【筆一本】
ふでいっぽん
美成は、寛政9年に、江戸下谷長者町の薬種商・長崎屋の子として生まれ、生活の心配をすることなくひたすら学問に打ち込み、30歳の頃、江戸の学者文人の間で重きをなすようになったという。滝沢馬琴らと交友を結んだのもこの頃。
やがて美成は、「けんどん」という言葉をめぐって、馬琴と絶交することになる。引用の個所は、美成が生家の経営権を譲渡し、著作活動に専念しようと決断したシーンで、馬琴への強い対抗意識が表れている。
馬琴が登場するまで、日本には専業の作家は存在しなかった。本の発行部数も少なく、また著作権や印税などの制度が確立されていない当時、文筆業で生活を維持することは不可能で、作家はすべて、他に堅実な生計の道を確保していた。当時(文政八年ごろ)、馬琴は基本的に原稿料だけで生活を維持し、文筆一筋の生活を実現していた。いわば、日本初の専業作家というわけだ。(99/09/19)