弩
(ど)
下川博
(しもかわひろし)
[南北朝]
★★★★☆☆

南北朝時代の因幡(鳥取県)の小さな村を舞台にした、映画「七人の侍」を想起させる傑作時代小説。

作者の下川博さんは、プロフィールによると、1948年生まれで、NHKで放送された「武蔵坊弁慶」や「はやぶさ新八御用帳」などのテレビ時代劇の脚本家として活躍されてきた方だそう。

「捨身飼虎」が性全の信条で口癖である。師である忍性の信条と口癖がそのままうつったのだという。捨身飼虎とは釈迦の前世の人である薩た王子が、飢えた虎の空腹を満たすために自分自身を食わせたという物語で、これは法隆寺の玉虫厨子の側面にも絵画として描かれていて現在でも名高いが、衆生を救うためならば我が身をも滅ぼすという筋立ては大乗仏教思想の真髄とされている。

(『弩』P.27より)


(前略)性全は不自由な身体と口を懸命に動かして答えた。同じ言葉を繰り返しているようだが、不明瞭で何を言っているのか聞き取れない。
 早々に自室に下がった。下がった途端にわかった。性全は口癖の捨身飼虎を連呼していたのだ。
「捨身飼虎。献身的に衆生に尽くせか」と呟きながら、暫し光信は茫然としていた。

(『弩』P.39より)


「捨身飼虎」の言葉とその精神は、性全の弟子の光信に引き継がれていき、物語の主題になっていく。

「いいや、これとそれとには、最初は何の係わりもなかった。おまえが幼き頃、神領興行法というものが発せられたのだ」
「神領興行法?」
 元寇の余波とも言うべき政令だった。当時、文永・弘安と二度の蒙古襲来の記憶はいまだ生々しく、三度目の襲来があるのではと鎌倉幕府は怯えていた。蒙古撃退の神風は神社仏閣の祈祷によって吹いたと信じられていたので、引き続き祈祷を欠かさぬように全国の主だった社寺に依頼したのだが、その依頼料が土地だったのである。
 
(『弩』P.33より)


鎌倉の真言律宗の寺、称名寺(今も横浜市の金沢文庫の近くに現存する)の領地が、なぜ遠く離れた因幡国にあるのか、最初奇異に思ったが氷解した。

→Wikipedia 称名寺

「吾輔さんは商人になりたいのか?」
「まあ、そういうこった」
「武士はどうだ? 戦があったら一旗あげられるぞ」
「商人が面白え。品物と品物、銭と品物をとりかえて、どっちも得をしたって思うから商売が成り立つ。武士はどっちかが得をすりゃどっちかが損をする生業だ。俺に言わせりゃ武士になりたがる百姓なんぞの気がしれねえ」

(『弩』P.48より)


主人公の吾輔の行動が爽快に思えるのは、こんな思いで商いに取り組んでいて、村のためという大義をもっているからである。

十年後、村は旧領主の東兄弟が率いる武士集団によってたびたび襲われる。吾輔が率いる村人たちは、義平太によってもたらされた新型の弓兵器「弩」で対抗する。壮絶な戦いが繰り広げられる…。

クライマックスの戦いに向かうまでの過程を丹念に描くことで、南北朝という時代を活写しているとともに、自分たちの村を守ろうとする、吾輔ら村人への共感が高まってくる。予備知識が乏しく土地勘もなくて読みづらいと思われた設定だったにもかかわらず、物語の世界を大いに楽しめた。

主な登場人物
吾輔:因幡国智土師郷の農民、作人の身分
澄:吾輔の娘で、十二歳
金蔵:村の長老で世話役
銀蔵:金蔵の息子
文次:智土師郷の農民、作人の身分
鼻糞源兵衛:智土師郷の農民、村の世話役
太郎兵衛:源兵衛の息子
梶原性善:鎌倉六浦の真言律宗称名寺の高僧で、智土師郷の雑掌
光信:性善の弟子で、本の虫
良勇:称名寺の僧
甚八:下人
義平太:山師で、楠木正成の郎党
小萩:義平太の妹
権:義平太の朋輩
大江左衛門尉兼久:称名寺の臨時の代人
東盛義:土師郷の領主
東盛次:盛義の双子の弟
彦次郎:盛義の執事
喜世三:薬屋の主人
磯の次郎次:因島の海賊
政子婆:次郎次の母親
佐助:番人
日向出身の酌婦
仁蔵:播磨国出身の作人
佳助:石見国出身の若者、自警団の長
善太:石見国出身の若者
義正:吾輔の息子
義成:吾輔の息子
妙高:称名寺から来た新しい雑掌
満江:文次の女房
平貞泰:船岡の領主
楓:村の娘で、澄の秘蔵っ子

物語●南北朝時代、因幡国・智土師郷は、鎌倉の称名寺の領地になったが、雑掌(領主の代官)がおらず、九年間、前領主の東盛義が居座り年貢を横領していた。称名寺から高僧の性全が派遣されるが、旅の途中で病に倒れる。代わりに弟子の光信が雑掌代理として、智土師郷に向かうことに。
子持ちで男やもめの吾輔は、作人(小作農)ながら知恵があり腕っ節も強く度胸も天下一品で、村の寄合を実質上仕切るほど。ある日、吾輔は舞茸採りに出かけて、土師川の源流近くで、山師の義平太と小萩の兄妹に出会い、すぐに意気投合する。
智土師郷にやって来た光信は、師の性全が掲げた「この地を仏法の花咲く桃源郷」にすることを目標に、村を治めていく。吾輔は光信の協力を得て、特産の渋柿で商いを興すことに取り組み始めるが…。

目次■はじめに/第一部/第二部/解説 北上次郎

装画:茂本ヒデキチ
カバーデザイン:百足屋ユウコ(ムシカゴグラフィックス)
解説・北上次郎
時代:元徳二年(1330)
場所:因幡国智土師郷、東海道橋本宿、智頭、岩井、尾道、因島、船岡、新見庄、那岐神社、ほか
(講談社・講談社文庫・724円・2012/07/13・第1刷・418P)
入手日:2012/12/07
読破日:2012/12/20

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