【冠位十二階制】
かんいじゅうにかいせい
作中でも、冠位十二階制の発足にまつわるエピソードが綴られている。聖徳太子は、有名氏族の家に生まれただけで、無能者が大きな顔をして大夫(まえつきみ)になることを改革したかった。冠位制が試行されれば、ややもすれば下に見られがちな渡来系の氏族であっても、能力次第で高位につけるのである。もちろん、既得権にあぐらをかいている保守派の反撥は強い。
冠位十二階制が正式に発表されたのは、推古十一年(603)の十二月。翌年正月には、斑鳩宮、飛鳥朝廷の官人にそれぞれの位が与えられた。中国の五常思想の仁、義、礼、智、信を基本にしたが、最高位に徳を加え、智と信を入れ替え、智は最下位になった。
六つの階位が十二階位になったのは、それぞれを大小二階位のしたからである。徳の場合なら大徳、小徳となる。冠位十二階制は、大化改新で少し改められ、大化三年(647)まで続いた。(00/04/02)