吉原を舞台に、凛として生き抜く女性の波瀾万丈の物語

滔々と紅志坂圭(しざかけい)さんの第1回本のサナギ賞優秀賞受賞作品、『滔々と紅(とうとうとべに)』を紹介します。

天保八年八月、飢饉にあえぐ村から、九歳の少女、駒乃が女衒の伊佐治の手によって、江戸吉原の遊郭、扇屋へ年季奉公させられる。駒乃は、吉原のしきたりに抗いながらも、手練手管を駆使する人気花魁、艶粧(たおやぎ)へと成長する。
忘れられない客との出会い、予期せぬ悲劇。苦界、吉原を生き抜いた彼女が下す決断とは……。


本書は、ビジネス書出版で知られるディスカヴァー・トゥエンティワンが、文芸に新風を起こすべく立ち上げた新人賞「本のサナギ賞」の第1回(2014年)の受賞作です。

本のサナギ賞は、選考委員に全国の書店員が入っていることと、文芸とライトノベルの中間の読み物という新領域を対象にしているという特徴があります。

江戸吉原の遊廓を舞台にした、この時代小説が選ばれたことは、面白さ、リーダビリティーの高さ、読者を感動させる力を示すものです。

 路の行く手に転がる屍骸一つ、二つ、三つ……行くにつれて数は増え、数えることが無意味と思われるほどとなった。
(中略)
 屍骸には無数のカラスが群がり、肉を啄み目を穿る。唇、鼻を引きちぎる。暗闇のごとく渦を巻くハエ。古い屍骸、新しい屍骸が累々と連なる。旅人を待ち、物乞いをしながら力尽きた周辺の村人であろう。性別さえもわからぬほどに腐り果て転がる。
(『滔々と紅』P.10より)


物語は、女衒(人買い)の伊佐治が吉原の遊郭への年季奉公(身売り)をする娘を引き取りに、東北の寒村にやってくるところから始まります。そこは、大飢饉のため、人が人を殺してその肉を貪り食うまで荒廃し、地獄絵が繰り広げられています。

主人公の駒乃は、母親のヌ衣によって、女衒の伊佐治に売られます。それは、地獄のような場所から娘を生き延びさせるための苦渋の判断でした。

苦界、吉原の遊郭、扇屋へ売られた駒乃は、「しのほ」という名を与えられ、禿(かむろ)と呼ばれる花魁に養われる部屋子になります。翡翠(かおとり)花魁の禿となった、しのほは、持ち前の気の強さで、周囲に抗いも次第に吉原の水に慣れていきます。

 客に「なんだかガリで、まるでカトンボみてぇじゃねえか」と一番気にしていることを突かれて途端にお頭へと怒りが迸った。
「カトンボではないわね。しのほじゃね。本当は駒乃じゃけど」と顔を真っ赤にして突っかかった。
(『滔々と紅』P.88より)


多くの女郎たちとの別れに遭遇し、女郎としての手練手管を身に付けていき、「しのほ」から引込新造になり「明春(あけはる)」と名を変え、さらに、花魁「艶粧(たおやぎ)」と、駒乃は出世していきます。

「はあ、わっちの両親かね?……そんなお方が確かにおりんした。おりんしたがが……わっちが村を出る少し前に親父様は死にましたわね。(中略)お袋様はわっちを女衒に売った後、どうなったかわかりません。村を出たのか、そこで餓死しなさったか、もうなんの音沙汰もありません。今じゃ家へ帰る道も忘れんした」
「艶粧姉さんも、わっちといっしょでひとりぼっちでありんすか?」
 艶粧は風にそよぐように首を振った。
「いいえ、わっちはひとりぼっちではありんせん」
(中略)
「そうでありんすか。ひとりぼっちはわっちだけでありんすね」
「いえ、なつめもひとりじゃありません。わっちの家族はなつめでありんす」
(『滔々と紅』P.240より)


花魁となった艶粧には、なつめという名の禿を抱えます。山賊に家族を皆殺しにされてひとりぼっちのなつめを家族同様に育てます。

「滔々と」とタイトルに付いているように、水がよどみなく流れていくように物語は展開していきます。苦界と厳しい状況下で、遊女たちの死も日常的なものとして描かれていますが、艶粧の目線を通すことであるがままに受け入れられます。

商家の跡取り息子、会津藩士、小間物屋の主人、旗本の嫡男など、艶粧は多くの客と出会い、やがて、人生を変える人、医者を志す若者・飯島林太郎とも出会います。
そして、艶粧は、ある大きな決断を下すことに……。

本書が多くの人におすすめの理由は、遊廓を舞台に遊女を主人公にしながら、性行為の描写がまるでない点(その点を期待されている方には残念かもしれませんが)もリーダビリティーの良さの一つに挙げられます。遊女の手練手管を表現しながらも、ドロドロとした男女の描写がないので、安心して読めるエンターテインメント作品に仕上がっています。

志坂さんは、本書が時代小説のデビュー作で、2作目は江戸の捕鯨を描いた『沖の権左』があります。こちらもおすすめです。

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『滔々と紅』
『沖の権左』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)


