流れ者 旗本与一郎


流れ者 旗本与一郎
流れ者 旗本与一郎
(ながれもの・はたもとよいちろう)
羽太雄平
(はたゆうへい)
[伝奇]
★★★★☆☆

『峠越え』『新任家老 与一郎』『家老脱藩 与一郎、江戸を行く』『転び坂 旗本与一郎』に続く、「与一郎」シリーズの5作目は、初の文庫書き下ろし作品。小藩の家老の嫡男→家老→脱藩→旗本という一作ごとにタイトルを変えてきた主人公だが、前作に引き続き旗本家の当主として活躍する。伝奇っぽさも楽しめる武家小説。

「ほう、出世権現?」
「さようでございます。知行地に勧請なさいました榎戸東照宮、そりゃもう大層な評判でございますよ」
「へえー、そうなのかね」
「失礼ながら榎戸さまが、一躍、直参五千石のご身分になられたのは、東照大権現さまのご利益と存じますが……」
「ま、そういうことになるな」
「さすれば榎戸郷の東照宮にお参りすれば、開運間違いない、榎戸さまのご出世にあやかれる、と世間ではお噂しきりなのでございます」
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.46より)


与一郎は、知行地への東照宮勧請が許され、日光奉行より葵紋入りの文箱が下げ渡され、榎戸東照宮にはそれをご神体として祀っていた。音羽の香具師会津屋権六は、与一郎に榎戸東照宮の祭礼を任せてほしいと願い出る。

 その年の十月に、年号が「天保」とあらたまっているが、あるいは「おかげ参り」の影響だったかもしれない
 ちなみに与一郎は、この「天保」への改元を、榎戸家独立にともなう幕府との文書のやりとりの最中に知っている。その意味で「天保」は、与一郎にとって印象深い年号ということになろう。
 よくよく考えてみれば、それまで年号などを意識したことはなかった。そうしたこととは関わりない、あるいは必要のない狭い社会で暮らしていたからであろう。ところが旗本として独立し、かつ江戸に暮らすようになると、自分がまったく違った世の中に身を置いていることにおどろかされた。
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.49より)


そうか、時代を意識してシリーズを読んでこなかったが、文政から天保へと時代は移っていたんだなあ。第1作が単行本で刊行されたのが、1996年6月だから17年近く前のことで細かいところの記憶が欠落していた。

 本所下屋敷の妙見菩薩は、かれこれ五十年ほど前の当主・筑前守頼直が、知行地にある能勢妙見山から分祀したもの。そして木戸門にかかげられた矢筈十文字は、能勢家の家紋に間違いなかった。
 しかし出身地とした摂津北部は、戦国期においてキリシタン隆盛の地――隣接した高槻城主は有名なキリシタン大名・高山右近――だったことから、能勢家も熱心な信仰者だったとも言われている。
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.66より)


物語の合間に歴史のトリビアが記されているので、一息入れられるとともに、ちょっと得した気になれる。

「おいらは本所入江町に住む無役四十俵だが、じつを言えば貧乏旗本の株を買いとって養子に入った身さ。さらにもとをたどっちまえば、越後生まれのじいさまが、按摩稼業でやたらの金持ちになって旗本株を買い、おいらのおやじを当主にすえた。つまり二代つづいての株買い旗本なんだが、どうやらおのしも、ご同様の口らしい」
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.80より)


ご存じ、勝海舟の父・勝小吉の登場シーン(作中では与一郎も小吉も互いに名乗りはしない)。今回は遠山金四郎の父・景晋や間宮林蔵、鼠小僧まで、同時代の有名人が登場する。

 対する与一郎は、脱いだ黒羽織と鞘ごと抜きあげた大刀を又助にわたしたあと、それを貸せ、と指さした。又助が鋳掛け屋に変装したとき、いつもたずさえる長さ七尺五寸の棒である。
 ちなみに鍋や釜などを修繕する鋳掛け屋は、白鑞(錫と鉛の合金。つまりはんだ)を溶かすため炭火をつかい、そのさい棒で軒下を測ることになっている。七尺五寸より低い軒下では火をあつかってはならない、という防火上のお達しがあるのだ。
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.124より)



