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池波正太郎が師事した、大衆文芸作家の明治警察小説の傑作

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『江戸と上総の男』|長谷川伸|捕物出版

江戸と上総の男長谷川伸(はせがわしん)さんの長編小説、『江戸と上総の男』オンデマンド本を紹介します。

著者は、大正から昭和三十年代にかけて活躍した、大衆文芸作家。
当時は時代小説という呼び名は一般的ではなく、純文学に対して、歴史・時代ものを含む娯楽色が強い小説は、大衆文学(大衆小説)と呼ばれていました。
主宰する勉強会「新鷹会」の門下生には村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、平岩弓枝、池波正太郎など、錚々たる時代小説家が名を連ねています。

『沓掛時次郎』『瞼の母』『一本刀土俵入』など、人情の機微を交えて、無宿の渡世人を主人公にした股旅物を開発したことでも知られています。

また、仇討ちものをはじめ、戦国から江戸時代を舞台にした多数の作品を発表しました。
本書は、そんな著者には珍しい明治初期を舞台にした警察小説です。

明治八年、司法省の未決監より三人の未決囚が脱獄した。それを追う警視庁の探偵と逃走する犯人たちを描いた長編警察小説。
設立後間もない警視庁や当時の警察制度が描かれるととともに、脱獄犯が逃走中に次第に兇悪化し、冷酷、残忍、かつ卑劣な人間となっていく描写が秀逸な作品。新鷹会の門下生であった村上元三氏をして「著者の代表作の一つとして残るであろう」と言わしめた傑作。

(Amazonの内容紹介より)

明治八年一月八日の晩、東京・四谷永住町の麹屋横丁の往還で、同町居住の医者関口雲亭が年齢が若い二人の賊に刺されて、重傷を負い、自邸に運び込まれました。
屋敷には、近くの巡査屯所から、少警部大庭智栄と、探偵の石川当四郎が駆けつけてきて、瀕死の関口から犯人について聴取しました。

(前略)「関口先生、我輩は大庭少警部、判りますか少警部大庭智栄ですぞ、賊のことを話してください、必ず引ッ捉えます」
「屯所のお方か――話します。この話をあんた方の耳に入れるまでは、決して死ぬまいと、精神を励まし、ただ今に至った。さ、お聞きください、今日午後五時五、六分過ぎ、一人の人力車夫が参りました、御用の筋これあり、即刻参らるべしと宮内省から御呼出し状を持参で」

(『江戸と上総の男』P.6より)

宮内省御用医者の関口は、呼出しを告げた車夫の姿はなく、支度をして辻車を雇い宮内省へ急ぎましたが、省内のいずれの係からも呼出し場を発しておらす、何かの間違いだろうと帰途につき、宮内省のある青山から四谷永住町まで歩いて帰ることに。

自宅近くの麹屋横丁で、だしぬけに背後から組みつかれ羽交い絞めにされ、前の方の曲者に帯を掴まれ、腹を短刀でズブリと刺されました。
そのとき、関口はいつも付けている胴巻が切り裂かれ、中の金銀は旧幕時代の金で百十両あったと言います。

強盗を働いたのは、元旗本の息子で彰義隊崩れの二十四歳の志田明と、御家人の息子で同い年の黒原三光の二人組でした。

(世の中はすべてひッくり返った、今まで上にあったものが下になり、下にあったものが上になり、古いものはみんなイケないが新しい物ならみんないい、そういう時勢だからん、寺はブチこわす、仏像は燃やして灰にする、面白い世の中になったのだからね、僕だって働くのがいやになったから働かないで済ます気だ。四百五十石の旗下の嫡男でいたのだったら、四百五十石の手前もあるから名誉を大切にする僕だったろうがね、世の中が変って、零落するとともに僕には名誉などは縁無きものとなったのだからね、だれが何をやっても僕はいいさ、現に僕は君が盗賊をやっているのを知っていたが知らぬふりでいたのだから)

(『江戸と上総の男』P.40より)

内務省の勤めをクビになった明は、女遊びを通じて友だちとなった三光の下宿に同居していました。その日、明は散歩に連れ出され、三光から突然短刀を渡され、強盗に早変わりしてしまいます……。

旗本の嫡男だった明は、その立場が百八十度ひっくり返った維新を経験して虚無になるとともに、物語の展開に沿って、素地にある粗暴な部分が顕在化してゆき、どんどん悪いヤツになっていきます。
存在感のあるアンチヒーロー像が惹きつけます。

後に彼と行動をともにするのが、落語家の弟子ながら、大久保利通邸に賊として押し入ったとして捕らえられて入牢する、二十四歳の上総出身の大原影次郎です。

二人の悪者(犯罪者)が縦横無尽に暴れ回る、明治ピカレスクロマン(悪漢小説)。
江戸から上総、安房へ逃げる二人を追う警察。当時の警察内部や捜査の進め方の描写がリアルで、物語に引き込まれます。

漢字表記や言葉の使い方など多少古びたところもありますが、それらがかえって明治という時代を風俗や気質も含めて伝えています。
先の展開が読めない痛快なストーリー、犯人ばかりか警察側の人物造形も魅力的で、著者の門下生の村上元三さんが「著者の代表作の一つ」と言うのも頷けました。

捕物出版|Twitter

江戸と上総の男

長谷川伸
捕物出版
2022年2月20日 オンデマンド版初版発行

装画:名取春仙「江戸と上総の男」挿画
出典:「防犯雑誌 蜘蛛」昭和27年10月号(日本防犯協会連合会発行)

目次
関口雲亭殺し
解放後の新宿
戦友
落語家白浪
大久保利通邸
縁切り言葉
士族屋敷の血
神田の紙幣
探偵費の不足
房州長尾四万石
地獄の址
恩田豹太
海の中の手
老巡査殺害
車上の男女
黒い袋頭巾
強盗狩りの人数
墓のある敗者
破獄囚の最期

本文300ページ

本書収録作品の底本は、以下の通り。

『長谷川伸全集 第八巻』朝日新聞社、昭和46年9月15日発行
※『江戸と上総の男』光風社、昭和35年8月20日発行を参照して訂正を施した箇所あり

初出
「防犯雑誌 蜘蛛」昭和26年1月号~27年10月号連載(東京防犯協会連合会)

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長谷川伸|時代小説ガイド
長谷川伸|はせがわしん|小説家、劇作家 1884年-1963年。神奈川県横浜市生まれ。 新聞記者を経て、小説家となる。 1956年、第4回菊池寛賞受賞。 1962年、第32回朝日文化賞受賞。 時代小説SHOW 投稿記事 →長谷川伸の本(Am...