【村正】
むらまさ
室町末期の村正は相州正宗の門人と言われている。表裏そろった箱乱れ、互(ぐ)の目乱れなどを焼いて名工の誉れ高く、切れ味抜群のところから徳川家に不吉をなす刀として家康が嫌ったという。
また、節分に柊(ひいらぎ)の葉に鰯の頭を添えて門口にさす習慣が巷にあるが、柳営(幕府)では柊の代りに樒を使うという。三方ケ原で、武田信玄の猛攻撃を受けて浜松城に逃げかえり、籠城していた徳川軍は、その最中に節分を迎えることになったが、柊を用意する余裕がなく、ありあわせの樒を使って間に合わせたという故事による。(00/03/20)