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疱瘡が流行る江戸の町と人を活写する、捕物帳の新たな到達点

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『惣十郎浮世始末』|木内昇|中央公論新社

惣十郎浮世始末木内昇(きうちのぼり)さんの時代小説、『惣十郎浮世始末』(中央公論新社)は、老中首座水野忠邦が大がかりな政治改革を行った江戸天保期を舞台にした捕物小説です。

著者は、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビューし、2011年に『漂砂のうたう』第144回直木賞を、2014年に『櫛挽道守』第9回中央公論文芸賞、第27回柴田錬三郎賞、第8回親鸞賞の三賞を受賞されました。その後も様々な歴史・時代小説を発表されてきましたが、本格的な捕物小説は本書が初めてとなります。

浅草の火事で二体の骸があがった。同心の惣十郎は犯人を捕らえるが、指示役の足取りは掴めない。一方、町医者の梨春は惣十郎の調べを手伝う傍ら、小児医療書を翻訳刊行せんと奔走していた。事件を追ううちに、惣十郎がたどり着いた驚愕の真実とは。

(『惣十郎浮世始末』カバー帯の内容紹介より)

天保十三年初春一月十六日の夜。
北町奉行所定町廻同心の服部惣十郎は、浅草阿部川町の火事現場にいました。燃えたのは漢方医御用達の薬種問屋で、焼け跡からは二体の骸が見つかりました。
その日は藪入りで主と番頭のほか店にいた者はいなかったとか。
早めに帰ってきた手代の信太に検めさせると、縄で縛られた姿の死体は番頭で、顔も体も黒焦げで判別不能な骸は主人と思われました。

蘭方医・口鳥梨春(くちとりりしゅん)の検屍によると、番頭は毒殺で、真っ黒焦げの死体は損傷が激しいが、珍しい金の入れ歯をし、象牙の根付が残っていたと。
梨春は三年ほど前に米沢から江戸に出てきて、一時は惣十郎の役宅敷地内の借家に住み、今は鉄砲洲で医者の看板を掲げています。
蘭方医学に関して豊富な知識を持っていて、惣十郎とは歳も近く気も置けないことから、何かと頼りにしていました。

調べを進めると犯人を捕らえることができ、番頭殺しは自供しますが、黒焦げの死体については知らないと。

一方、梨春は、生まれ育った出羽国村山郡で、十歳のときに疱瘡(天然痘)が村を襲いました。両親と祖母、兄と二人の妹が相次いで逝き、どうしたわけか、梨春のみがわずかに熱が出ただけで八日ののちに快癒しました。そのときから、梨春は、病の者を救うこと、すなわち医者になることを目指しました。

江戸へ出てきた梨春は、治療のかたわら、蘭書の小児医療書の翻訳本の刊行に奔走していました。
ところが、老中首座水野忠邦もとで、天保の改革がなされていたさなかで、蘭学に対する取り締まりが厳しいこともあって、蘭書を進んで出そうという板元はなかなか見つかりません。

「あっしもご一緒したほうが、よろしゅうございましょうかね。こちらでお待ちすることもできますが」
 佐吉がまた、尻込みをする。
「よろしゅうございましょうかね、じゃねぇのだ。俺が立ち会うのだから、お前が手伝わねぇでどうする」
 一喝すると、彼は首をすくめた。
「ですがね、旦那。あっしはどうも、口鳥先生が恐ろしいんですよ。白皙っていやぁそうなんでしょうが、線が細い上にいつだって青白いお顔で口数も多くぁねぇ。胸の内がまず見えません。なんだか、この世の者とも思われねぇってンですかね。薄気味悪くて」

(『惣十郎浮世始末』P.19より)

年老いた母の多津と下女のお雅、佐吉と役宅内で暮らす惣十郎。
妻は三年前に病気で亡くしていましたが、そのとき、何もしてやれなかったといまだに後悔の念を持ち続けています。

本書の読み味が良いのは、惣十郎の小者をつとめる佐吉の人物造形にも拠っています。怖がりぶりや物事の表層のみで判じる愚直さ、好奇心旺盛な俗物ぶりを見せながらも、惣十郎に己とは全く違うその性格を愛されています。物語のスパイスになっていて、惣十郎との掛け合いは漫才のようんでクスリとさせられます。

また、同僚がよく調べずに大番屋送りの数を喧伝して手柄を誇る中で、惣十郎は並外れた洞察力と推理力で罪を明らかにしても、人を憎まず、むやみに罪人を生み出しません。
「なにがあっても人を憎むな」は幼いころより多くの教えを受けてきた母が繰り返し説かれてきたことだと。

「確かに私はこたび、己の信ずるところを通しておりまする。義といえばそうかもしれません。しかし、やはりこれは、一個のわがままに他ならんでしょう」
「ほう、なにゆえじゃ」
「正義とは聞こえのよい言葉ですが、さようなものは実はこの世のどこにもないと、私は常々思うておりますゆえ」

(『惣十郎浮世始末』P.323より)

惣十郎は、上役の吟味方与力志村に対して、自分の行いに「正義」なる冠を掲げようとは思わないと、己の存念を打ち明けました。
人の数だけ義があるはずという、論理的で、やや観念的なところのある惣十郎は、強すぎず、痛快すぎない、令和の時代に書かれた捕物小説のヒーローにふさわしいのかもしれません。

「浮世」という言葉がタイトルに入り、物語中にも何度か出てきます。
浮世とは、現世のことであり、つらいことの多い世の中や無常のこの世の意味があります。
惣十郎は、哲学者のように浮世のことを知り尽くしているように、事件の真相に向けて一枚一枚皮をはいでいきます。

登場人物のひとり一人がままならないことを抱えて、この世でもがきながら暮らしていく様に胸が打たれます。本書は、捕物小説の形を借りながらも、浮世を活写していく市井小説でもあります。

はじめはどのようにつながるのかわからない、意味不明なバラバラなパーツが組み合わさって形になっていくプロセスに引き込まれ、そんな謎解きの面白さと痛快さを満喫できる捕物小説です。
捕物帳の新たな到達点にあって、目の肥えたファンにおすすめしたい時代小説が誕生しました。

惣十郎浮世始末

木内昇
中央公論新社
2024年6月10日初版発行

装画:五十嵐大介
装幀:川名潤

目次
第一章 天の火もがも
第二章 銀も金も玉も
第三章 沖つ白波
第四章 言問わぬ木すら
第五章 松が枝の土に着くまで

本文542ページ

初出
「読売新聞」2022年10月21日~2023年11月24日
書籍化にあたり、加筆修正を行ったもの

■今回取り上げた本




木内昇|時代小説ガイド
木内昇|きうちのぼり|時代小説・作家1967年、東京生まれ。出版社勤務を経て、編集者、ライターとして活動。2004年、『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。2009年、『茗荷谷の猫』で第2回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2011年、『...