新三河物語 上・中・下


新三河物語 上
新三河物語 上・中・下
(しんみかわものがたり じょう・ちゅう・げ)
宮城谷昌光
(みやぎたにまさみつ)
[戦国]
★★★★☆☆

中国時代小説で活躍する著者の戦国歴史時代小説。文庫で上中下の三部冊に分かれている長編で読み応えがある。

主人公は、徳川家康の出世を支える、主要な家臣団である大久保党を率いる七郎右衛門忠世と、その弟たち(治右衛門忠佐、新蔵忠寄、勘七郎忠核、彦十郎忠為、甚九郎忠長、平助忠教、弥太郎忠元)である。平助忠教は、大久保彦左衛門の名で巷間知られている。本書は彼が著した『三河物語』(読んだことはないが)をベースにしているらしい。

「なんじどもの恩、七代、忘れぬ」と家康に言われた、大久保一族だが、家康の天下統一後には苦難の時代を迎えることなる。

 ――人は徳にしか頭を下げない。
 というのは中国的哲学であるが、強大な武力や権力に多くの人々は頭をさげてみせるが、それはうわべだけのことである、と元康はたれよりもよく知っていた。長い人質生活が、教訓をさずけてくれたのであり、人とは何であるかを熟考させてくれた。栄華のただなかにある義元に心服していない自分がある、というのがすべてであるといってもよい。

(『新三河物語』上巻P.62より)


今川義元が信長に桶狭間で殺されたことを知ったときの元康(家康)の正直な感想。彼の人生哲学の一端をうかがい知ることのできる場面。岡崎の家臣団がどれほど今川に酷使され搾取されても、耐えに耐えて、元康の帰りを待ち続けてくれたことは、父祖の徳のおかげと認識している。

 他家とちがって、岡崎松平家の家臣は、武功はあたりまえである。それによってすぐに知行が増大するわけではない。まず主家を大きくしなければならない。

(『新三河物語』上巻P.206より)


三河武士団(岡崎松平家)の凄さは、個人や家の評価が領土(知行)と直結していた封建時代には異例ともいうべきこの考え方にあり、このことが家康に天下を取らせたともいえる。

実は、この作品を読みたいと思ったきっかけは、この夏に、岡崎公園にある三河武士のやかた家康館を訪れて、家康の家臣たちに興味を持ったからである。

(前略)功勲ひとつが銭または知行に替わるのが当然であり、そういう換算を否定する主に、かれらは仕えない。尾張者は、損得に鋭敏である。ゆえに三河者の理解がとどかない合理社会をつくった。その合理が、信長の非凡な思想とあいまって、ひときわすぐれたものになったがゆえに、中世を蔽っている不合理の闇を切り裂き、日本の未来像さえ彫塑することになる。尾張の風土の勝利といってよいであろう。

(『新三河物語』上巻P.235より)


著者は三河者気質と尾張者気質を対比しし、信長と秀吉の成功の違いを喝破している。

 ながいあいだ三河人は現世を悲観的にみざるをえなかった。生きていることは、苦痛であった。せめて死後は、その苦痛からまぬがれたい。そういう願いと真宗の本義とが合致した。だが、家康の帰国とその後の躍進は、
 ――この世も捨てたものではない。
 という別趣の情想を群臣に芽生えさせた。生に苦があり、死に楽がある、という心思の定型をこわすほど家康の存在は明るく大きくなった。

(『新三河物語』上巻P.212より)


なぜ、三河に一向宗が勢力を広げ、また、その一向一揆との信義をめぐる戦いに家康が最終的に勝利を収めることができたのかが、すっと胸に落ちた思いがした。

 家康は忍耐の人である。田原御前のけなげな忍耐はわかるし、忠次の苦行にひとしい忍耐もわかる。絶望的な忍耐をつづけてきた者に、わずかでもむくいてやることのできる主君でありたい、と家康は意っている。人の貧困につけこんで利益を得る門徒のありかたは、言語道断である。

(『新三河物語』上巻P.242より)


領主として一向一揆に立ち向かう家康の決意。

「平助よ、たしかに真田安房守はいくさが巧い。だが、信義がない。武田から北条、北条から徳川、徳川から上杉と、わずかな歳月でそれほど主を替えた。いま真田の城である上州の沼田城は北条勢に攻められていよう。徳川勢も小県を侵しつづけている。昌幸は苦しい。かれは失うまいとするがゆえにすべてを失う人であろう」
 忠佐の冷徹な予見は恐ろしい。
「それを想うと、道幹(広忠)さまは偉かったな。同盟していた水野が織田に従うと、最愛の奥方を離別なさり、今川にさしだした竹千代を織田に取られても、今川を裏切らなかった。道幹さまを名君であったという人は寡ないが、松平家の信義を樹てたのは道幹さまであり、その信義が三河の武士の心に植えられて育ち、けっきょく松平という家も三河という国も滅ばなかった。道幹さまが織田の利に釣られていれば、いまのわれらはない」

(『新三河物語』下巻P.165より)


