とある秋の一日、森鴎外記念館にて

文京区立森鴎外記念館とある9月の週末に、千駄木にある、文京区立森鴎外記念館を訪れました。
記念館は建物の形がモダンで、タイポグラフィーに凝ったパンフレットもおしゃれです。

文京区立森鴎外記念館は、鴎外の旧居「観潮楼」跡地に、2012年11月1日に、鴎外生誕150周年を記念して開館したものです。団子坂上にあり、鴎外が家を構えて暮らしていたときには、2階から品川沖が遠く眺められたといわれ、「観潮楼」と名付けられたそうです。

東京都文京区千駄木1-23-4


文京区立森鴎外記念館のパンフレット展示から、小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医と、いくつもの顔をもつ鴎外の活躍ぶりが概観できます。

夏目漱石や石川啄木、正岡子規らとの交流ぶりも直筆の葉書や書簡からうかがい知ることができます。また、森茉莉さんら子供たちへの愛情、微笑ましい家族愛も伝わってきます。

来場した時、記念館では、コレクション展「森家三兄弟―鴎外と二人の弟」を開催していました。鴎外より5歳年下で劇評家の篤次郎と17歳年下で考証学者の潤三郎は、兄・鴎外の著作を著作活動を支える活躍をしていました。そんな彼らの生涯と業績を紹介しています。

『高瀬舟』や『阿部一族』など、時代小説のルーツともいうべき作品ですが、鴎外を主人公にした時代小説は思い浮かびません。
鴎外を知る読み物として、森まゆみさんの『鴎外の坂』と、東郷隆さんの『そは何者』が面白いです。

そういえば、明日(2017年9月24日)は、明治の文豪・夏目漱石の記念館、「新宿区立漱石山房記念館」が新宿区早稲田にオープンします。

注:森鴎外の「鴎」の字は、「鷗(「区」の中が「メ」ではなく「品」)」が正字ですが、一部の日本語環境で表示できないため、「鴎」を新字で表記しています。
(新字の「鴎」が苦手で、ブログでは鴎外を取り上げるのを避けていました)

■Amazon.co.jp
『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』(森鴎外・角川文庫)
『鷗外の坂』(森まゆみ・中公文庫)
『そは何者』(東郷隆・静山社文庫)

⇒文京区立森鴎外記念館
⇒新宿区立漱石山房記念館

500匹を超える猫と暮らした、作家大佛次郎

大佛次郎記念館先週、横浜の港の見える丘公園にある、大佛次郎記念館に行ってきました。

大佛次郎(おさらぎじろう)さんは、横浜で生まれ、「霧笛」や「幻燈」など、明治の横浜を描いた名作を残した、横浜にゆかりの作家です。記念館では、作家・大佛次郎の業績と生涯をさまざまな資料で紹介しています。

同記念館で開催中の「大佛次郎と501匹の猫展」を見てきました。
猫好きの作家だということは知っていましたが、常に10匹以上の猫を飼い、生涯で500匹を超える猫と暮らしていたんですね。
猫たちと一緒に撮られている写真がどれも、大佛さんの猫への愛情が伝わってくるものばかりで、心癒されました。

佐多芳郎さんの画がうれしい「大佛次郎記念館」の入場券大佛さんといえば、時代小説ファンには、「鞍馬天狗」や「赤穂浪士」などの時代劇化された作品でおなじみですね。魅力的なヒーロー像と高い物語性で、時代小説の面白さを伝える作家の一人です。

2017年は大佛さんの生誕120年の記念の年でもあります。
あらためてその作品に向き合ってみたいと強く思いました。

横浜市中区山手町113番地


大佛次郎記念館との間に霧笛橋が架けられていて、隣接する県立神奈川近代文学館へ移動できます。こちらでは、神奈川にゆかりの深い作家たちの生涯や代表作を紹介しています。「漱石山房書斎」コーナーでは、夏目漱石コレクションの一部を見ることができます。
行ったときには、角野栄子さんの『魔女の宅急便』展が開催されていました。

■Amazon.co.jp
『大佛次郎と猫 500匹と暮らした文豪』(大佛次郎記念館・監修)
『赤穂浪士 上 (集英社文庫) Kindle版』(大佛次郎)

