吉原暗黒譚


吉原暗黒譚
吉原暗黒譚
(よしわらあんこくたん)
誉田哲也
(ほんだてつや)
[捕物]
★★★★☆

「姫川玲子」シリーズや「ジウ」シリーズなどの警察小説や『武士道シックスティーン』などの青春小説で人気を集める誉田哲也さんの時代小説デビュー作。文庫巻末の末國善己さんの解説を読んで知ったのだが、この作品は、2004年4月に学研M文庫から書き下ろしで刊行された、2013年2月時点で著者の唯一の時代小説だという。

本作品をこれまで見逃していたというのは、時代小説ファンとして、うかつだったとしか言いようがないなあ。

 冷たく凍えた夜空の雲が、今宵も小豆色に染まって見える。
 不夜城、新吉原。廓の中央を貫く大通り、仲ノ町に連なる引手茶屋。その上下のひさしに果てなく並ぶ提灯の赤は、空の色まで塗り変える。何もかもが外界とは違う町、江戸唯一の公認遊里。男の肉欲と女の欺瞞が渦を巻く、ここは暗黒桃源郷。

(『吉原暗黒譚』P.9より)


現代犯罪小説をイメージさせるようなトーンの描写で物語は始まる。主人公の北町奉行所同心で、吉原大門脇の面番所詰めの今村圭吾が登場する。奉行所の自分の机で書き物などをしていると、「ここは自分の居場所ではない」と感じ、吉原という町が「嫌いではない」と答える。

その吉原で、黒い狐面を被った集団による花魁殺しが連続して起こり、今村が面番所に詰めているときにも、新たな殺しが起こる。殺された花魁はいずれも山谷に女衒の巣窟を構える晴海屋の丑三の抱える遊女たち。

丑三は、花魁を吉原の小見世や中見世に期日を切って貸し出す、貸し花魁という商売をしていた。花魁と呼ばれる遊女には、「呼出し」「昼三」「附廻し」の三つの格があり、呼出しや昼三は大見世にしかおらず、中見世には附廻しがいるだけで、小見世は花魁がいるはずがなかった。それを押さえたうえで読むと、なかなか興味深い設定である。

北町同心とはいえ、吉原の門番役をさせられて、本来同心一人につけられる中間まであてがわれない今村のパートナーになるのが、女髪結いの彩音。彩音のキャラクターが何ともユニーク。生まれは忍びで、両親ともに伊賀者のくノ一だが、わけあって吉原の遊女に、そして材木商の隠居に請け出されて、その隠居も天寿を全うとうことで、身請けの三日後に亡くなる。

 また彩音は、一対一なら相手の刀をいつまでも避け続けることができる。それは「風眼」と呼ばれる忍の極意だという。たとえば人は崖から落ちたとき、とっさに枝や岩を掴んで九死に一生を得ることがある。彩音によると、それは命の危険を感じたとき、人は物の色を見ることをやめ、形と動きを見ることに集中するからだという。色を無視すると、動きが鈍って見えるのだという。

(『吉原暗黒譚』P.142より)


漫才の掛け合いのようであり、ときにはエロチックな関係にもなる、今村と彩音、二人のやり取りが面白い。

 北町奉行所を出て常盤橋を渡り、大伝馬町、小伝馬町を抜ける。さらに馬喰町を過ぎると浅草御門。もう少しいけば神田川が大川と交わる手前に柳橋。ここまでくるとようやく船宿が見えてくる。
 さあ、ここからが考えものだ。百四十八文払って猪牙舟に乗るか、このまま橋を渡って蔵前を抜け、延々大川沿いを山谷堀まで歩くか。百四十八文あれば軽く昼飯代が浮く。そばと天麩羅を食って、まだ寿司もつまめる。

(『吉原暗黒譚』P.76より)


