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落ちてぞ滾つ

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落ちてぞ滾つ
落ちてぞ滾つ

(おちてぞたぎつ)

蜂谷涼

(はちやりょう)
[明治]
★★★★☆☆

箱館戦争の爪痕が残る明治八年の函館。朝敵となった東雲藩士の娘・由津は亡夫の仇を討つべく、この地へやってきた…。

著者の蜂谷涼さんは、小樽生まれで北海道を拠点に活動をする作家で、出版元の柏艪舎(はくろしゃ)は札幌の総合出版社という、オール北海道の時代小説。

 やわらかな陽ざしが、無数の細かい光の粒となって、碧血碑に、そして霖平に降り注いでいた。
 霖平は身じろぎひとつせず、頭を垂れて一心に祈り続けている。
 好機だった。これを逃したら、いつまたこのような機会に恵まれるかわからない。
 由津は、ごくりと唾を飲んだ。その音が、耳の奥でやけに響いた。
 着物の袖に包んで隠し持っていたものを袖ごと握り締める。
 いざ!
(『落ちてぞ滾つ』P.6より)

探し求めた夫の敵・霖平を見つけ出した由津だが、そのとき邪魔が入り本懐を遂げることができなくなる。その帰りに、ナギという妙な風体の若い女と知り合い、その家で暮らすことに…。

東雲藩(会津藩をモデルとした架空の藩)出身の由津の生い立ちと、霖平の命を狙うようになる経緯が明らかになっていく。

「……私は、東雲藩の江戸定詰納戸頭・本多誠左衛門の娘として、江戸にて生まれ育ちました。夫の主水は、代々江戸家老を務めた川原家の嫡男にございました」

(中略)

 隠居の身の祖父と祖母。寡黙ながら、滅多なことでは口辺の微笑みを絶やさない父。由津と他愛無いおしゃべりをするのが何よりも楽しみであるかのような母。来る日も来る日も、武芸の腕前を競い合う三人の兄たち。
(『落ちてぞ滾つ』P.18より)

そして、幼馴染みで慕っている主水とは許婚の身。絵に描いたような幸福に満ちた日々を送っていた由津だったが、東雲藩主が京都守護職に任ぜられたことから、本多家および川原家の運命は急変していく。

そこからの激動する時代を生き抜くヒロインが描かれていく。著者の蜂谷さんには、新島(山本)八重を主人公にした時代小説『月影の道 小説・新島八重』があるが、オーバーラップする部分があり、その苛酷な運命とそれを乗り越えようとしるヒロインの強さへの感動が増幅される思いがする。

『落ちてぞ滾つ』という題名は、古今和歌集に収録された、
「血の涙 落ちてぞ滾つ白川は 君が世までの名にこそありけれ」
という素性法師の歌から取られている。

第一章は「寝るが内に 見るをのみやは夢と言わむ はかなき世をも うつつとは見ず」という壬生忠岑の歌から章のタイトルが付けられ、第二章では「白川の知らずともいはじ底清み 流れて世よに住まむと思へば」(平貞文)からタイトルが付けられている。

物語では、由津をはじめ、登場人物たちが古今和歌集を愛読していることもあり、暗喩として巧みに歌が用いられている。

由津とは生まれも育ちも、維新前の境遇も全く違っていながら、同じように函館にやってきた女・梅乃。連作形式の本書の第二章では、京都上七軒で売れっ子芸妓だった梅乃がヒロインを務める。

赤報隊の相楽総三が出てきてドキッとする。北方謙三さんの『草莽枯れ行く』を読んで以来、幕末で最も気になる人物の一人だからだが…。

函館山に碧血碑を建立した人物として、柳川の熊吉も物語に登場する。碧血碑建立にまつわるくだりを読んで、ホロッときた。

ウィキペディア 碧血碑によると、碧血とは、『荘子』からの言葉で、忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となるという伝説にちなんでいる。

「せっかく、荒波越えて海を渡って来たんやもの、いずれにせよ北海道にいてたらええわ。北海道やったら、おなごかて自分の口くらい養うていけるえ」
「この土地は吹き溜まりだからね。人生ってえ名の暇つぶしをするにゃ、もってこいの場所だ」
 ナギが、由津と梅乃を見比べて、にんまりと笑った。
「吹き溜まりやなんて。せめて開拓地て言わはったらどないやの」
「……吹き溜まり……開拓地。いえ、ここは新天地ですよ。ここまで流れて来たら、男も女も、誰だって嫌でも強くなれますもの」
(『落ちてぞ滾つ』P.251より)

激動の時代に翻弄され、さまざまな事情を抱えて函館に流れ来た者たちが、“敗者”となりながらも、誇りや意地を貫いて生きていく姿が感動的。北海道への愛に満ちた傑作時代小説である。

主な登場人物
草野霖平:元東雲藩主席家老鷺沢栄之進
川原主水:東雲藩家老
川原由津:主水の妻
榎本武揚:北海道開拓使に出仕し、海軍中将
ナギ:霖平の呑み仲間
本多誠左衛門:東雲藩江戸定詰納戸頭で、由津の父
本多将之介:由津の長兄
本多健次郎:由津の次兄
本多三郎太:由津の末の兄
たか子:誠左衛門の妹
本多左馬之助:由津の祖父
ふじ:由津の祖母
松子:由津の母
つたえ:将之介の妻
染子:将之介とつたえの娘
佐代子:健次郎の妻
川原勇之進:主水の父で、東雲藩の江戸家老
聡子:勇之進の妻
香苗:主水の妹
川原秀次郎:香苗の弟
松平守泰:東雲藩主・京都守護職
柳川の熊吉:侠客
トヨ:ナギに仕える下女
角兵衛:医師
梅乃:小料理屋『梅の』の女将
常八:熊吉の子分で柳川鍋屋の料理長
辰平:火消し
日隆上人:日蓮宗実行寺の住職
田島圭造:薩摩藩士
相楽総三:赤報隊の総督

物語●
川原由津は、その年の五月に函館山の中腹に建立された碧血碑の前で、身じろぎひとつしないで頭を垂れて一心に祈り続ける元東雲藩主席家老の鷺沢栄之進を見つける。由津は、夫・主水が栄之進に殺されたに等しいと思い、その命を狙って行方を追っていた…。

目次■第一章 うつつとは見ず/第二章 流れて世よに/第三章 落ちてぞ滾つ

装画・装幀:安里英晴
時代:明治八年(1875)
場所:函館・函館山、江戸・八重洲河岸、京・上七軒、東雲(架空・会津がモデル)、下諏訪、三宅坂、ほか
(柏艪舎/発売:星雲社・1600円・2013/03/25第1刷・252P)
入手日:2013/06/27
読破日:2013/06/29

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