天平の世、平城京を襲うパンデミックと闘う人々を描く感動作

火定澤田瞳子(さわだとうこ)さんの時代小説、『火定(かじょう)』がPHP研究所より刊行されました。

2011年、デビュー作『孤鷹の天』で第17回中山義秀文学賞を、『満つる月の如し 仏師・定朝』で第32回新田次郎文学賞(2013年)を受賞し、『若冲』で第153回直木賞候補(2015年)となった、実力派の若手時代小説家、澤田瞳子さんの最新作です。

時は天平。施薬院に配属された若き官人、蜂田名代(はちだのなしろ)は、仕事に嫌気がさしていた。
そんな中、施薬院では、ひどい高熱が数日続いたあと、突如熱が下がる不思議な病が発生。医師である綱手(つなで)は首をかしげるが、施薬院から早く逃げ出したい名代はまったく気にしない。だが、それこそが京を阿鼻叫喚の事態へと陥らせた、“疫神”豌豆瘡(天然痘)の前兆だった。
光明皇后の兄、藤原房前の家令・猪名部諸男(いなべのもろお)は、かつて低い身分ながら天皇の侍医に抜擢されて宮城じゅうに名を轟かせていたが、無実の罪で捕らえられ徒刑六年という重い処罰が下される。
恩赦によって獄を出て、ひょうなことから房前に仕えることになるも、屋敷に連れ帰った男が“疫神”に冒されていたため、自身も感染してしまう。
屋敷を追い出され、獄で同房だった宇須(うず)と虫麻呂に介抱をされて一命を取り留めたが、目覚めたときにはすでに疫病が都に蔓延していた……。

天平の世、平城京(奈良の都)を襲った天然痘(豌豆瘡)によるパンデミックを描いた長編時代小説です。

高熱の遣新羅使の男の面倒をみると屋敷に連れ勝った諸男。その症状から豌豆瘡(わんとうそう)と診立て治療を施すが、自身も感染して高熱を発して倒れてしまいます。

新羅で流行し、遣新羅使が日本に持ち込んだ病は、諸男が寝込んでいた間に、灰の底の熾火がいっせいに焔を吹き上げる激しさで、京の人々に襲いかかります。
豌豆瘡は病人一人を死に至らせても終わりはしない。患者からその周りの者、更にその周囲の者へと、野火が枯野を焼き尽くす激しさで伝わっていきます。

諸男が連れ帰った官人は、手当も虚しく亡くなります。全身を覆った蛆虫の如き瘡、何かを掴もうとするかのように強張った指、その末期は凄惨な姿をしています。

この病に感染すると、乳幼児や老人、病弱な者ばかりでなく、健康だった成人も、死に至ります。いったん始まり出した感染は、誰にも止められず、都には死骸が累々と重なり、無間の地獄と化していきます。

光明皇后の兄で政界の実力者である、藤原四子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)もこの天然痘により、相次いで病死しています。天平九年(737年)のことです。

施薬院に勤務する官人の名代と、元典薬寮の医師・諸男の二人を主人公に物語は展開していきます。

施薬院は京内の病人の収容・治療を行う施設で、天平二年(730年)四月に、孤児や飢人を救済する悲田院ともに、聖武天皇の皇后・藤原光明子によって設立された令外官です。
配属されたばかりで今の仕事が嫌でさっさと施薬院から逃げ出したいと思っている名代ですが、豌豆瘡の大流行により、多くの人々の死を目の当たりにし、一方では病に立ち向かって奮闘努力する医師と行動を共にすることで、徐々に成長していきます。

一夫の諸男は、己を陥れた者たちや恋人の絹代(きぬよ)ら掌を返したような態度をとる都の人々への憎悪から、宇須が始めた疫病の蔓延に乗じた詐欺に加担していきます。

やがて宇須らに扇動されて、常世常虫の神を信じる暴徒が、京を祓い清めよと、施薬院を襲います。

 疱瘡患者のほとんどは、高熱にあえぎながら死んでゆく。その一方で、彼らを看病する自分たちは、業火の如き疫病がはびこる真夏の京で、人の世の不条理にじりじりとこの身を焼かれているのだ。
 世の僧侶たちは時に御仏の世に少しでも近付かんとして、ある者は水中に我が身を投じ、ある者は自ら燃え盛る焔に身を投じるという。もしかしたら京を荒れ野に変えるが如き病に焼かれ、人としての心を失った者に翻弄される自分たちもまた、この世の業火によって生きながら火定入滅(かじょうにゅうめつ)を遂げようとしているのではないか。
(『火定』P.271より)

タイトルの「火定」は仏教用語で、作品中では、疫病の流行に対して無力さを感じる名代の思いを表しています。

馴染みがなく最初は勝手のわからない奈良時代に戸惑いますが、名代と諸男、二人の主人公を追っていくことで、次第に物語の世界に没入していけます。
気が付くと、天平九年の平城京にいて、疫病が蔓延していく様にハラハラし、病に罹った人々を救う手立てはないのかヤキモキし、主人公の活躍にドキドキとしていきます。

「己のために行なったことはみな、己の命とともに消え失せる。じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。つまり、ひと時の夢にも似た我が身を思えばこそ、わしは他者のために生きねばならぬ」
(『火定』P.182より)

仕事に対して疑問を持った名代に、施薬院の医師・綱手が突き付けた言葉の一部です。絶望的な状況で困難な仕事に取り組み続ける者から発せられた言葉に、私自身も心が震え、ドキッとしました。

パンデミックをテーマにしていて、悲惨なシーンも少なくありませんが、そんな中で人間の真の姿と無限の可能性、愛する力の強さが伝わってきて、明日を生きる勇気を与えてくれる感動作品です。

天平時代を描いた時代小説は、あまり多くありません。
著者の作品では、平城京を陰で支えた女官たちを描いた宮廷青春小説『夢も定かに』もおすすめです。

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『火定』(澤田瞳子・PHP研究所)
『孤鷹の天 上』(澤田瞳子・徳間文庫)
『満つる月の如し 仏師・定朝』(澤田瞳子・徳間文庫)
『若冲』(澤田瞳子・文春文庫)
『夢も定かに』(澤田瞳子・中公文庫)