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五郎治殿御始末

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五郎治殿御始末五郎治殿御始末

(ごろうじどのおしまつ)

浅田次郎

(あさだじろう)
[短編]
★★★★☆

幕末維新の激動期を自らの誇りをかけて、始末をつけた侍たちの物語。浅田次郎版「ラストサムライ」。「西を向く侍」と「遠い砲音」は、明治五年から明治六年にかけて行われた旧暦(太陰太陽暦)から西洋暦(グレゴリオ暦)への改暦と、西洋定時法採用をテーマにした作品である。

「柘榴坂の仇討」は、桜田門外の変によって、人生が大きく変わった二人の武士の明治維新後を描いた作品である。ちなみに柘榴坂(ざくろざか))は、高輪にあった久留米藩下屋敷と薩摩藩下屋敷の間の坂道のこと。

「五郎治殿御始末」は、舞台となる時代が明記されていないが、桑名県が三重県に変わりという記述があり、明治九年四月がそれにあたるが、桑名県は明治四年十一月に、亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県が合体して安濃津県になっている。こちら年代のほうがしっくりくるような気がする。

この本には、特別付録として「御一新前後 江戸東京鳥瞰絵図」という、今尾恵介さんの力作の絵地図が付いていた。維新前後二十年の江戸から東京への変遷がよくわかる貴重なものだ。

ブログ◆
2006-02-03 桜田門外の変と仇討ち
2006-01-30 維新前後と浅田次郎作品

物語●「椿寺まで」八王子産の反物と横浜の羅紗地を扱う日本橋西河岸町の江戸屋小兵衛は丁稚の新太を供に甲州道中を西に向かっていた。高井戸宿を過ぎて、布田五宿の手前で、浪人者の追いはぎに遭う……。「箱館証文」工部少輔の大河内厚は、官員ながら新しい時代に馴染めなかった。その大河内の官舎を警視局の警部渡辺一郎が訪ねてきた……。「西を向く侍」和算術と暦法を修めた元御徒士の成瀬勘十郎は、いずれ暦法の専門家として新政府へ出仕することになっていたが……。「遠い砲音」旧長門清浦藩士で近衛将校の土江彦蔵は、西洋定時の感覚をなかなか体得できずに、遅刻ばかりしていた……。「柘榴坂の仇討」心形刀流伊庭道場の目録を授けられた志村金吾は、剣の遣い手として、彦根藩主井伊直弼の御駕籠回り近習役を務め、将来を嘱望されていた。水戸尊攘浪士たちの襲撃を受け、金吾は脇差で押し寄せる刺客たちと斬り結んでいたが、騒擾の中で「井伊掃部頭直弼、討ち取ったり」の声を聞いたとき、戦意を喪失し、魂は天を飛んでいってしまった……。「五郎治殿御始末」半之助の祖父岩井五郎治は、桑名藩で百五十石取りの家の隠居だった。鳥羽伏見の戦い後、半之助の父で当主は桑名藩松平越中守に従って戦い続けたが、五郎治は恭順して桑名に残っていた……。

目次■椿寺まで|箱館証文|西を向く侍|遠い砲音|柘榴坂の仇討|五郎治殿御始末|解説 磯田道史

カバー:村上豊
解説:磯田道史

時代:「椿寺まで」明治六年ごろ。「箱館証文」明治十年。「西を向く侍」明治五年十二月。「遠い砲音」明治六年。「柘榴坂の仇討」明治六年二月。「五郎治殿御始末」桑名県が三重県に変わった直後(明治九年か)。
場所:「椿寺まで」布田五宿国領、府中、高幡不動。「箱館証文」麹町一番町、牛込払方町、四谷塩町、柳橋。「西を向く侍」下谷御徒士屋敷、浅草御蔵前天王町、旧昌平黌。「遠い砲音」向島、竹橋練兵場、旧本丸天守跡。「柘榴坂の仇討」浅草清島町、芝愛宕下、新橋ステーション、柘榴坂。「五郎治殿御始末」桑名ほか

(中公文庫・590円・06/01/25第1刷・269P)
購入日:06/01/26
読破日:06/02/03

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