八丈島から島抜け。兄を救うために、江戸を目指す

追われもの(一) 破獄金子成人(かねこなりと)さんの、『追われもの(一) 破獄』は、時代小説「付添い屋・六平太」シリーズで人気の作者の新しい時代小説書き下ろしです。

博打の罪で遠島となった丹次は八丈島で平穏に暮らしていた。だがある日、新たに島に送られたきた旧知の男が衝撃の話をもたらす。実家の乾物問屋『武蔵屋』が兄嫁お滝に潰されて、両親は首を吊り、兄・佐市郎は行方知れずだという。
優しい兄の窮状を知った丹次は焦燥にかられ、島抜けをして遥かかなたの江戸を目指そうとするが……。


主人公の丹次は、乾物問屋『武蔵屋』の次男坊だったが、兄・佐市郎に対して劣等感を抱き、十四、五のころから町のゴロツキと群れて喧嘩沙汰や恐喝まがいのことを繰り返していました。その末に、橋場の貸元、欣兵衛の子分となり、二十一の時、実家からは勘当されていた。

悲惨な暮らしをする流人たちの中、八丈島に流されて1年ばかりが経ち、丹次は読み書き算盤ができたおかげで、島役所を手伝いをし、島の娘・七恵と夫婦同然の暮らしをしていました。

 その実家の没落を、八丈島で知るとは思いもしなかった。
『武蔵屋』をそのような目に遭わせたのは、自分ではないか――ふと、そんな思いに駆られた。
『武蔵屋』で何があったのか――そのことも気にかかる。

(中略)

 事の真相を知りたい――突きあげる思いが、丹次の胸の中で弾けた。
(『追われもの(一) 破獄』P.48より)


その日から、丹次は破獄(島抜け)を考え始めます。
自分を取り立ててくれた島役人たちの恩情や、七恵との愛情を捨て、平穏な生活を投げうって、それでも江戸を目指すか、胸の裡を葛藤が渦巻きます。

江戸は、八丈島から海上百五十四里(約616Km)のかなたにあります。しかも八丈島と御蔵島の間には、西から北東へと黒潮が流れて入れ、潮流は速く、川の流れのようで、船乗りから、〈黒瀬川〉と呼ばれて恐れられています。

結局、丹次は、手製の筏で、八丈島から大海原に漕ぎ出し、遥かなる江戸を目指します。
その過酷な脱出行にハラハラドキドキさせられ、物語に引き込まれます。
破獄をして追われものとなった丹次が、兄の行方を突き止められるのか、今後の展開が気になる、新シリーズの始動です。

ところで、八丈島からの島抜けを描いた時代小説では、笹沢左保さんの『木枯し紋次郎』の第一話「赦免花は散った」をおすすめします。

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『追われもの(一) 破獄』
『この時代小説がすごい! 時代小説傑作選』(「赦免花は散った」収録)


将軍の弟たちの領地、館林はツツジの花盛り

将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記ゴールデンウィークのとある一日、日帰りで群馬県の館林を訪れました。

館林市は、群馬県の東南部に位置します。
訪れたときは、4月の終わりでツツジの花にあふれていました。
地元の人たちが、「花山」と呼ぶ、つつじが岡公園のツツジの花も満開で、観光客も多く大変な賑わいでした。

つつじが岡公園のツツジ
江戸時代、徳川四天王の一人、榊原康政によって館林城が整備されます。その後、徳川綱吉が五代将軍に就く前に、二十年にわたり城主をつとめたように、幕府の重要な拠点です。
綱吉と同じように、将軍の弟として、館林城主となった人物に、松平清武がいます。
清武は徳川綱重の次男に生まれながら、生母の身分が低いことから、家臣の越智喜清に養われていました。宝永四年(1707)に館林城主となっています。

この松平清武を主人公にした時代小説に、誉田龍一さんの『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』があります。

 清武は手を出して制した。
「では、将軍を継ぐのはそなたしかおらぬのは分かるであろう」
「ですが、わたしは今は上野館林藩、五万四千石の藩主に過ぎません。しかも、その藩主も……」
「ほほほほ」
 天英院が突然笑い出した。
(『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』P.52より)


七代将軍家継が危篤状態に陥ったとき、家宣の正室天英院は八代将軍の候補に清武を考え、将軍職に対して関心が薄かった清武を口説き落とすシーンが描かれていました。

六代将軍家宣の実弟ながら、家臣に育てられてその家督を継いでいたこと、当時五十四歳と高齢だったこともあり、将軍になれなかったとされています。

誉田さんの作品では、綱吉が一旦廃藩したときに壊した館林城を築城し直すために、清武が百姓に重税を強いて、一揆を起こしてしまった失政も将軍に就かなかった理由の一つとして描いていました。
長屋に暮らしながら悪人退治をする時代ヒーローらしい設定です。

