浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)


浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)
浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)
(うかぶせ とりつぎやえいざぶろう7)
岡本さとる
(おかもとさとる)
[市井]
★★★★

武家と町人の間のトラブルを解決する取次屋を天職とする秋月栄三郎が活躍する「取次屋栄三」シリーズの第7作目。人情味あふれる解決ぶりで抜群の読み味の良さが特徴。

「偕老同穴の契り……なんて言いますが、夫婦なんてものは面倒ですねえ……」
「ああ、所帯を持てば今みてえな気楽な暮らしはできねえ」
「それなのにどうして、世の男は口うるせえ女と一緒に暮らそうなんて馬鹿なことを考えちまうんですかねえ」
 外を吹き抜ける冷たい風に身を縮ませながら又平はつくづくと言った。
「さあ、それは恐らくこんな寒い夜に、一人家へ帰る道すがら魔がさすんだろうよ。女房子供がいるってえのも好いもんだな……。なんてな」

(『浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)』「第一話 鬼瓦」P.29より)


栄三郎だけでなく、彼の周囲にいる者たちも実にいい味を出している。

「夫婦というものは長く暮らすと、色恋などはるかに超えた味わいが出るものなのでござるよ」
 と、永井房之助、萩江、お絹に“鬼瓦”を語り、しみじみと夫婦の不思議を説いたものだ。
「いい話だが、やはりおれにはわからぬ……」
 明日戦って死ぬやもしれぬ武芸者に、後ろ髪引かれるものなどあってはいけない――。
 それが松田新兵衛の信条なのである。
「だが栄三郎、おぬしには、そういう夫婦の不思議を、人に説ける男であってもらいたいとおれは思う」

(『浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)』「第一話 鬼瓦」P.77より)


栄三郎の親友で剣術一筋の新兵衛にしても、こんな感じで、その友情ぶりにほっこりとした気分にさせられる。日々の暮らしの中でパートナーのことがやや鬱陶しくなった折など、この“鬼瓦”の話を思い出すのもいいかも。

 店のツケを溜める。あれこれ深川辺りの噂を仕入れに来る。つまらない“取次屋”の仕事を手伝わせる。
 わっちを大事にしたって罰は当たらないさ――そう思いつつ心の底では嬉しい。しかし、さらに心の底を探るとどこか物足りない。
 栄三郎の優しさはお染だけに向いているものでないからだ。
 この男は自分が大事にする者なら誰にでも、何のてらいもなくこんな風に親切にできるのであろう。
 ともかく栄三郎が大事にする一人であることを喜ぶべきか、自分への対応が格別でないことにむしろ怒るべきなのか。
 お染は栄三郎という男の親切に触れると、時として心の内に薄靄がかかるのである。

(『浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)』「第四話 浮かぶ瀬」P.245より)


お互いに好意を持ちながら、なかなか発展しない栄三郎とお染の仲。

「そんならわっちがお天道さまに代わって、お前を拾ってやろうじゃないか」
 そんなにたやすく人が捨てられてしまって好いはずはない。
 お前が世の中はどうしようもなく汚いところだと思うなら、いや世の中は捨てたものじゃないということを思いしらせてやる。
 染次はそう叫びながら、捨吉と相対したのである。
 時に人に対してお節介を焼くことが、自分を玉にする大事な磨き砂になることに、十八の染次は気づき始めていた。

(『浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)』「第四話 浮かぶ瀬」P.261より)


栄三郎は人の機微をよくわきまえているが、お染(売れっ子芸者染次)のほうも大した人間通だ。お互いに世間のことや、他人のことがよく見えすぎているのかもしれない。

さて、第四話のタイトルの「浮かぶ瀬」は、こんなところから付けられている。

「捨吉、こんな歌がある。“山川の 末に流るる 栃殻も 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ”。栃殻ってえのは実が熟してはじけた後の殻ってことだ。実が入っていると重いから川の底に沈みが、空になりゃあ浮かぶことができる。お前は今こそはじけ散って、一度殻になれ……」

(『浮かぶ瀬 取次屋栄三(7)』「第四話 浮かぶ瀬」P.296より)


