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深川の美しい光景を切り取った『辰巳八景』

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山本一力さんの『辰巳八景』を読む。琵琶湖の南部の美しい光景を詠んだ「近江八景」をベースにしているのかと思っていたら、縄田一男さんの解説によると、長唄の『巽(辰巳)八景』に拠っているそうだ。なお、「近江八景」は明応9年(1500)8月13日に近江守護六角高頼の招待で、近江に滞在した公家の近衛政家が近江八景の和歌八首を詠んだことが始まりだと言われているが、中国の洞庭湖の名勝を詠った「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」がそのルーツだそうだ。

辰巳八景 (新潮文庫)

辰巳八景 (新潮文庫)

近江八景長唄『巽八景』山本一力版『辰巳八景』
矢(八)橋の帰帆永代の帰帆永代橋帰帆
三井の晩鐘八幡の晩鐘永代寺晩鐘
唐崎の夜雨仲町の夜雨仲町の夜雨
堅田の落雁佃島の落雁木場の落雁
粟津の晴嵐新地の晴嵐佃町の晴嵐
石山の秋月洲崎の秋月洲崎の秋月
勢多(瀬田)の夕照櫓下の夕照やぐら下の夕照
比良の暮雪石場の暮雪石場の暮雪

『辰巳八景』では、深川の8つの美しい光景の中に、8編の心温まる人情話が織り込まれている。第一話は元禄十六年二月一日から始まる。五年前の元禄十一年に佐賀町と霊岸島を結ぶ永代橋が架けられ、去年の十二月十四日には吉良邸に討ち入った赤穂浪士が首尾よく主君の仇を討った後、両国橋ではなく永代橋を渡ったことで広く知られるようになった。

第一話の登場人物の一人、佐賀町のろうそく問屋の四代目、大洲屋茂助は、永代橋に対して格別な思いをいだいている。しかも、初代の頃から、伊予松平家との交誼を得て、商いを発展させていったこともあり、伊予藩と徳川家に対して、深い感謝の念を抱いていた。その茂助にとって、赤穂浪士たちは、幕府の裁定に対して不服を表す反逆者であり、大事な永代橋を汚した輩だった。

ところが、伊予松平家に預けられていた、大石主税以下の十名の切腹が決まり、その仕置場の明かり一切を大洲屋が請け負うことから、茂助は主税の真実の姿を知ることになる…。

そのほかにも、享保の改革が江戸町民にもたらしたことや、田沼政権下での商人たちの振舞、大水や火事に弱い深川の町、火消しめ組の喧嘩、改元特需に見舞われる町飛脚宿、1枚百文の銭貨「天保通宝」が市中を流れ始めたときの様子など、興味深い話が物語の背景に綴られていて、深川町人から見た江戸通史である。