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将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末

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将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末
将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末

(しょうぐんのきりばな ちょうあいやおとじろうとりひきしまつ)

藤村与一郎

(ふじむらよいちろう)
[痛快]
★★★★☆

文庫書き下ろし
著者の藤村さんは、巻末の著者紹介によると、1957年東京生まれで、ニューヨーク大学大学院卒。菊池寛作家育成会で修行後、2009年にデビューし、2010年『鮫巻き直四郎役人狩り』で第十六回歴史群像大賞「最優秀賞」を受賞された、新進気鋭の時代小説家。

本書の主人公、音羽の音次郎は元北町奉行所同心ながら、その後金剛流の能役者の修行をしたという異色の経歴をもつ。

 お喋りらしい四十がらみの猪牙助が、巧みな水竿捌きで伝馬船の間をすり抜けながら、詮索してきた。その男の髪型は髷を結わない総髪で、武士とも町人ともつかなかった。
「何をしているように見える」
 その男はうっとうしがらずに、無駄話に乗ってきた。
「お腰の物は二刀ともございませんですね。さて御髪の様子からみりゃ、お医師か手相見の陰陽師かと答えたいところだが、お顔の様子から、ずばり当て推量で申し上げましょう。お客さん、能役者じゃねぇかい」
 
(『将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末』P.12より)

物語の冒頭で、音次郎がシテ役(主役で先鋒役)を務める帳合屋の津国屋は、仙台藩の米の横持ち(運搬)を、深川に本拠を置く車宿(運送業者)の江戸陸に代わって扱いたいという、藤丸屋からの帳合を見事に果たして、米価の高騰で苦しむ江戸の庶民を救う。

 元能役者である音次郎の今の仕事は帳合屋であった。
 帳合屋とは、大店との大口の新規取引を望む商人に、道をつけてやる仕事である。大店だけでなく、今回の仙台藩への出入りのように、大名や寺院、大旗本等も含め、とにかく新しい大きな取引、すわなち帳合を望む者の依頼を受け、相手先との交渉を代行して帳合の道筋をつけてやる。それで大きな斡旋料を受け取る商売であった。
 また町人で、金で武士の身分を買いたい者にも、株を買う道をつけてやることも請け負っていた。

(『将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末』P.16より)

本書の魅力のひとつは、音次郎をリーダーする帳合屋の面々(彦兵衛、小万、銅阿弥など)が大口の商いを成功させるために、取引先や競争相手と知恵と腕っ節を使って丁々発止のやり取りをするところ。

「伝次郎、俺は遠山様に願いを入れる。六年経ってほとぼりも一応は冷めた。もう一度、同心としてやり直せ。それにつけても……」
 伝一郎は唇をゆがめながら、不忍池を東回りに引き上げていく小人目付たちの背中を眺めた。
「あいつらは村田柳生の高弟達だろう。油断するな」
 村田柳生と聞いて、音次郎の頬も締まった。
 
(『将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末』P.87より)

音次郎は、一色伝一郎の弟・伝次郎で、六年前の二十一の時に、北町奉行所同心の家に婿養子に入り、同心の株を譲られた。しかし、新婚七日目に、上司である北町の年番方与力・大野角兵衛を斬り、角兵衛と密通してた新妻の蕗を成敗し出奔した。その後、能役者の修行を始めた…。

村田柳生は、物語よりも百三十年前の正徳のころ、新陰流の門人である村田久寿が類稀な剣才により新陰流の奥儀を修め、柳生姓を名乗ることを許されたことに始まるが、天保のころは新陰流として隆盛を極めていたという。

本書は、ヒーローが胸のすく痛快な活躍を見せる痛快時代小説であるが、江戸の商いをテーマにした商業小説としても大いに楽しめる。山本一力さんの『損料屋喜八郎始末控え』や『深川黄表紙掛取り帖』を想起させる作品である。

第一話では、上野のお山の御用達商人、切り花屋の株仲間の世界が描かれている。江戸の握り寿司の祖といわれる、華屋与兵衛が登場するところも注目したい。第二話では、下り酒の流通の仕組みが描かれている。

「わらわがまだうら若かったころ。もう五十年も昔のことじゃ。船橋屋織江は、金沢丹後と共に、江戸城の御用達をつとめておった」
 金沢丹後は上野黒門前と日本橋本石町二丁目に、二店の店構えをする老舗の上菓子屋だる。花園はやけに古い話を持ち出してきた。
「それが時の宰相・松平定信公のご不興を買い、江戸城への出入を指し止められたのじゃ」
 初めて聞く話であった。なにせ音次郎が生まれる前のことである。

(『将軍の切り花 帳合屋音次郎取引始末』P.239より)

収録された話でとくに興味深かったのが、第三話の「砂糖の色」。薩摩藩が専売する黒砂糖と、讃岐や阿波を産地とする白砂糖の熾烈なセールス合戦。高価な商材である砂糖が薩摩藩ばかりか大奥や、老中水野越前守忠邦を巻き込んで、政争の具になっていく。大きな商いが政治と関連していくのはよくあることかもしれないが、物語にスケール感を与えている。

音次郎たちの次なる帳合が楽しみになる、次回作が待ち遠しい作品である。

主な登場人物
音羽の音次郎:元北町奉行所同心で、金剛流の能楽を修業する。帳合屋のシテ方
笛彦兵衛:音次郎を補佐する、帳合屋の囃子方
弁天の小万:音次郎を補佐する、帳合屋のワキ方。娘壺振り
津国屋銅阿弥:帳合屋の宿主。江戸城・御用部屋坊主桐生銅阿弥
松坊主:音次郎の手下で願人坊主
一色伝一郎:音次郎の兄。北町奉行所定町廻り同心
武蔵石寿:本草学者で、二百五十石の旗本
江戸屋陸蔵:運送業者車宿の主。通称、江戸陸

物語●
「将軍の切り花」徳川家斉が『我が葬儀には、我が棺と寛永寺を桜草で染めよ』という遺言を遺して逝った。津国屋は、大量の桜草を用意ができるという華屋与兵衛から、寛永寺への出入りの帳合を依頼される……。

「大直しの酒」酒の仲買人の道頓屋と有馬蔵元有馬屋善十から、有馬桜という灘の銘酒を江戸で売りたいので小売酒屋を斡旋してほしいという帳合が津国屋にあった。道頓屋は問屋を通さずに有馬桜を安く売りたいが、小売酒屋は通したいという。しかも、横持ち(運送)と売り込みは自分がやり、小売酒屋には代金回収だけをやってもらうという。不審のある依頼に、津国屋の手代でシテ方の音次郎は……。

「砂糖の色」音次郎は、江戸城に潜入して、大奥のお年寄役の花園から、薩摩特産の黒砂糖十万斤を上菓子屋の船橋屋に売ってもらいという帳合を受ける……。

目次■第一話 将軍の切り花|第二話 大直しの酒|第三話 砂糖の色

装画:倉橋三郎
装丁:田中善幸
時代:天保十一年(1840)
場所:永代橋、深川佐賀町、練塀小路、寛永寺黒門前、上野車坂町、千住大橋、湯島、上野山お花畑、市谷浄瑠璃坂、浦和宿郊外田島村、護国寺、音羽、ほか
(PHP研究所・PHP文芸文庫・667円+税・2013/02/01第1刷・334P)
入手日:2013/09/12
読破日:2013/09/15

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