そして、魅力的な登場人物たちだけでなく、物語の中に、現代の日本人が失った、古き良き時代の道徳観や倫理観が残っていて、その美質がなんとも居心地がよく、読み味の良さにつながっているのだろう。

主な登場人物
秋月栄三郎:京橋水谷町にある“手習い道場”の師匠
松田新兵衛:栄三郎の剣友で、気楽流の達人
岸裏伝兵衛:気楽流の剣の師匠
雨森又平:元軽業芸人で、栄三郎の一番弟子
田辺屋宗右衛門:大店の呉服商で、手習い道場の地主
お咲:宗右衛門の娘で、栄三郎の剣術道場の弟子
お染:居酒屋“そめじ”の女将
こんにゃく三兄弟:霊岸寺のこんにゃく島でよたっていた、勘太、乙次、千三の三人組
駒吉:又平の昔なじみで、屋根葺き
永井勘解由:三千石の旗本
永井房之助:永井家の養嗣子
萩江:房之助の実姉
深尾又五郎:永井家の用人

与兵衛:紙問屋・玉松屋の主人
お絹:与兵衛のの娘で、永井家の奥勤めに行儀見習いに上がる
おたみ:お絹の妹
お常:お絹の母
お志摩:扇屋の娘でお絹の幼馴染み
お袖:玉松屋の元奉公人
お糸:お袖の母
鶴太郎:お袖の義兄
井口竹四郎:人相見
珠かんのお蔦:女掏摸
直走りの兎吉:お蔦の子分
木田忠太郎:小野派一刀流道場主
弘太朗:公儀大番頭・園山美作守の息子
松川庄之助:園山家の近習
おさよ:煙草屋の女主
友造:おさよの息子
弥太、米次:悪党一味
裏飛脚の儀兵衛:悪党の頭目
中沢信一郎:南町奉行所臨時廻り同心
友蔵:聖天町の質屋“丸友”の主
彦造:筆職人
留吉:大工で栄三郎の弟子
長次:左官
山犬の捨吉:借金の取立て
忠三:捨吉の弟分
喉仏の誠二:鉄砲洲の金貸し
土屋弘庵:町医者
おりん:弘庵の医院の手伝いの娘

物語●
「第一話 鬼瓦」秋月栄三郎は、旗本永井勘解由家に、行儀見習いのために奉公しているお絹から、相談を受けた。お絹の父で、日本橋通南に店を構える紙問屋・玉松屋の主人与兵衛が他所に女を拵えているのではないかという噂を聞き、このことが家付き娘の母お常に知られて婿養子の父が家を出るのではないかと案じていた…。

「第二話 女難剣難」松田新兵衛は、通りすがりの三世相を心得る浪人から、“女難の相”が出ていると言われた。その翌日、新兵衛は、自分の懐を狙った女掏摸のお蔦を捕まえる…。

「第三話 おっ母さん」幼なじみの駒吉と、御殿山に花見に出かけた又平は、崖の斜面で御守袋を拾った。中には、木彫りの観音像と迷子札が入っていて、迷子札に書かれた浅草今戸・慶養寺裏のさよさんに、観音像を届けることにした…。

「第四話 浮かぶ瀬」栄三郎は、居酒屋“そめじ”の女将お染の昔なじみの若者・捨吉と知り合ったのは、半年前のことだった。その頃、捨吉は滅法喧嘩が強くて凶暴で、借金の取立てなどをして人から嫌われていた…。

目次■第一話 鬼瓦|第二話 女難剣難|第三話 おっ母さん|第四話 浮かぶ瀬

カバーイラスト:蓬田やすひろ
装丁:カバーデザイン:長谷川正治
時代:文化四年(1807)正月
場所:京橋水谷町、本所石原町、日本橋通南、本所回向院、本所清水町、深川仲町、浅草広小路、田原町一丁目、本材木町五丁目、木場、品川・御殿山、浅草今戸・慶養寺裏、浅草雷門、中の橋北詰、南八丁堀三丁目、ほか
(祥伝社・祥伝社文庫・619円・2012/09/10・第1刷・315P)
入手日:2012/11/29
読破日:2012/12/28

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