霖雨


霖雨
(りんう)
葉室麟
(はむろりん)
[人物]
★★★★☆☆

江戸後期に活躍した儒学者で詩人の広瀬淡窓(ひろせたんそう)とその弟・久兵衛の清冽な生き様をドラマチックに描いた長編歴史時代小説。

淡窓は天領日田に私塾「咸宜園(かんぎえん)」を主宰したことで知られ、一方の久兵衛は日田代官所御用達商人を務め、その子孫の一人が現大分県知事の広瀬勝貞氏。

「霖雨」とは、何日も(3日以上)降り続く雨。長雨のこと。期せずして、梅雨のシーズンにピッタリの本となった。タイトルばかりでなく、目次も雨を連想させる言葉が並び、物語の中で、雨が重要なキーワードになっている。

「さようですが。粘り強く耐えて、時を待つしかありませぬ。上がらぬ雨は無いと申しますから」

(『霖雨』P.20より)


(あの日、代官所を訪れた時の雨がいまもずっと降り続いているような気がする)

(『霖雨』P.23より)


「ひとが生きていくとは、長く降り続く雨の中を歩き続けるのに似ている。しかしな、案じることはないぞ。止まぬ雨はない。いつの日か雨は止んで、晴れた空が見えるものだ

(『霖雨』P.89より)


咸宜園の名は、『詩経』の「玄鳥篇」にある、
――殷、命を受くること咸宜(ことごとくよろ)し、百禄是何
を出典としている。

物語の中で、淡窓の詩や中国詩がいくつか引用されている。その中で、故郷を遠く離れた地での勉学の苦しさと楽しさを詠った詩が印象に残る。

道うことを休めよ 他郷苦辛多しと
同袍友有り 自ら相親しむ
柴扉暁に出づれば 霜雪の如し
君は川流を汲め 我は薪を拾わん

(『霖雨』P.42より)


自分は門外漢なので小説の中で、歌や詩を取り上げることは難しいことと思えてしまうが、作者は自然な形で取り入れていて、作品の世界観とマッチしている。

「中斎は奸を除こうとして烽火を上げた。しかし、炎では餓えに苦しむひとびとを救うことはできぬ。却って劫火に苛まれるだけだ。求められるべきは炎を鎮め、田畑を潤し、稔りをもたらす慈雨ではないか」
 慈雨という言葉に久兵衛は目を開かれる思いがした。
「われらは慈雨にならねばならぬと仰せられますか」
「なろうと思うてなれるものではない。永年、わたしは〈官府の難〉に苦しみ、いつか、降り続く雨に祟られたような難儀が終わる日が来ないものかと願うてきた。しかし、いまにして思えば、この長きにわたった苦痛は、ひとの痛みを分かち合い、ともに生きよと命じる天の諭しではなかったかと考えるようになった」

(『霖雨』P.229より)


淡窓は幕府天領で要衝として代官所の置かれた豊後国日田で咸宜園を開いたことと、家業が日田代官所出入りの商人(博多屋)だったことから、当時の西国郡代の塩谷大四郎正義のさまざまな干渉を受けていた。物語では、それを〈官府の難〉という言葉で伝えている。詩人で儒学者の私塾経営ということから、政治とは関係のないアカデミック畑の人と勝手に思い込んでいたが、全然違っていた。

「実を申せば、わたしも恐いのだ。かようなことをせず安穏に生きたいと願うておる。だが、わたしは、病と塩谷郡代の圧政に苦しむ日々を送って、この世に強き者はひと握りしかおらぬと気づいた。世間のおおよそのひとびとは弱く、虐げられた者だ。ならばこそ、弱き者たちによって世の中は改められ、作られていかねばならねと思う。生きている限り、いやでもひとは自らが何者であるかを知る時が来る。そなたと、そしてわたしにとっていまがその時なのではあるまいか」

(『霖雨』P.287より)


政治(時代そのもの)との関係性の深さは、この一流の文化人の半生をドラマチックなものにしている。物語後半には、武闘派の陽明学者の大塩平八郎(中斎)が登場することで、その対照性を一層際立たせている。

「……いつ止むかと雨が上がるのを待つ者もいれば、早う降ってくれと願う者もいるのが、ひとの世と申すものだ。雨に恵まれておるうちは、天がまだわれらを見捨ててはおらぬ証だと思う」

(『霖雨』P.304より)


読み終えた後、人が本来持っている向日性を再確認できて快い余韻が残った。今、仕事や勉強で苦しんでいる人に、強く薦めたい名作である。

主な登場人物
広瀬淡窓:儒学者で詩人。私塾咸宜園を主宰する
なな:淡窓の妻
久兵衛:淡窓の八歳下の弟で、家業で日田代官所御用達商人の博多屋を継いでいる
りょう:久兵衛の妻
広瀬旭荘:淡窓の末弟で、淡窓の養子。咸宜園の塾政を執る
広瀬三郎右衛門:淡窓の父
塩谷大四郎:西国郡代
宇都宮正蔵:塩谷代官の用人
宇都宮茂知蔵:正蔵の息子で、咸宜園の門人
臼井佳一郎:元広島藩士で、咸宜園への入門希望者
千世:佳一郎の義姉
臼井信哉:佳一郎の兄で、千世の元の夫。広島藩書院番
峰丹波:広島藩の重役
智白:美濃大野郡慈渓寺の尼僧で、咸宜園の門人
智参:美濃大野郡慈渓寺の尼僧で、咸宜園の門人
真道:塩谷郡代の親戚にあたる僧で、咸宜園の門人
宗仙:咸宜園の高弟
来真:咸宜園の高弟
勲平:咸宜園の高弟
竜信:咸宜園の高弟
大塩平八郎:元大坂東町奉行所与力で、私塾洗心洞を主宰大塩中斎
お芳:博多屋の女中
お勝:博多屋の女中
お吉:博多屋の女中
与吉:施粥を求めて並ぶ男の子
吉見英太郎:大塩中斎の門人
寺西蔵太:西国郡代
斎藤五郎蔵:寺西の家臣
岡本主米安展:豊後府内藩の重臣

物語●広瀬淡窓は、天領である豊後日田で私塾咸宜園を主宰していた。咸宜園に、元広島藩士の臼井佳一郎とその姉千世が入門を希望してやってきた。千世には紹介状がなかったが、亡くした妹の面影を認めて淡窓は入門を認めた…。
そのころ、咸宜園は西国郡代の塩谷大四郎から、塾の運営についてさまざまな干渉と介入を受けていた。
一方、淡窓の弟で、兄に代わり家業の博多屋を営む久兵衛は、代官所御用達という立場から、川の開削や干潟の埋め立て、新田の開発など代官が進める事業の差配を引き受けていた…。

目次■底霧/雨、蕭々/銀の雨/小夜時雨/春驟雨/降りしきる/朝霧/恵み雨/雨、上がる/天が泣く

装画:川合玉堂「松竹梅 竹〈東風〉」(部分、山種美術館蔵)
装丁:芦澤泰偉
時代:天保四年(1833)一月
場所:豊後日田、三隈川、大坂天満、淡路町、ほか
(PHP研究所・1700円・2012/05/25第1刷・317P)
入手日:2012/05/12
読破日:2012/06/11

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