初めての時代小説作品ということもあり、吉原のことばかりでなく、作者が実によく江戸のことを調べて書いていることがわかる。

 だから奇天烈だというのだ、この町は――。
 なんの前触れもなく、日に一度はそんな思いが腹に湧く。そして可笑しくなる。泥沼にぽこりと立つ泡のようだと自嘲する。汚いところから臭い匂いが立ち上る。そんなものを思い浮かべる。
 今村は自分の腹の汚さを自身で承知しているつもりだ。だまされたくないとは思いながら、その実、自分が他人を出し抜くことには躊躇がない。それを自ら許している。

(『吉原暗黒譚』P.174より)


物語には、もう一組の男女が登場する。浅草観音の参道で楊枝をうる娘おようと、同じ長屋に暮らす大工の幸助。

 俺が、おようさんを守るから――。
 何から守る。持病からか。幼い頃のつらい思いからか。それもやはり、気休めに過ぎない。
 だが、この気持ちだけは分かってほしいと思う。心に深い傷を抱えていようと、我を忘れるときがあろうと、自分はおように惚れている。すべてひっくるめて、おようを丸ごと、大事に守っていくという、この決意を。

(『吉原暗黒譚』P.234より)


ちょっとダークなテーマを扱いながらも、読み味を良くしているのは、こうした描写があるからかもしれない。

ほかにも個性的な人物が登場し、緻密でありながら、クライマックスまで一気に読ませる作者の物語展開力が見事。およそ十年前の学研M文庫刊行時に読み逃していたことは残念だったが、こうして文春文庫から復刊して読む機会を得られたことは大きな収穫だ。

誉田さんには、ぜひまた時代小説を書いてほしいと切に願う。今村と彩音の新たな活躍を読みたいのだ。

主な登場人物
今村圭吾:北町奉行所同心で吉原大門脇の面番所詰め
たえ:今村の妻
西岡:今村の同輩の同心
矢野:今村の先輩の古株の同心
三好:北町奉行所の物書役
八助:岡っ引
小坂:揚屋町「駒屋」の花魁
豊浦:揚屋町「小林屋」の花魁
晴海屋丑三:山谷にいる女衒野本締め
彩音:女髪結いで、元吉原遊女の姫松
幸助:浅草西仲町の吉太郎長屋に暮らす、大工
およう:幸助と同じ長屋に住み、浅草観音の参道の楊枝屋の売り子
おせい:楊枝屋の内儀
鹿之助:幸助の親方
彦市:吉原の「始末屋」
東山仙右衛門:南町奉行所隠密廻り同心
寅吉:口入屋の主
鶴之助:呉服屋河島屋の番頭
長兵衛:呉服屋新田屋の主人
おこん:長兵衛の内儀
庄三郎:新田屋の番頭
徳平:新田屋の手代
小太郎:新田屋の手代
おいと:日本橋の小間物屋みなと屋の内儀
五郎左衛門:面打職人

物語●
「で、出たァーッ、狐面だァーッ」
江戸・吉原の花魁小坂が、黒い狐面をした黒ずくめの四人の集団に襲われて殺された。吉原大門脇の面番所に詰めていた、北町奉行所同心の今村圭吾は、狐面の一人をあと一歩の所まで追いつめるが取り逃がしてしまう。
狐面が殺した遊女は小坂で三人目。いずれも吉原の北東、山谷にある女衒の元締・晴海屋の丑三が抱えて、吉原の中見世や小見世に期日を切って貸し出した花魁だった。今村は、丑三に、五百両で片をつけると持ちかけた…。
一方、大工の幸助は思いを寄せる、同じ長屋に住む楊枝屋の売り子のおようの異変に気付く…。

目次■序章/第一章/第二章/第三章/第四章/第五章/終章/解説 末國善己

写真:ゲッティイメージズ
デザイン:石崎健太郎
解説:末國善己
時代:明記されず
場所:新吉原、山谷、浅草西仲町、八丁堀組屋敷、山谷堀、大伝馬町、本願寺参道、浅草、日本橋、田原町三丁目、ほか
(文藝春秋・文春文庫・590円・2013/02/10第1刷・311P)
入手日:2013/05/01
読破日:2013/05/19

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