館林駅からつつじが岡公園へ向かう途中に、館林城跡があり、跡地の一角に向井千秋記念子ども科学館があります。舘林は、宇宙飛行士の向井さんの出身地です。

また、向井千秋記念子ども科学館のすぐ隣に、田山花袋記念文学館があります。
花袋は旧館林藩藩士の息子として、館林に生まれました。
『蒲団』『田舎教師』などの代表作により自然主義の文学者として知られていますが、晩年には『源義朝』など歴史小説も発表しています。
花袋の旧居は館林市第二資料館内にあります。
5月13日が命日「花袋忌」で、無料開館日になっています。

群馬県館林市城町1-3


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『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』

館林市つつじが岡公園ガイド
田山花袋記念文学館|館林市教育委員会 文化振興課

東海道五十三次の二十三番目の宿場、島田

蓬莱橋にてゴールデンウイーク期間中に、親戚が住んでいる、静岡県島田市を訪れることを計画しています。

島田市は、静岡県の中部でやや西寄りに位置して、市内を大井川が流れています。
江戸時代、島田は、東海道五十三次の二十三番目の宿場として栄えました。
大井川の川越(かわごし)を控え、旅の難所ともいうべきところです。
この機会に、島田の歴史に触れてきたいと思います。

歌川広重『東海道五十三次 嶋田』
島田宿の増水による川留めと川越を描いた時代小説には、山本一力さんの初期の傑作短篇集、『蒼龍』(文春文庫)に収録された「長い串」があります。

そのほか、池波正太郎さんの『鬼平犯科帳(一)』の「血頭の丹兵衛」の話に、島田宿での捕物の様子が描かれています。

 島田宿は、昔から東海道の名駅であるし、大井川をひかえているだけに、宿場も繁盛をきわめている。このようなところに盗賊の隠れ家があるのも妙なものだが、粂八にいわせると、人家が多い盛り場ほど絶妙な隠れ場所だということになるのだ。
 宿場の本通りを大井川へ向ってすすみ、代官橋の手前を北へ切れこんだ道がまがりくねって大井大明神の鳥居前へ達する。
(『鬼平犯科帳(一)』「血頭の丹兵衛」より)


また、江戸時代には幕府の江戸防衛上の目的から架橋は許されておりませんでしたが、明治十二年に木造の橋、蓬莱橋(蓬莱橋)が架けられました。
897.4mの蓬莱橋は、たびたび崩落・流失の被害に遭いながらも、都度修復・復旧され、現在も利用されています。

蓬莱橋が架橋された当時を描いた短篇に、諸田玲子さんの『蓬莱橋にて』がおすすめです。東海道の宿場を舞台に、運命のほころびに翻弄される男女を哀歓こめて描いた短篇集。

島田市を外国人に紹介するなら、こちらもどうぞ。

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『蒼龍』
『鬼平犯科帳(一)』
『蓬莱橋にて』

昔は川越え、今は飛行機で?東海道の宿場町・静岡県島田市の魅力を英語で語ろう!|GOTCHA!(ガチャ!)

越後長岡開府400年と牧野忠成の生き様、「常在戦場」

常在戦場2018年(平成30年)、新潟県長岡は「開府400年」を迎えます。
これは、越後国長岡藩藩祖の牧野忠成(まきのただなり)が、越後長峰五万石を経て、元和四年(1618)に、長岡藩主になった時から始まります。
長岡藩は、以来牧野家の統治により明治維新まで250年にわたって生き残っていました。

牧野忠成のエピソードは、火坂雅志(ひさかまさし)さんの時代小説、『常在戦場』(文春文庫)に収められています。

家康の周囲には異能異才の者たちがいた。行商人ワタリの情報と絶対的な忠義で仕えた鳥居元忠、幾多の苦難に逢いながら男姿で井伊家の誇りを守り抜いた井伊直虎、馬上の局と呼ばれ戦場にまで赴いた阿茶の局、「利は義なり」の志で富をもたらした角倉了以など七人の家康の家臣を描く短篇小説集。


慶長五年(1600)、牧野忠成は関ヶ原に向かう徳川秀忠率いる徳川軍三万八千人に、父康成と加わっています。
ところが、信州上田城に籠る真田昌幸・信繁に対して、功を焦り軍令違反の失態を犯し、その末に出奔します。

「戦いは、槍働きのみにえするものではない。まして功名も、合戦場のみに落ちているものではない。家門の恥辱をそそぎたくば、手柄を挙げよ、忠成」
「しかし、天下分け目の合戦はすでに終わりました。もはや、手柄を挙げる場は……」
「たったいま申したではない、功名の機会は、そなたがその気になればどこにでも転がっておると」
(『常在戦場』「常在戦場」P.316より)


物語では、出奔から戻った忠成が家康に声をかけられ、以来死ぬ気になって「常在戦場」の精神で、汚名返上に活躍する姿が描かれています。

「常在戦場の精神」はその後も忠成が整備した城下町長岡で人々の心に生き続けています。
幕末維新や太平洋戦争による長岡空襲の戦禍や新潟県中越地震などの天災に見舞われながらも不死鳥のように復興を果たしてきたことにつながっているように思われます。

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『常在戦場』


長岡開府400年記念事業実行委員会の公式ホームページ|ROOTS400