『安倍宗任伝 前九年・後三年合戦』|平谷美樹|実業之日本社
平安時代中期、奥州を舞台に起こった前九年・後三年合戦について、これまで関心が薄かったこともあり、対立の構図や合戦の経緯、結果を十分に理解できずにいました。
ところが昨年、真保裕一さんの『源家物語』(徳間書店)と、平谷美樹さんの『安倍宗任伝 前九年・後三年合戦』(実業之日本社)が相次いで刊行されたことで、理解が一気に深まりました。今回は、その中から『安倍宗任伝 前九年・後三年合戦』をご紹介します。
「前九年・後三年合戦」とは
「前九年合戦」とは、永承六年(1051年)から康平五年(1062年)にかけて、朝廷軍を率いた源頼義と、陸奥国奥六郡の豪族・安倍一族との間で繰り広げられた、十二年にわたる戦いを指します。
一方の「後三年合戦」は、永保三年(1083年)から寛治元年(1087年)までの三年間にわたり、安倍氏に代わって奥州を支配していた清原氏の内紛に、朝廷軍の源頼義の子・義家が介入して起こった戦いです。
前九年合戦で安倍氏が滅亡した後、約二十年の平穏な時代を挟んで後三年合戦が勃発しました。戦いの結果、藤原経清の子で、一時は清原清衡と名乗っていた藤原清衡が、義家の助力もあって生き残り、奥州藤原氏の初代当主となります。
なお、前九年合戦は実際には十二年間に及ぶ戦いでしたが、後世の史書の記載により、十二年から後三年の三年を引いた「前九年」という呼称が定着したとされています。
また、朝廷と蝦夷の戦いであることから「前九年・後三年の役」とも呼ばれてきましたが、「役」には異民族との戦いという含意があるため、近年では「合戦」という呼称が用いられることが多くなっています。
あらすじ
平安中期、陸奥国奥六郡(現在の岩手県)を治める豪族・安倍氏は、幾度となく攻め寄せる朝廷軍を、一族の長・安倍頼良、若き勇将である貞任・宗任兄弟らの奮闘によって退けてきました。
しかし、親王の密偵・木幡橿几(こはたの・かしき)の策略と、鎮守府将軍・源頼義、義家親子が率いる朝廷軍の前に次第に追い詰められ、滅亡の危機に瀕します。そこで宗任が繰り出した、驚くべき秘策とは――。
朝廷軍と安倍軍が死闘を繰り広げる前九年合戦、そしてその後、陸奥の治政を任された清原氏の内紛に義家軍が介入し、奥州藤原氏誕生の契機となる後三年合戦を、宗任の流転の生涯とともに描いた大河巨編です。(『安倍宗任伝 前九年・後三年合戦』カバー帯の紹介文より抜粋・編集)
ここに注目!
『源家物語』が源氏、すなわち源義家の側から前九年・後三年合戦を描いているのに対し、本書は陸奥国の蝦夷の側から戦いを描いている点が大きな特徴で、非常に興味深く読み進めることができました。
物語は安倍氏・清原氏側の視点で語られるため、一族の一人ひとりが丁寧に描かれています。とりわけ、安倍頼良の八人の息子と三人の娘が、それぞれの役割や言動を通して立体的に描写され、一族の強い紐帯が鮮やかに浮かび上がります。滅亡へと向かいながらも、未来に一縷の望みを託す刹那な思いに、胸を激しく揺さぶられました。
詳細に描かれる戦闘場面の連続では、数的に不利でありながらも戦巧者として立ち向かう安倍一族の戦いぶりが際立ち、圧倒的な臨場感に引き込まれます。
蝦夷に同情を寄せる温厚な源頼義と、若者らしく功名心が強く好戦的な義家という人物造形も見事です。また、想定外の方法で蝦夷を翻弄していく親王の密偵・木幡橿几の存在が、敵役として物語の興趣を大いに高めています。
一族にとっては不条理とも言える敗戦と悲劇を描きながらも、後味の良い読後感を残すのは、蝦夷側への深い共感と哀歓を寄せる、岩手県在住の著者ならではの筆致によるものでしょう。
今回取り上げた本
書誌情報
『安倍宗任伝 前九年・後三年合戦』
平谷美樹
実業之日本社
2025年8月1日初版第1刷発行
装画:朝江丸
題字:伊藤康子
装丁:加藤岳
目次
第一部 前九年合戦
第一章 鬼切部の戦い
第二章 阿久利川事件
第三章 黄海の戦い
第四章 小松柵の戦い
第五章 鳥海柵
第六章 厨川
第二部 後三年合戦
第七章 虜囚
第八章 陸奥へ
第九章 最後の戦
終章 大宮人は如何がいふらむ
ソフトカバー
本文509ページ
初出
胆江日日新聞「大宮人は如何にかいふらん」2019年6月1日から2023年3月12日まで連載。単行本化に際し改題の上、大幅に加筆・修正したもの。





