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二人の身元をそれぞれに追う、定町廻り同心の父と息子

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千野隆司(ちのたかし)さんの『わすれ形見』を読む。「南町同心早瀬惣十郎捕物控」シリーズの第六弾である。、このシリーズはいずれの作品も、趣向を凝らしたサスペンスに満ちたスピーディーな展開で、ミステリーのツボも押さえていて、上質な捕物小説になっている。

さて、物語は、産婆(といってもまだ若く二十一だが)のおりきと、早瀬惣十郎の養子で九つの末三郎(まつさぶろう)が、鉄砲洲稲荷で身重の女を助けるところから始まる。おりきの手で赤子は無事取り上げたが、女の命は救うことができなかった。名前も素性も知らないこの女の身元を探る唯一の手がかりは、古い守り袋に入った『畠山家』の系図が書かれた紙切れで、裏には『けないにし』とひらがなで走り書きがされていた。

一方、惣十郎は、永代橋近くの杭にひっかかっているところを発見された、相撲取りのような体のでかい男の身元を追っていた。男は大勢の者に寄ってたかって嬲りものにされた末に、身元がわからないように顔をつぶされて、川に投げ込まれたものと思われる。身元を探し出す、唯一の手がかりは、左の内股、股間にちかいあたりにある軍配の絵柄の彫物だけだった…。

厳密にはダイイングメッセージとはいえないかもしれないが、死体(被害者)に残された手がかりをそれぞれに追う、おりき・末三郎と、惣十郎と手先たち。スリリングな発端から、物語に引き込まれていった。

このシリーズのもうひとつの魅力は、惣十郎と妻の琴江、そして二人の養子となる、親戚中の鼻つまみ者の末三郎の三者間で育まれていく信頼感と心の通じ合い、そして新しい家族関係である。ハードボイルドな物語に、人の血の通ったぬくもりを与えている。

 惣十郎と琴江は夫婦となって十年になるが、子どもに恵まれなかった。すでに祝言の相手が決まっていたのを、惣十郎が無理矢理に貰った二つ年上の姉さん女房である。仲は良かったが、五年六年と歳月が過ぎると、互いの存在が水のように淡くなった。そしてその頃から、定町廻り同心としての御役目に脂が乗り始めた。

 多忙を極めたのである。

 愚痴を聞くこともなく、日々の出来事について語り合うこともなくなっていた。いくつもの小さな約束を破り、ささやかな期待を裏切った。気がつくと、夫婦の間に思いがけない深い溝ができていた。

(『わすれ形見』P.32より)

今回の登場人物の中では、朱鞘の侍・黒江仙八郎が得がたいキャラクターで、強く印象に残る。