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江戸四宿の一つ、内藤新宿

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内藤新宿は、甲州道中の起点として知られているが、江戸の初めから宿場町であったわけではない。元禄十一年(1698)に、それまで甲州道中の第一宿は高井戸宿だったが、日本橋からの距離が四里と道のりが長くて何かと不便だった。

浅草阿部川町の名主・喜兵衛ら数人の町人たちが、「女こども、老人など、足弱な旅の者も難渋いたします。なにとぞ日本橋と高井戸の中間に、新駅を一宿、ひらかせてくださりませ」と公儀に願い出て許された。四谷大木戸をふり出しに五間半幅の道路を開き、両側に家づくりして宿場の体裁をととのえた。

もと、このあたり一帯は内藤丹後守の持ち地で、そこに宿駅が新設されたことから、「内藤新宿」と呼ばれた。品川や板橋、千住と並び、岡場所が栄えて江戸四宿の一つとなる。

この内藤新宿だが、享保三年(1718)に一度廃止され、明和九年(1772)に再開されその反映は幕末まで続く。昨年、『江戸時代小説はやわかり』にコラムを書くためにいろいろ調べていたら、内藤新宿宿が新設後わずか20年ばかりで廃止され、50年以上たって再開されたということを知った。そして、その詳しい事情を知りたいと思っていた。

その答えが、杉本苑子さんの『冬の蝉』に収録された短篇「墓石を打つ女」に描かれていた。

知行四百石の旗本内藤新五左衛門は、隣に移ってきたばかりの医師棚橋佑庵の妻・百瀬に突然、水が薬の調合に適しているから井戸を譲ってくれと申し入れられる。身勝手な申し分に腹を立てて断るが、棚橋はお匙医(江戸城に詰める歴々の治療に当たる公儀のお雇い医師)だった……。

旗本内藤家とお匙医の棚橋のエスカレートしていく対立ぶりが面白い作品でもある。

冬の蝉 (文春文庫 (す1-29))

冬の蝉 (文春文庫 (す1-29))