⇒大佛次郎記念館

羽衣伝説の三保の松原と次郎長ゆかりの地を訪ねて

背負い富士静岡の旅3日目は、東海道線を島田から帰路。途中で清水に向かいました。
江戸時代、清水は東海道の18番目の宿場、江尻宿と呼ばれていました。

清水では、世界文化遺産の名勝「三保の松原」を観光しました。
当日は、晴れていましたが黄砂が飛来していて、視界が悪くて富士山の姿を見ることはできませんでした。

三保の松原
さて、三保の松原というと、羽衣伝説の舞台として知られています。浜には天女が舞い降りて羽衣をかけたとされる「羽衣の松」があります。

この羽衣伝説を取り入れた時代ファンタジーに、浮穴みみさんの『天衣無縫』があります。

三保の松原に舞い降りた天女の妙耶は、羽衣を盗賊に盗まれてしまう。
その賊に親と許嫁を殺され、敵討ちを誓った菓子職人の太一と共に、妙耶は盗賊の行方を追う。
そんな日々の中で妙耶は市井に交わり、身内ゆえの情や、よすがなき女の哀しみ、職人がもつ矜持など、人間の心のありように触れてゆく。次第に妙耶の胸にも、ある想いが兆してきて……。


妙耶は羽衣がないと天界には戻れずに、敵討ちを誓う太一と、共通の敵である賊の行方を追って行動をともにします。江戸を舞台に、謎解きとお菓子作りの描写も楽しく、欲張りなファンタジー時代小説です。

三保の松原を後にして、清水の市街地にある、清水次郎長さんゆかりの場所を巡りました。

「末廣」は、晩年の次郎長が営んだ船宿を復元した清水港船宿記念館です。
清水港振興に尽力した次郎長の晩年の姿を表現し、博徒から社会事業家へと生き方を変えた明治の次郎長を知ることができました。
子供好きの次郎長が饅頭屋で売られていた饅頭を指でわざと潰して、子供たちに配ったという、名物の「指まんじゅう」で抹茶を一服しました。

静岡県静岡市清水区港町1-2-14


巴川に架かる港橋
次郎長商店街にある次郎長の生家は耐震工事中で見られませんでしたが、代わりに菩提寺の梅蔭禅寺を訪れました。
梅蔭禅寺には、清水次郎長と女房のお蝶(初代、二代目、三代目)、そして大政、小政といった子分衆のお墓があります。
梅蔭禅寺にある、次郎長像
静岡県静岡市清水区南岡町3-8


清水次郎長を描いた時代小説では、山本一力さんの『背負い富士』がおすすめです。
船宿『末廣』も作品に登場します。

二代目のお蝶の鮮烈な生き様を描く、諸田玲子さんの『からくり乱れ蝶』。二代目のお蝶は、次郎長の歴史の中で触れられることが少ない人物なので、ぜひ押さえておきたい作品です。

3回連続の静岡の旅のレポートも今回が最後。
お読みいただきましてありがとうございます。
また、機会がありましたら、記事を書きます。

■Amazon.co.jp
『天衣無縫』(浮穴みみ・双葉文庫)
『背負い富士』(山本一力・文春文庫)
『からくり乱れ蝶』Kindle版(諸田玲子・講談社文庫)

清水港船宿記念館「末廣」


将軍の弟たちの領地、館林はツツジの花盛り

将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記ゴールデンウィークのとある一日、日帰りで群馬県の館林を訪れました。

館林市は、群馬県の東南部に位置します。
訪れたときは、4月の終わりでツツジの花にあふれていました。
地元の人たちが、「花山」と呼ぶ、つつじが岡公園のツツジの花も満開で、観光客も多く大変な賑わいでした。

つつじが岡公園のツツジ
江戸時代、徳川四天王の一人、榊原康政によって館林城が整備されます。その後、徳川綱吉が五代将軍に就く前に、二十年にわたり城主をつとめたように、幕府の重要な拠点です。
綱吉と同じように、将軍の弟として、館林城主となった人物に、松平清武がいます。
清武は徳川綱重の次男に生まれながら、生母の身分が低いことから、家臣の越智喜清に養われていました。宝永四年(1707)に館林城主となっています。

この松平清武を主人公にした時代小説に、誉田龍一さんの『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』があります。

 清武は手を出して制した。
「では、将軍を継ぐのはそなたしかおらぬのは分かるであろう」
「ですが、わたしは今は上野館林藩、五万四千石の藩主に過ぎません。しかも、その藩主も……」
「ほほほほ」
 天英院が突然笑い出した。
(『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』P.52より)