「斬りかかった? つまり刀で襲ったってことか」
「ええ、そうです。暗がりでしたけど、きらっと輝いたのは白刃に違いありません。すさまじい居合いの技でございました」
「ふむ」
 与一郎は顎をさすりながら考えた。薩摩人と聞いたから、てっきり示現流と思っていたのだが、あるいは違うのだろうか。
 
(『流れ者 旗本与一郎』P.287より)


 居合いは、立ち合いに対する言葉で、座った状態から抜刀する技を指している。不意に襲いかかってきた敵に、ただちに応戦するための護身の刀法で、本来は攻撃的なものではないが、一瞬のうちに抜刀し、そのまま敵の死命を制してしまうことから、奇襲にも通じる。そのため、立ち合いの精神に欠けると批判されたりもする。
 
与一郎は、もともとは土着(榎戸郷)の領主であり、旗本家の当主でもり、多くの家臣や領民を抱えているので、自身で剣をとる必要はないところだが、甲源一刀流の遣い手でもある。物語では、同時期に江戸の剣術界に殴り込みをかけた、柳川藩藩指南役の大石進のエピソードも絡められている。

今回も、政争あり、チャンバラありの、武家小説の面白さが満載の物語に仕上がっている。次なる展開が楽しみになってきた。文庫書き下ろし化を機に、新作発表の間隔を短くしてもらえると、ファンとしてうれしいが…。

主な登場人物
榎戸与一郎:五千石の旗本
加寿江:与一郎の妻で、公儀御庭番倉地家の出身
おまつ:音羽桜木町の茶店の女中頭
奥山左十郎:音羽六丁目の裏店に暮らす侍、榎戸者
野川小次郎:左十郎の一子
野川十左衛門:旗本で柳生新陰流の達人。小次郎の養父
林十郎兵衛:榎戸家の家臣
彦十:倉地家の下男
喜作:榎戸家の庭男
会津屋権六:音羽界隈を仕切る香具師の元締め
村垣淡路守:勘定奉行
遠山楽土:元長崎奉行で、隠居の遠山景晋
島津栄翁:薩摩藩の先々代藩主島津重豪
森島又兵衛:榎戸家の家老
藤原又助:榎戸家の家士
村井数馬:北町奉行所同心
妙鶴尼:与一郎の元許婚
おゆう:五島に暮らす奥州信徒の娘
作左:奥州信徒の老人
勝小吉:本所入江町に住む、無役四十俵の貧乏旗本
大石進:神影流の剣術遣い、柳川藩の藩指南役
男谷精一郎:直心影流男谷道場道場主
調所笑左衛門:栄翁の側近
間宮林蔵:勘定奉行配下の遠国御用
七郎太:巨漢の武芸者
不寝の巳之助:“鼠小僧”と間違えられた盗賊
おたき:左十郎配下の女忍び
薬丸壱之助;薬丸自顕流の剣士

物語●
天保三年三月、奥州のキリシタン信徒たちの江戸脱出を手助けした旗本榎戸与一郎は、その後もだれかに見張られている感覚が続いていた。幕閣を刺激したのではと気にしつつも、呑気に日々を送っていた。その与一郎に、巨額の借財を抱え、異国との交易を目論む薩摩藩が接触を図ってきた…。
その頃、奥州信徒たちは五島の福江島に移住し、その島に、若い一人の武士がわたってきた。男の目的は? そして、彼らを監視する男たちの存在。

目次■潜伏島/本所妙見堂/長竹刀旋風/孤々単々/お解き放ち/薬丸自顕流/さらなる出発/解説 縄田一男

カバーイラスト:蓬田やすひろ
カバーデザイン:大武尚貴
解説:縄田一男
時代:天保三年(1832)春
場所:肥前国五島福江湊・六方の浜、樫ノ浦、音羽桜木町、芝愛宕下、目白坂、築地、木挽町、本所妙見堂、亀沢町、小日向、久右衛門町蔵地・餌鳥屋敷、高輪薩摩藩別邸、麹町心法寺、赤坂今井町、高輪大木戸、金杉裏丁、船河原橋、柳橋、ほか
(角川書店・角川文庫・667円・2012/12/25第1刷・339P)
入手日:2012/12/26
読破日:2013/02/16

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