尾仁左衛門:越前松平家家臣
伊達政宗
片倉小十郎:伊達政宗の家臣
土井利勝:秀忠側近
立花忠茂:宗茂の養嗣子

物語●
慶長五年十月、筑後柳川十三万石の領主立花宗茂が率いる二千の軍勢は柳川城に戻り、その隊列から宗茂と十数騎が外れて、城から南へ一里ほどの宮永村に向かった。宮永村の居館に、四年前から宗茂の妻である誾千代が住んでいた。
十数日間、関ヶ原で行われた徳川家康と石田三成の戦いで、宗茂は石田方の西軍に属していた。宗茂自身は東軍方の京極高次が籠る大津城を攻め落としたばかりで、関ヶ原の戦場には出ていなかったが、関ヶ原での敗報を聞いて急ぎ大坂に引き揚げ、さらに大坂から船で九州へと戻った。
九州では豊前の黒田如水と肥後の加藤清正が徳川方について、柳川城まで押し寄せてくるのは明らかだった。関ヶ原の敗戦により、立花家は存亡の淵に立つことになった。
宗茂は別居している妻の誾千代に立花家をつぶすことになると言わねばならなくなった…。

目次■目次なし

カバー:唐長文様「小丸龍」、表紙:唐長文様「菊葵唐草」
装丁:関口聖司
時代:慶長五年(1600)十月
場所:宮永村、柳川城、肥後国玉名郡腹赤村、千間寺、大徳寺、伏見城、知恩院、宝祥寺、赤館城、茶臼山、大坂城、大坂湾、有明海、ほか
(文藝春秋・1400円・第1刷2012/01/15・第2刷2012/02/05・261P)
入手日:2013/01/22
読破日:2013/01/29

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