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江戸時代の農村は豊かだった。本好きのための人間賛歌

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『本売る日々』|青山文平|文藝春秋

本売る日々青山文平(あおやまぶんぺい)さんの時代小説、『本売る日々』(文藝春秋)紹介します。

小説や時代劇を通じて、飢饉や重い年貢により娘を女衒に売ったり、一揆を起こさざるを得ない農民たちがいたことから、江戸時代の農村は貧しく、農民は武家に虐げられていたという固定観念を持っていました。

江戸時代、富の源泉は農にありました。綿が、生糸が、紙が消費を爆発させ、経済を拡大させたのです。けれど、兵農分離で土地から切り離された武家は、この分配に与れず、窮乏を強いられた。時代を変革するのは村だったのです。村を、名主/庄屋の暮らしを知ると、江戸時代はもっと味わい深くなります。この物語は、学術書を行商して歩く本屋の目を通して、村と村が発展した在郷町の住人たちの、生き生きとした暮らしぶりを描いたものです。

(『本売る日々』カバー帯の作者の言葉より)

ところが、本書のカバー帯で、著者は「江戸時代、富の源泉は農にあった」と言います。江戸後期になると消費経済が急激に発達し、その恩恵は武家ではなく、生産者である農村にあったという指摘に目からウロコが落ちました。

本書は、農村の経済を主導している名主たちに、本を行商して売る本屋を主人公にした連作形式の人情時代小説です。

 やはり、そうだ。
 何度、目で改めてそうだ。
 私は大きく息をつく。
 二冊がなくなっている。
 苦心して手に入れた三集の二冊がなくなっている。
 
(『本売る日々』 P.41より)

文政五年(1822年)。
本屋の松月堂平助は、上得意である小曽根村の名主惣兵衛を訪ねました。七十一歳の惣兵衛は、孫娘ぐらいの歳の後添えサクをもらったばかり。
少女のようなサクに「何か見せてやってほしい」という惣兵衛の頼みで、清で開板された画譜で絵を学ぶ者に人気の『芥子園画伝』の三集四冊を見せることにして、席を外しました。

しばらくして書斎に戻ると、サクの姿はなく、見せていた本のうち二冊が無くなっていました。

サクが持っていったに違いないが、惣兵衛にそのことを言うと、上得意である惣兵衛との縁は永遠に切れるだろう。
商売で大きな金銭上の難問を抱えた上に、『芥子園画伝』は七年がかりでそろえようとしている買い手がついていました。
商い上の大きな岐路に立つ平助に対して、惣兵衛の様子もおかしく……。(「本売る日々」より)

人生の終盤で出会ったサクを全力で守ろうとする惣兵衛に対して、平助のかけた言葉は意外なものでした。

 本好きなら、誰だって本がかわいい。蔵書が愛しい。そのかわいさを、愛しさを語りたい。人と分かち合いたい。でも、飼い猫の愛しさを語るように、語るわけにはゆかない。幾度か場をこなせば、蔵書に限っては、自分がわかってほしいようにわかってもらえることなどありえぬのを思い知るからだ。
 書庫の愛しさが通じないのは、猫の愛しさが通じないのと同じではないことも、胸に刻み込まれる。猫は猫だ。自分ではない。けれど、書庫は自分そのものだ。書庫を否定されるのは、自分が否定されるのに等しい。だから、わかって欲しい相手ほど、書庫を語るのに臆病になる。
 
(『本売る日々』 P.72より)

猫好きと比較して、本好きの心理をうがった描写にドキッとしました。
平助は、行商のかたわら町で本屋を営んでいました。商いで本を扱う本屋の存在価値の一つが描かれていました。

この語句が出てくる「鬼に喰われた女」の話では、八百比丘尼伝説が主題になっています。たまたま人魚の肉を食べてしまった娘が十五、六の姿のままで歳をとらず、尼となって八百年を生きたという伝説は多くの土地に残っています。

『まこと』と『すなお』について考えさせられる、ちょっと怖くて美しい、余韻が残る物語です。

隣国の在郷町で紙問屋を営んでいる弟佐助が、平助の本屋にやってきました。十一歳になる娘矢恵の病平癒祈願に当地の白根不動尊にきたかたわら、名医を探していると。
佐助は土地の者に、西島晴順という先生を紹介されましたが、その評判を兄の平助に聞くためでした。

ところが、ずっと病知らずで三十半ばの今日まで、医者にかかったことがない平助は城下の医者とはつながりがありません。
店の顧客に、西島晴順のことを聞くと、七、八年前はあやふやな病の見立てをする信用できない医者でしたが、近年は評判のいい医者になっているといいます。

名前はそのままで人が入れ替わったのでしょうか。
それとの本人が変ったのでしょうか。
変ったとしたら、何で変わることができたのでしょうか。
次から次へと疑念が浮かんできて、平助は調べることに……。

「初めての開板」では、本の力を再認識させられ、書物の果たす大きな役割について考えさせられます。
登場人物が言う、「それはもちろん、あなたが本屋だからですよ。この国で唯一の本屋だからです」という言葉が胸を打ちました。

この人情小説は、江戸時代の農村と物之本(専門書)を取り巻く人びとが活写されていて興味深いばかりでなく、本好きのための賛歌となっています。
ああ、自分も本好きでよかったと、しみじみと思いました。

この本の装幀も凝っています。
村田涼平さんの装画が描かれた表紙は、下半分にしか文字が入っていません。
帯を外してみると、そのシンプルなデザインが際立ちます。
カバーを外すと、縹色の本体の装幀は、四つ目綴じの和装本風で本書のオマージュとなっていました。

本売る日々

青山文平
文藝春秋
2023年3月10日第1刷発行

装画:村田涼平
装丁:大久保明子

●目次
本売る日々
鬼に喰われた女(ひと)
初めての開板

本文237ページ

初出誌:「オール讀物」
「本売る日々」2021年9、10月号
「鬼に喰われた女」2022年9、10月号
「初めての開板」2022年3、4月号

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『本売る日々』(青山文平・文藝春秋)

青山文平|時代小説ガイド
青山文平|あおやまぶんぺい|時代小説・作家 1948年生まれ。神奈川県横浜市出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。 1992年、『俺たちの水晶宮』で第18回中央公論新人賞を受賞。 2011年、『白樫の樹の下で』で第18回松本清張賞を受賞...