七代将軍家継が危篤状態に陥ったとき、家宣の正室天英院は八代将軍の候補に清武を考え、将軍職に対して関心が薄かった清武を口説き落とすシーンが描かれていました。

六代将軍家宣の実弟ながら、家臣に育てられてその家督を継いでいたこと、当時五十四歳と高齢だったこともあり、将軍になれなかったとされています。

誉田さんの作品では、綱吉が一旦廃藩したときに壊した館林城を築城し直すために、清武が百姓に重税を強いて、一揆を起こしてしまった失政も将軍に就かなかった理由の一つとして描いていました。
長屋に暮らしながら悪人退治をする時代ヒーローらしい設定です。

館林駅からつつじが岡公園へ向かう途中に、館林城跡があり、跡地の一角に向井千秋記念子ども科学館があります。舘林は、宇宙飛行士の向井さんの出身地です。

また、向井千秋記念子ども科学館のすぐ隣に、田山花袋記念文学館があります。
花袋は旧館林藩藩士の息子として、館林に生まれました。
『蒲団』『田舎教師』などの代表作により自然主義の文学者として知られていますが、晩年には『源義朝』など歴史小説も発表しています。
花袋の旧居は館林市第二資料館内にあります。
5月13日が命日「花袋忌」で、無料開館日になっています。

群馬県館林市城町1-3


■Amazon.co.jp
『将軍を蹴った男 松平清武江戸奮闘記』

館林市つつじが岡公園ガイド
田山花袋記念文学館|館林市教育委員会 文化振興課

下総国十一万石の城下町、佐倉を散歩する

胡蝶の夢(一)春のある日、千葉県の佐倉を訪れました。
佐倉は2度目で、前回は国立歴史民俗博物館(歴博)で時間を多く取り過ぎて佐倉城址公園を見て帰ってきました。
今回は、京成本線の京成佐倉駅を出発して、観光協会でレンタサイクルを借りて、佐倉順天堂記念館、旧堀田邸、武家屋敷、そしてDIC川村記念美術館を回るルートにしました。

佐倉行きを思い立ったのは、AmazonプライムでTVドラマ「JIN -仁-」【TBSオンデマンド】を見たこと。2009年10月にTBSで放送されたときに見ていなかったこともあって今更ながらに、感動してはまってしまいました。

佐倉順天堂記念館 佐倉は、主人公の南方仁(みなかたじん)が勤めていた東都大学付属病院のモデルとなった順天堂病院の創立の地であり、佐倉順天堂記念館があります。
記念館では、手術器具や療治定(治療別の料金表)が展示され、順天堂で膀胱穿刺、帝王切開、乳がん摘出など、当時としては最高水準の医術が実施されていたことを伝えています。

千葉県佐倉市本町81


また、最後の佐倉藩主・堀田正倫(ほったまさとも)の邸宅・旧堀田邸はTVドラマ「JIN -仁-」のロケ地に使用されていました。

さて、佐倉順天堂が登場する時代小説に、司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』があります。
蘭方医・松本良順と弟子で伊之助を中心に、蘭学という時代を先取りした若者たちの眼を通して幕末維新を描いた歴史長編です。

 数日後の朝、伊之助はようやく相州屋を出た。べつに悪びれた様子もない。
 本町の順天堂までは、さほどかからなかった。
(これが順天堂か)
 門前に立って玄関を見すかした。気勢い立っているわけでもなく、ただ見ただけのことである。物事の前後に気を使う感覚がにぶいために、薄気味わるいほど冷静である。
(『胡蝶の夢(一)』P.255より)


佐倉の蘭方医学塾「順天堂」は、当時、「蘭方医学を学ぶなら佐倉にゆけ」といわれ、大坂の緒方洪庵の「適塾」と並んで、日本における二大蘭学塾となっていました。
江戸から佐倉に移り住んで、順天堂を創設したのが、『胡蝶の夢』の主人公松本良順の父、佐藤泰然です。

物語では、良順は、故あって江戸に居られなくなった伊之助を佐倉の順天堂に託します。
蘭方医学の研究と発展にチャレンジングに取り組む良順と、語学の天才ながら特異の性格のために周囲に受け入れられず挫折を繰り返す伊之助、二人の波瀾に満ちた生きざまが描かれていきます。


■Amazon.co.jp
『JIN -仁-【TBSオンデマンド】』(Amazonプライム)
『胡蝶の夢(一)』(司馬遼太郎・新潮文庫)


日曜劇場「JIN -仁-」|TBS番組表