夢幻花


夢幻花
夢幻花
(むげんばな)
東野圭吾
(ひがしのけいご)
[現代ミステリー]
★★★★☆☆


現在の東京を舞台にした東野圭吾さんの現代ミステリー小説。しかしながら、2002年から2004年にPHP研究所の月刊誌『歴史街道』に連載されていたものをもとに、東日本震災後新たに書き下ろした作品。

『歴史街道』から小説連載の依頼がきた時、「私には歴史ものは無理です」と断りました。すると編集者は、歴史ものでなくても、何かちょっとでも歴史に関係する部分があればいいといいます。そこで思いついたのが黄色いアサガオです。御存じのの方も多いと思いますが、アサガオに黄色い花はありません。しかし江戸時代には存在したのです。

(『文蔵 2013.5』P.38「特別寄稿『夢幻花』のこと」より)


江戸時代の園芸技術の発達ぶりは、時代小説でも描かれている。とくに、朝顔の栽培が重要な主題になった作品もいくつか思い出される。『一朝の夢』(梶よう子著)、『花合せ 濱次お役者双六』(田牧大和著)、『かおばな憑依帖』(三國青葉著)など。

 毎年七夕の頃、家族揃って鰻を食べにいくというのは、蒲生家の恒例になっていた。そのこと自体には蒼太も不満はない。鰻は大好物だ。勘弁してほしいなあと思うのは、その前の行事のほうだ。
 この時期、台東区入谷では朝顔市が行われる。そこを皆で二時間ほどかけて見て回ってから、ようやく下谷にある古い鰻屋に向かうのだ。皆というのは両親と兄に蒼太自身を加えた四人だ。

(『夢幻花』P.7より)


この物語のプロローグは、植木等さんの「スーダラ節」が流行っていた1960年代に起こった事件と、作品の時代より十年前に、当時中学生の蒼太の身に起こったエピソードを綴っている。蒼太は、この物語のもう一人の主人公で、ふとしたことがきっかけで知り合った梨乃と二人で、梨乃の祖父周治の庭から消えた黄色い花の謎を追いかけることになる。

 蒼太は携帯電話を受け取り、液晶画面を見つめた。そこに写っているのは、花びらも葉も異様に細長い花だった。だがその独特の形状が彼の記憶を喚起した。
「どう?」梨乃が訊いてきた。
 蒼太は唇を舐めてから口を開いた。
「これは、もしかしたら……アサガオかもしれない」
「アサガオ? これが? 嘘でしょう? アサガオの花って、もっと丸いじゃない」

(『夢幻花』P.115より)


「さっき、例の黄色い花に該当するものは見当たらなかったといったけど、それは現存する植物にかぎればってことだ。前にも話したように、黄色いアサガオは存在しない。でも、かつては珍しいものではなかった。江戸時代にはアサガオの栽培が盛んだった時期があって、有名な資料が残っている。それらの中には黄色いアサガオも載っている」タブレット端末を見ながら、蒼太は説明を始めた。

(『夢幻花』P.125より)


蒼太の口を通して、江戸時代の朝顔の育種の様子が説明されていく。実に興味深い。

「あんたの目的は事件の犯人を捕まえることじゃない。たぶんそれは二の次だ。だから、捜査本部に黄色い花の情報を流さない。真の目的は別にある。しかもそれは警察庁とは関係がない。あんた個人に関わることだ。どうです、この空想は」
「さっきもいいましたが、空想は自由です」
「あんたの目的を果たすためには、俺と組んだほうがいい」

(中略)

「取引したいなら、それなりのカードを用意してもらいたい」腹に響くような低い声だ。
「カード……」

(『夢幻花』P.179より)


秋山梨乃の祖父周治の死の謎を追う刑事早瀬は、警察庁の役人に、ある取引を持ちかける。

「黄色いアサガオは禁断の花、という話だ」
「禁断……」蒼太は梨乃と顔を見合わせた。
「私がアサガオに興味を持ったのは、父親の弟、つまり叔父の影響だ。その人がいろいろな変化アサガオを咲かせるのを見ているうちに自分でもやりたくなった。だが叔父はある時私にいったんだ。どんな花を咲かせてもいいが、黄色いアサガオだけは追いかけるな、とね。理由を訊くと、あれはムゲンバナだからだ、といわれたよ」

