千の命を助けた、江戸の産科医賀川玄悦の生涯を描く傑作

千の命植松三十里(うえまつみどり)さんの『千の命』(小学館文庫)が文庫化されて発売されました。江戸中期の産科医、賀川玄悦(かがわげんえつ)の生涯を描いた時代小説です。
2006年6月に講談社から刊行された単行本『千の命』を加筆改稿したものです。

彦根藩士の子、賀川玄悦の生みの親は出産で命を落とす。玄悦は医者を志したが許されず、独学で鍼や按摩の技術を習得し京都に出る。ある日、お産で苦しむ隣人の女房を自らの技術で救った。その技術は評判となり回生術と名付けた。
その後、玄悦は難産でひどい扱いをされている商家の妾・お糸を引き取った。次第に、お糸に特別な感情を抱くようになる。三人の子供との関りや妻のお信とお糸のことに悩みながらも、多くの命を救った。


玄悦は、彦根藩士三浦軍助の三男として生まれました。父軍助が江戸詰めで留守の間、母や兄たちからいじめに遭う中で、下女のお八重だけが玄悦(幼名・光森)を温かく接していました。やがて実家に戻っていたお八重が出産で危篤となり、呼び寄せられた玄悦はお八重が生みの親であることを知ります。

出産では十四、五人にひとりは、命を落とすとも聞く。まさに戦国の頃、男が戦場に向かったのと同じ覚悟で、臨まねばならないと言われていた。
(『千の命』P.6より)


二十六歳で医者を志して京都に出た玄悦は、三十三歳のとき、十五歳下のお信と結婚しました。物語の冒頭で、三十四歳にして我が子の誕生を迎え、出産に立ち会う玄悦の様子がユーモアを織り交ぜて描かれています。

当時の玄悦は、まだ産科医になっておらず、昼は古鉄の回収売買を行い、夜は按摩を兼ねる鍼師として生計を立てていました。

隣家の女房お菊が難産で、胎児が出てこなくて腹の中で死にかけているらしく、このままではお菊の命まで危ないが、産婆でも手の打ちようがないといい、玄悦に助けを求められます。

玄悦の大きな手で、母体から胎児を取り出そうと試みますがうまくいかず、試行錯誤の末に商売物の鉄鉤(天秤の部品)を使って、死んだ胎児のからだに引っかけて引きずり出せないかと考えて試します。

玄悦の回生術は評判が高まる一方で、既に死んでいるとはいえ胎児を傷つけて引きずりだすことに、僧侶や医者、産婆から言語道断と非難されました。迷信は根強く水子の霊がついていると噂され、子供たちがいじめに遭うこともありました。

「わしは死ぬまでに、千人の命を救いたいと思うています」
 それは玄悦が日頃から、漠然と抱いている夢だった。
(『千の命』P.229より)


賀川玄悦の功績としては、多くの臨床体験を積む中で、出産用の鉗子を発明したことのほかに、胎児の正常胎位を発見したことがあります。それ以前は、母体中で胎児は頭を上にしていて、陣痛が始まってから胎児が回転して下を向くと考えれていました。

「千の命があれば、千の生きてく意味がある。みんな、その意味を探して、精いっぱい生きなあかん。誰でも、おかあちゃんが命かけて産んでくれはったんやから、大事に生きなあかん」
(『千の命』P.357より)


本書は、玄悦の一代記であるばかり、玄悦とその家族(妻お信、長男玄吾、次男金吾、長女お佐乃ら)とのファミリードラマでもあります。
なりふり構わず真摯に人の命に向き合う玄悦に魅せられながら、家族関係で苦悩する玄悦にも共感を覚えます。

日本で初めて腑分けをした山脇東洋や「毒を以て毒を制す」を信条とする吉益東洞らも登場し、当時最先端だった京都の医学界の一端もうかがい知れて興味深かったです。


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『千の命』


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