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本能寺 上・下

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本能寺 上・下

(ほんのうじ・1・2)

池宮彰一郎

(いけみやしょういちろう)
[戦国]
★★★★

『島津奔る』が盗作(無断引用)嫌疑がかかり、版元(新潮社)による回収処分があったということを聞き、池宮さんのことが心配になる。

戦国期の最大の事件というと、やはり、本能寺の変ということになり、なぜ、光秀が信長を討ったのかという謎の解明がテーマになっている著作は多い。残された資料が、後の為政者にとって都合がよいものであるという性質を考えると、巷間伝えられる説明に今一つすっきりと納得できないものを感じている。

信長と光秀の関係を、現代的な視点で神と人という形で対比して描いた作品としては、堺屋太一さんの『鬼と人と 信長と光秀』(PHP文庫)があった。池宮さんの『本能寺』も、信長を神に近い天才としてとらえ、旧体制の既得権一切を破壊し、新しい時代を創造する、美意識の高い人物として描いているのが面白い。そのために、作品全体に悲惨さがなく、ダイナミズムがあり、清涼感さえ感じられる。

昔からなぜか明智光秀に対して、一種のシンパシーを感じていた。本書を読んで、その原因が何となく見えてきた気がする。光秀は、戦国時代の武将の中で、唯一といっていいほど、現代的な常識をもつ知識人であるように描かれることが多いからであろうか。ただし、戦国という、異様な時代に常識人であることは、不幸でさえある。本能寺の変がなぜ起こってしまったのか、その最大の要因は、やはり光秀のもつ気質によるところと考えることが自然なのかもしれない。

信長の偉業の後継者は、明智光秀という、斬新な解釈で一気に、本能寺ノ変の真相を綴っていくところが最大の見どころ。作者の漢文の素養を感じさせる、漢字が多い文体が格調高く、この歴史小説にぴったり合っている。

物語●永禄十年八月、美濃の主城稲葉山城を攻略した織田信長は、岐阜城と呼ばせ、その城下町の井之口の町名を岐阜と改称し、本拠を尾張小牧山より移した。翌年春、信長は、足利将軍の使者という名義で、岐阜に出向いてきた明智光秀と出会った。光秀は、朝倉義景に薄禄で養われていたが、その博学多識を高く評価し親交を深めている足利義昭を擁立する細川藤孝により、織田家との連絡将校として、信長に召し抱えるように推挙されていた。光秀の仕官のための面談は成功し、見送りに出た初対面の木下藤吉郎の、あけっぴろげで如才ない人柄にも魅せられ好感をもった…。く(以上上巻より)
天正三年五月、織田信長は、あるみ原(後の設楽ヶ原)で、武田勝頼との決戦を控え、馬防柵を五重に設置した。そのうえで、新規購入の三千挺の鉄砲隊を、一重目、二重目、三重目の柵に、それぞれ一千ずつ配した。味方の兵が柵前に突出することを禁じ、前段の鉄砲隊が撃ち放したら、速やかに後段に退いて弾籠めをし、その間に中段の鉄砲隊が前段に進み、撃ち放つ。前・中・後段、三段交代制によって、鉄砲斉射を連続し、武田勢の騎馬攻撃を薙ぎ倒そうという策である。弾籠めに時間を要するという火縄銃の欠点を補い、連続射撃を可能にした信長の独創的発想は、武田騎馬軍団を潰滅させ、長篠の戦いにおいて、一方的な勝利を織田・徳川軍にもたらした。当時、無敵と信じられていた、武田騎馬兵団の潰滅の報は、燎原の火のように天下に広まり、浅井・朝倉の滅亡、長島一向一揆の大虐殺に続く武田勢の敗北の報は、反信長勢力は震駭し、ことに、石山本願寺は大打撃を受けた…。(以上下巻より)

目次■雲煙飛動/白刃可蹈也/蜀犬日に吠ゆ/飛蓬風に乗ず/盤根錯節/戈を揮って日に反す/一以て之を貫く(以上上巻)|一以て之を貫く(承前)/志、千里に在り/兵は猶、火の如し/月明らかに星稀なり/抜山蓋世/死生命あり/志、満たすべからず(以上下巻)

カバー題字:蘇東坡
時代:永禄十一年、梅の盛りのころ(上巻)、天正三年(1575)陰暦五月二十一日(下巻)
場所:岐阜、敦賀金ヶ崎・立政寺仮御所、尾張小牧山、東山・東福寺、勘解由小路室町、常楽寺、木ノ芽峠、本能寺、あるみ原(後の設楽ヶ原)、安土、八上城、堺、有岡城、摂津、三木城、石山本願寺、高天神城、鳥取城、甲州・新府ほかほか
(角川文庫・上629円・04/01/25第1刷・370P、下629円・04/01/25第1刷・366P)
購入日:04/02/11
読破日:04/03/02

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