「かつて設楽原の合戦のあとに、七郎と治右の兄は、信長公より、なんじどもが駆け引きゆえ、いくさは勝ちたり、なんじどもほどの者をわれは持たぬ、と褒められた。物は失われるが、ことばは失われぬ。ただひとこと、よくやった、といわれるだけでよい。兵はそれをききたいがために、いのちがけで戦っている。それほどことばは重い。それを知っているわれこそ、平助を褒めるにふさわしい。それゆえの使いである」

(『新三河物語』下巻P.217より)


真田安房守昌幸と戦い、小諸城を守りぬいた平助は、兄の大久保権右衛門忠為を長兄忠世の使者として迎えるシーン。ここも三河武士の心構えが伝わる場面。

本書の魅力の一つに、中国歴史小説の第一人者の作品らしく、中国古代の言葉を知ることができることがあげられる。

 家でも国でも政治の基本はおなじであり、それは公平ということである。三条西どのは、おなじことを、一言で、
「衡」
 と、いった。衡とは、はかり、であり、唐土には、人民が衡を阿むことができる名宰相がいて、阿衡と呼んだのです、と誨えてくれたことがある。

(『新三河物語』上巻P.351より)


「昔、唐土に、田常という人が主家を乗っ取りました。秀吉は田常のごとき人です。が、田常の国はすぐに滅んだわけではありません。秀吉の家はどうでしょうか」

(『新三河物語』下巻P.75より)


主な登場人物
(上巻)
松平元康:後の徳川家康
大久保五郎右衛門忠俊:大久保一族の総帥。後の常源
大久保忠勝:忠俊の嫡男
新八郎:忠勝の嫡男、後の大久保康忠
大久保七郎右衛門忠世:忠俊の甥
千丸:忠世の長男で、後の忠隣
大久保治右衛門忠佐:忠世の弟
おとき:忠佐の子を孕む
与兵衛:おときの従者
源次郎:本願寺の法主側近の下妻氏の一族
大久保平右衛門忠員:忠世と忠佐の父で、忠俊の弟
三条西氏:忠員の正妻で忠世と忠佐の母
平助:忠員の八男で、後の大久保彦左衛門忠教
彦十郎:平助の六歳上の兄で、忠員の六男、忠為
勘七郎:平助の兄で、忠員の四男・忠寄
新蔵:平助の兄で、忠員の五男・忠核
甚九郎:平助の兄で、忠員の七男・忠長
小坂氏:平助の母
今川義元:駿河の太守
佐久間大学助盛重:丸根砦を守る織田方の武将
織田信長
奥平九八郎貞能:山家三方衆のひとりで、今川家に直属する
本多弥八郎正信:忠世の友人のひとり
本多三弥左衛門正重:正信の弟
水野下野守信元:元康の生母お大の兄で、小河城城主
浅井六之助道忠:信元の家臣
久松俊勝:お大の夫で、英比の領主
酒井将監忠尚:元康の重臣で上野の領主
高木七郎右衛門広正:忠尚の家臣
上田半六:一揆の長
矢田作十郎:一揆方の武将
登誉上人:大樹寺の住持
吉良義昭:東条城主
鵜殿長照:今川家の武将
牧野出羽守保成:牛久保の牧野氏
加藤宮内右衛門景成:常源の義弟
加藤与八郎景直:景成の息子
荒川甲斐守義広:八ツ面城主
久世平四郎の妻
渡辺半蔵守綱:家康の家臣で槍の半蔵
蜂屋半之丞貞次:常源の三女の夫
筧助大夫正重:常源の四女の夫の弟
杉浦八郎五郎吉貞:常源の妹の長男
阿部忠政:常源の弟・大久保忠次の次男で弓の名手
大久保四郎右衛門忠吉:常源の子
大久保喜六郎忠豊:常源の子
本多作左衛門:家康の家臣
戸田三郎右衛門忠次:田原の戸田家の一族
久松佐渡守俊勝:家康の実母の夫
伊賀谷惣左衛門:将監の配下
石橋道全:惣左衛門の知人で、家康の家臣
本多平八郎忠勝:家康の重臣
石川日向守家成:家康の重臣
石川助四郎数正::家康の重臣
本多九郎三郎:忠世の旧友
川澄文助正信:家康の家臣
青山虎之助:家康の家臣
深津八九郎:家康の家臣で甲賀者