(『夢幻花』P.191より)


やがて、物語の終盤で、黄色いアサガオの秘密が明らかになる。そして、周治の死の真相も導かれる。

読み終えてみて、なぜ、東野さんは十年前の連載小説をもとに新たにこの物語を書き下ろしたのかよく理解できた。それは、東日本大震災とその後の福島第一原発事故の後の今だからである。そして、この作品は、ミステリー小説として謎解きを楽しめるばかりでなく、学生の二人を主人公にした青春小説としても読むことができて、再生への勇気とエネルギーを与えてくる。

ベストセラー作家であり、超人気作家である東野圭吾さんの著作を読んだのはこれが初めてである。他の作品もこんなに面白いなら、この後も、時々は時代小説から離れて東野作品を読んでみてもいいかなと思った。

主な登場人物
秋山梨乃:女子大学生で、元オリンピック候補の水泳選手
秋山素子:梨乃の母
秋山正隆:梨乃の父
鳥井尚人:梨乃の従兄で、バンド『ペンデュラム』でキーボードを担当している
鳥井佳枝:尚人の母で、正隆の妹
鳥井知基:尚人の弟
秋山周治:正隆と佳枝の父
大杉雅哉:尚人のバンド仲間。『ペンデュラム』でボーカルとギター担当
テツ:『ペンデュラム』のベース担当
カズ:『ペンデュラム』のドラム担当
早瀬亮介:巡査部長
裕太:早瀬の息子で中学生
柳川:警視庁捜査一課の刑事
石野:早瀬の後輩刑事
蒲生蒼太:大阪の大学院で原子力工学を学ぶ学生
蒲生真嗣:蒼太の父
蒲生志摩子:蒼太の母
蒲生要介:蒼太の兄で、ボタニカ・エンタープライズ代表
矢口綾子:蒼太の叔母で、真嗣の妹
伊庭孝美:蒼太の初恋の女性
藤村:蒼太のクラスメート
福澤民郎:久遠食品研究開発センター分子生物学研究室室長
日野和郎:久遠食品研究開発センターの社員で、周治のかつての同僚
小関:梨乃の水泳のコーチ
白石景子:『ペンデュラム』の新しいキーボード担当
田原昌邦:田原歯科医院の院長で、朝顔の育種家
工藤アキラ:ライブハウス『KUDO’s land』のオーナー

物語●
高校三年生の三年前までオリンピック候補として水泳に打ち込んでいた秋山梨乃は、大学進学後に全く泳げなくなり水泳をやめる。やることを失くして毎日無為に時間を送っていた。
一つ年上の従兄で、バンド活動をしていた尚人が自殺した。梨乃は尚人の葬儀で久々に会った祖父の周治の家を訪れる。周治は会社退職後に、妻を亡くし、花に囲まれ花を育てることを生きがいに独りで暮らしていた。
その日から、梨乃は、周治の育てる花をブログに紹介するために、月に一、二度のペースで周治の家を訪れるようになった。ある日、周治のノートパソコンに、これまで見たことのない黄色い花の写真が表示されているのを見た。周治に花の名前を聞くと、はっきりしたことがわからず調べているところで、ブログに載せることもだめ。自分と梨乃ちゃんだけの秘密だという。
その三週間後、周治の家に行った梨乃は、そこで変わり果てた周治の姿を発見する…。

目次■なし

装画:水口理恵子
装幀:川上成夫
時代:現在
場所:台東区入谷、新宿、横浜、西荻窪、高円寺、西荻窪署、東大阪、表参道、調布、品川、東向島、勝浦、東上野、ほか
(PHP研究所・1600円・2013/05/02第1刷・371P)
入手日:2013/04/26
読破日:2013/05/04

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