薩州隠密行 隠島の謎


薩州隠密行 隠島の謎
薩州隠密行 隠島の謎
(さっしゅうおんみつこう かくれじまのなぞ)
百舌鳥遼
(もずりょう)
[冒険]
★★★★☆☆

実力派の新進作家を起用している宝島社文庫の「時代小説がすごい!」のおすすめシリーズ第4弾は、百舌鳥遼さんの江戸アドベンチャー小説。

本書のヒーローは、江戸の地図王、伊能忠敬。時代小説では、井上ひさしさんの『四千万歩の男』でおなじみ。目次の「○○歩」を見て思い出した。

実は、この作品は、ゲラ(印刷前の原稿)の段階で読ませていただく機会を得た。伊能忠敬が隠密として、幕府にとって鬼門ともいうべき、薩摩入りするというシチュエーションに食指を誘われて、一気読みした。文庫の帯にもサイトを紹介していただいた。

物語は、ロシア船が蝦夷地近海に姿を見せ始め、日本に海防の危機意識が生まれ始めたころの、文化八年(1811)。海外からの脅威ばかりでなく、徳川家による幕藩体制にも経年劣化が見られ始めた、50年余り後に明治維新を迎えるプレ幕末期が時代背景。

「そなたがこうしてお役目を与えられることを内心、不本意に思っていることくらいは儂とてわかっている。だが、儂が誠心誠意、幕府の――いや、この日本国の行く末を憂い、そのために日々心を砕いている真情は理解してくれていると信じたい。だがらこそ、そなたはこれまでも面倒なお役目を果たしつづけてくれたのであろう。此度もまた、儂はその心意気に甘えたい」
 
(『薩州隠密行 隠島の謎』P.53より)


日本の正確な地図作りに燃える伊能忠敬は、老中の松平伊豆守信明に隠密としての役目を与えられ、薩摩に測量の旅に出ることになる。隠密として働くことを交換条件に、諸国測量を幕府が後押ししていたのである。当時の薩摩藩は他藩の者の出入りを厳しく制限し、任務を帯びて薩摩入りした幕府隠密が片道切符で帰還不能なため「薩摩飛脚」と呼ばれるほどの鬼門。

「おのれに自信を持つのは、とても大切なことです。むろん謙虚さを失ってはいけませんが、いたずらに卑屈になっていては何も成し遂げられません。私は五十歳を過ぎて隠居の身となってから江戸へ出て、高橋至時先生に師事しました。暦学や天文学、測量などを学びたいという思いを打ち明けた時、大多数の者が、その年でそんなことができるはずはないと反対しました。しかし、私は熱意さえあれば絶対にできると信じていた。その熱意が通じたからこそ、至時先生はあえて私のような年寄りを弟子の端くれに加えてくださったのだと思います。あの時、他人の声に流されて自信を失っていたら、今の私はなかった」

(『薩州隠密行 隠島の謎』P.97より)


「正確な地図を作りたい」という忠敬の熱意や地図作りの工程が丹念に描かれていて、単なる時代アドベンチャー小説に終わっていないところが魅力の一つ。


 島津重豪という人物は、十九世紀初頭の混乱期――すなわち長きにわたる鎖国政策によって世界の動きから取り残され、閉塞空間と化しつつあったわが国の硬く錆びついた扉を力づくでこじ開けようとするかの如く、ロシアをはじめとする西欧諸国の「外圧」が津波のように押し寄せてきて、半世紀後に訪れる幕末動乱の種が蒔かれたこの時代が生み出した、一個の怪物といってよかったかもしれない。
 
(『薩州隠密行 隠島の謎』P.141より)


本書で何といっても楽しみなのが、幕末動乱の種が蒔かれた時代の薩摩藩と、そのドンともいうべき島津重豪が忠敬の前に立ちはだかること。歴史に早く登場し過ぎた怪物ともいえるし、幕末の薩摩藩に大きな影響を与えた主要人物ともいえる。

「先生は、いつも俺たちにおっしゃるんだ。本物の地図というものは、ただ線と符号が並んでいるだけの無味乾燥な代物ではない。どんな場所でもたちどころに俯瞰させてしまうものなのだ。恰も今、自分自身が空からその場所を眺めているような感覚を与えられる。つまり、鳥における翼のようなものだ。われわれ測量技術者は、この平面的な地図に大空を舞う翼を与えることができて初めて一人前と呼ばれるのだよ、ってね」

(『薩州隠密行 隠島の謎』P.169より)


忠敬は、本物の地図には、翼がある。その翼を与えるのが、測量技術者の仕事という。地図作りの要諦が示され、ディテールまで丁寧に描写されることで、想像力豊かなストーリー展開にリアルさが肉付けされて奥行きを与えている。

「恐るべき度胸よの、忠敬。竹光で余に――わが薩摩七十七万石に挑むか」

(『薩州隠密行 隠島の謎』P.250より)


忠敬は、金目のものは、測量機器に誤差を生じさせるということで、竹光しか持たないという。島津のドン・重豪を前にしての忠敬の測量バカぶりがなんとも眩しい。

「では、なんだ。おまえの第一義とは」
「私はただ知りたいのです。この国の本当の形を、隅々まで」
「隠密の真似ごとしてまでか」

(『薩州隠密行 隠島の謎』P.280より)


主人公・伊能忠敬の薩摩隠密行の様子をアドベンチャー小説ばりの活劇で描きながらも、作者は。「この国の本当の形を隅々まで知りたい」という忠敬の情熱を描くことに主眼を置いている。

幕末前の兆しをとらえた時代感覚、薩摩藩の御家騒動など史実や実在の人物を取り込みながら、伝奇めいたストーリーで、心躍る作品に仕上げている。一筋縄でいかない楽しみな時代小説家の登場である。次回作も期待したい。

主な登場人物
伊能忠敬:元下総国佐原の名主で、日本地図の作成者。当年六十六歳
栄:忠敬の妻
樺山隼之助:薩摩藩士。二十歳の若者
堀新助:薩摩藩士
島津重豪:藩主島津斉興の祖父で薩摩藩藩政の実権を握る。蘭癖と呼ばれ、西欧文化の取り入れに積極的
松平伊豆守信明:老中首座、三河吉田領主
坂部貞兵衛:天文方暦局の手付下役
下河辺政五郎:天文方の役人
箱田良助:忠敬の弟子、後の榎本円兵衛武規(榎本武揚の父)

物語●
文化八年、日本国の正確な地図作りに情熱を懸けて取り組む伊能忠敬は、薩摩への測量の旅に出た。忠敬には、薩摩で消息を絶った幕府隠密の残した書き置きの謎、薩摩藩の秘事を明らかにする使命が課せられていた。

薩摩入りした忠敬は、野太刀自顕流の刺客に襲われるが、若侍・樺山隼之助に助けられる……。

目次■序ノ歩/第一歩/第二歩/第三歩/第四歩/第五歩/終ノ歩

カバーイラスト:村田涼平
カバーデザイン:菊池祐(ライラック)
時代:文化八年(1811)
場所:深川黒江町、薩摩、ほか
(宝島社・宝島社文庫・640円+税・2014/03/20第1刷・297P)
入手日:2014/02/28
読破日:2014/01/25(ゲラ読み)、2014/03/03

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