(中巻)
小原肥前守鎮実:吉田城代
朝比奈元智:田原城代
戸田主殿助重貞:二連木城主
雉丸:忠佐の従者
本多彦三郎広孝:家康の家臣
文殊四郎正真;刀鍛冶
菅沼新八郎定盈:家康の家臣で野田城主
大須賀五郎左衛門康高:家康の家臣
今川氏真:義元の嫡男
鵜殿平蔵長重:平助の姉の夫で、西郡の上之郷の領主
久世三四郎:久世長宣の遺子
坂部三十郎:坂部正家の次男で、三四郎の友人
内藤三左衛門信成:家康の家臣
都筑藤一郎:弓の名手
杉浦久三久勝:忠世の配下
武田信玄
武田勝頼:信玄の嫡男
お笹:おときの従者
おやえ:おときの娘
鳥居強右衛門勝商:奥平九八郎貞昌の家臣
徳川信康:家康の嫡男
日下部兵右衛門定好:家康の家臣
成瀬吉右衛門正一:家康の家臣
石川春重:信康の傅役
平岩親吉:信康の傅役
依田下野信守:二俣城主
依田右衛門佐信蕃:信守の嫡男
善九郎と源八郎:信蕃の弟
三枝土佐守虎吉:信蕃の副将
三枝勘解由左衛門守友:虎吉の長男
榊原康政:家康の重臣
酒井左衛門尉忠次:家康の重臣
弥太郎:平助の弟で、諱は忠元
九平次:平助の弟
横田甚五郎尹松:武田勝頼の家臣
岡部丹波守長教:高天神城を守る主将
黒柳孫左衛門:大久保忠世の配下
本多主水:大久保忠世の配下
孕石元泰:元今川家の重臣
滝川一益:織田信長の重臣
道家彦八郎正栄:滝川一益配下で小諸城主

(下巻)
諏訪頼忠:諏訪上社の大祝で高島城主
柴田七九郎康忠:家康の家臣
真田昌幸:沼田の領主
大道寺政繁:北条方の武将
依田康国:信蕃の子で、小諸城の守将
鳥居元忠:松平家の宿老鳥居忠吉の子
保科正直:高遠城主
松平家忠:深溝の城主
杉浦藤次郎時勝:久三久勝の兄
大久保長安:鉱山採掘に精通した行政官
大政所:豊臣秀吉の母
大久保忠常:忠隣の嫡子
石川忠総:忠隣の字なんで、石川家に養子に入る
徳川秀忠:家康の子
仙石秀久:小諸城の守将
馬場右衛門信成:武州鉢形の領主で、元武田家家臣
馬場八左衛門:元穴山梅雪の家老
仙丸:忠隣の孫、後の大久保忠職
杉浦平大夫久成:久勝の長男で、武蔵騎西藩の家老
太助:尾尻村の若者
土井大炊頭利勝:秀忠の重臣
堀田出羽守正盛:家光の側近

物語●(上巻)永禄3年、織田信長の急襲に遭って、今川義元は桶狭間で討ち取られた。義元に服属していた松平元康(後の徳川家康)は空き家同然になっていた父祖の地、西三河の岡崎城に入り、悲願の独立を果たす。しかし、息継ぐ間もなく、西三河に一向一揆が勃発する。血縁者が敵味方に分かれて争う未曾有の事態から家康を救ったのは、大久保忠俊(常源)率いる大久保党だった…。

(中巻)徳川家の駿河以東への進撃は、武田家の南進によって阻まれた。三方原合戦では、戦国最強といわれる武田軍により壊滅寸前だった家康だったが、天佑とも言うべき信玄の死により再起する。武田勝頼との決戦、長篠合戦において、大久保忠世・忠佐兄弟が見せた獅子奮迅の活躍は、信長を喜ばせ、家康の嫡男信康に両雄への憧憬をもたらせた…。

(下巻)本能寺で信長が明智光秀に討たれ、天下はその光秀を破った秀吉が簒奪する。大久保一族では平助(彦左衛門忠教)が成長し、長兄忠世、次兄忠佐の奮戦を支える。上田城攻めでは真田昌幸を、大坂の夏の陣では真田幸村の深謀に苦戦しつつも彼らの忠義は一瞬たりとも揺るがなかった。やがて、家康は天下を掌握し、忠世・忠佐ともに大名となるが…。

目次■(上巻)三河の晨風/上和田砦/一向一揆/浄殊院/忠世と正信/川辺の風/東方の敵|(中巻)戦場往来/遠州の城/武田の烈風/長篠合戦/蝶と餅/殊勲の平助/波瀾の歳月|(下巻)北の天地/神川合戦/小諸の城/小田原へ/天地の声/筆と墨/単行本あとがき/解説 湯川豊

カバー装画:村上豊
挿画:村上豊
デザイン:新潮社装幀室
解説:湯川豊
時代:(上巻)永禄三年五月、(中巻)永禄十年五月、(下巻)天正九年七月
場所:(上巻)大高城、知立、上野、大樹寺、岡崎城、上和田、本証寺、勝鬘寺、上宮寺、浄珠院、(中巻)吉田城、田原城、引間城、井伊谷城、安間村、懸川城、鷲津郷、堀川城址、三方原、犬居城、田中城、小諸城、(下巻)高島城、上田城、神川、丸子城、小田原城、箱根神社、坂崎村、尾尻村長福寺、茶臼山、ほか
(新潮社・新潮文庫・上629円・2011/04/01第1刷・474P、中629円・2011/04/01第1刷・468P、下629円・2011/04/01第1刷・426P)
入手日:2012/09/15
読破日:2012/10/13

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